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ヒイロ/デュオ/カトル/トロワ/五飛……ゆっくりと友情を『新機動戦記ガンダムW』



10人いれば10の学説がある?心理学


心理学は、10人学者がいれば10の学説があるとからかわれるほど、人によって学説が違うそうです。
心理学はどこまで科学的かという問題があります。
人の心が研究対象であるため、客観的基準が見い出しにくいのかもしれません。
ある意味、銘々が主観的に考えた哲学のようなもので、個人の生き方や生き様が強く学説に反映してしまうため個人の我と我がぶつかりあい、統一した意見が形成しにくいのかも。

なにしろ、心理学の勃興期を代表するフロイトからして、その弟子たちの離反、弟子たちとの仲たがいが恒常化しているような印象。
フロイトそのものが、けっこう、心理療法を必要とするような、人とあまりうまくつきあえない依怙地な性格だったようです。

男の子は母親に性的欲求をもち、父親から母親を奪いたいと願っているものだというフロイト。
そのフロイトこそ、きわめて美しい母親に溺愛され、厳しい父親に対抗心をもち、母を自分のものにしたいという欲求をもつ(かなり重度?の)マザコンでした。
フロイトのマザー・コンプレックス概念は、だれあろうフロイト自身の影絵だったのです。

そして、心理学の歴史でもしかしたらフロイトのつぎに著名かもしれない弟子ユングは、師匠フロイトと仲たがいしたお弟子さんの一人であり、多くのフロイト理論に反対しつづけた一人です。
(ユングがフロイトのマザー・コンプレックス概念に賛同できなかったのは、ユングの母親の見た目がそれほどよろしくなかったからだという説もあります。
真偽のほどは定かではありません。
でも、事実だとすればかなり単純な理由……しかし、人間はそんなものかもしれませんねえ)




『新機動戦記ガンダムW』の主人公たち


新機動戦記ガンダムW』の主人公の少年5人の幾人かは、心理学の研究対象になるようなあやうさをもっています。

外見的にも内面的にも能天気で健全なデュオ・マックスウェル
難局であっても明るさをうしなわないデュオは、ドラマが暗い展開のときになんども安堵させてもらいました。
(ただし、当初目立っていたデュオが、終盤、健全すぎて印象にあまり残らなくなったとおもうのは気のせい?)

寡黙すぎなのが心配ですが(記憶をごっそり失っているのですからしかたないですが)、内面はけっこうバランスがとれているような気がするトロワ・バートン
その浮かれたところのない寡黙な手堅さが、みなの信頼をあつめていたような気がします。

一見すると優等生ですが、内面に現実の厳しさに直面すると病んでしまう脆さがあるカトル・ラバーバ・ウィナー
優しいカトルは、父の理不尽な死を乗り越え、強さをも身につけました。

表向き強がっているも、じつは内面的な脆さでは5人のなかでも圧倒的な気がする張五飛(ウーフェイ)。
ウーフェイだけは脆さを残したまま終幕したようにおもうのは、わたしだけでしょうか?
(美しく滅びる……破滅願望があったようなトレーズの、負け逃げのような死で成長する機会を逸してしまったような)

脆くはないですが、心が未発達で死ぬことも恐れない、それゆえ生命という点では危地にいるヒイロ・ユイ
ヒイロはけっして弱い少年でないのですが、死を恐れないのが心の強さといっていいものかどうか。
死に恐怖するだけの感情が育っていないのだとすれば、それはそれで大問題だとおもいます。
ただ終盤では、感情が成育したうえで戦いをおそれない少年へと成長しました。
これも、4人の仲間たち、ゼクスやトレーズなどの大人たち、そしてなによりもリリーナとの触れ合いのなかで健全な感情を育んでいったからでしょう。
リリーナの薫陶よろしきを得たというところでしょうか?
しかし、女性の色に染まったと考えると、仏頂面のヒイロらしくなくてけっこう笑えます。




カトルとトロワ……「優しいやつほどつらく追い込んでいく」「優しいカトルに戻ってくれないか」


カトル、ウーフェイ、ヒイロの3人は、心に闇をかかえていたような気がします。

カトルが無念の死を遂げた父の一件で闇落ちしたとき、トロワが生命を的にしてカトルの心を救ってくれました。
カトルとトロワは同性愛的という意見をけっこう目にしますが、それでも良いようにおもいます。
二人の絆は、友情であろうが恋愛であろうが、わたしにはとてもまぶしい。




ウーフェイとトロワ……「ヒイロがリリーナを連れ帰ったら挨拶ぐらいしてやれ」


ヒイロとウーフェイは、協調が苦手。
人と交わるすべを知らない未熟さがあります。
しかし、この二人にも仲間に心を開いてきたなというエピソードがいくつかあります。

たとえば終盤の46話(全49話)。
ヒイロが、無謀にも単独でリリーナを救出に向かったときのことです。
(ヒイロも、リリーナのことになると冷静でいられなくなったのですねえ……出会ったころは「お前を殺す」となんのためらいもなくリリーナに言っていたのに)
読書をしているトロワは、近くで筋トレをしているウーフェイに言います。

「ウーフェイ、ヒイロがリリーナを連れ帰ったら挨拶ぐらいしてやれ。女はおまえ以上に傷つきやすい」

女性が男子より傷つきやすいという意見には異論もあります。
強がっている男子こそ、もっとも傷つきやすいのではなかろうかともおもいます。

それはともかく、トロワのクールな外見に似合わない気配りの良さはみごとですね。
そして、傷つきやすいと指摘されても、トロワの言葉を黙って聞いているウーフェイ。
かつてなら、ウーフェイはむきになって、その言葉を否定していたでしょう。
しかし、いまは黙して耳をかたむけるのみ。
そこには、ウーフェイのトロワに対する信頼が見て取れます。
たぶん、仲間としてトロワを認めているからこそ、おのれの脆さを指摘されてもそれを受け入れられるのでしょう。

えらい進歩です。
かたくなに仲間になることをこばんでいたウーフェイ。
しかし、このさりげない日常の会話から、彼らの関係が着実に構築されていることを描写してのけているのです。
戦闘のあいまの、さりげない少年たちの友情に、ほっとさせられます。




ヒイロとトロワ……「死ぬほど痛いぞ」


そして、ヒイロの「死ぬほど痛いぞ」。
12話。

この台詞には前段階があります。
ガンダムを放棄しなければコロニーを破壊するぞと敵のオズに脅され、コロニー側の人間であるヒイロはためらうことなく自分もろともガンダムを自爆。
意識をうしない、頭から大量の出血をし、瞳孔が開いているといった死一歩手前の状態に。
ヒイロは、そこから奇跡的に生還。
療養しているヒイロに、トロワがたずねます。

「おれには決心がつかない。もし再び、オズがコロニーを盾に戦ってきたらどうすればいいか……あるいは、おまえを見習うべきなのか」(トロワ)
「だったら一つだけ忠告がある」(ヒイロ)
「ん?」(トロワ)
「死ぬほど痛いぞ」(ヒイロ)
そして、トロワ、爆笑。

ふだん、笑わないトロワの爆笑です。
ほっとします。
少年らしい屈託のない笑い。

わたしも、真顔なヒイロの台詞にトロワとともに大笑いしました。
死ぬ一歩手前までいったのですから、死ぬほど痛いのは当然なのですが、それを率直に言うヒイロのピュアさというか、正直さというのがおかしい。

なぜトロワが爆笑したのかについてはいくつかの説がありますが、わたしは、ヒイロのバカ正直なところにトロワが好感をもったからではないかとおもっています。
わたしじしん、ヒイロに好感をいだきました。

この台詞についていまでも謎があります。
「死ぬほど痛いぞ」を真剣に言ったのか、冗談で言ったのかということです。
トロワに爆笑されて「よし、受けた」とおもったのか、「なんで、こいつは笑っているのだ?」と怪訝におもっていたのか。
ヒイロのキャラクターからすると後者の可能性が優勢のようにおもえますが、意外と前者だったりして。
冗談を言いなれない子は、真顔でギャグを言ったりするものですから。
どちらにしろ、親しみのもてる主人公にヒイロがなったのは、このエピソードからのような気がします。




ゆっくりと友情を


『W』は、ゆっくりと少年たちが友情を取り結ぶさまを丹念に描いています。
突然、友情の絆が生まれてしまう作品もけっこう多いなか、『W』はそこいらへんが繊細で観ていてすがすがしい作品でした。



少年たちの純粋でまっすぐな生き方が40代後半の胸にはちょっとイタい『新機動戦記ガンダムW』(&『聖闘士星矢』『鎧伝サムライトルーパー』)



『聖闘士星矢』『鎧伝サムライトルーパー』『新機動戦記ガンダムW』


30代、40代になると、凛々しい少年たちにノスタルジーを感じるようになりました。

かつて、自分がなろうとして、おそらくはなれなかった凛々しい少年。
うだうだしていて煮え切らないわたしでは、とうていなれなかった凛々しい少年。

たとえば、『聖闘士星矢』(1986~89)の5人の少年たち。
華やかで、ときにありえないくらいキザなのですが、それがさまになってしまうペガサス星矢ドラゴン紫龍アンドロメダ瞬キグナス氷河フェニックス一輝たち。

たとえば、『鎧伝サムライトルーパー』(1988~89)の5人の少年たち。
ひたむきで、まじめすぎるほどにまじめなのに、それがなにゆえにか色気すら感じさせる烈火のリョウ水滸のシン金剛のシュウ光輪のセイジ天空のトウマたち。

この5人の少年たちの系譜につらなるガンダム作品が『新機動戦記ガンダムW』(1995~96)です。
ヒイロ・ユイデュオ・マックスウェルカトル・ラバーバ・ウィナートロワ・バートン張五飛(ウーフェイ)たち。




池田成……『サムライトルーパー』と『ガンダムW』で降板


『星矢』『サムライトルーパー』ともに大ヒットして、91年ごろまでつづいた美少年アニメブームを牽引した両作品。
そのうちの『サムライトルーパー』にあやかろうとしたのか、『ガンダムW』の監督は『トルーパー』の前半2クールの監督であった池田成。

『トルーパー』では、鎧が脱着できるアクションフィギュア「超弾道」シリーズを売り込むため、玩具メーカーのスポンサーが必殺技のシーンで「超弾道」の文字を画面に入れるよう要求、この無体な要求を拒絶したことにより2クールで降板させられた池田成が再び、サンライズの5人の美少年を主人公にした物語の監督に起用されました。
リョウたちだけでなく、監督もリアルの世界で必死に戦っていたわけです。
(ちなみに、『ガンダムW』では話づくりに凝りに凝りすぎたためスケジュールが破綻し、前半26話で降板しました。『トルーパー』のときといい、妥協しないのが池田成監督の性分のようですね。
さらにちなみに、後任は『ガンダムW』の後番組『機動新世紀ガンダムX』を監督する高松信司監督)




『ガンダムW』の少年たちは演劇的?


わたしは、『ガンダムW』は同じサンライズ作品・池田成監督の『トルーパー』よりも『星矢』に似た印象をもっています。
『トルーパー』の少年たちの描写がひたむきでリアルなのに対し、『星矢』の少年たちはうるわしくカリカチュアされているイメージ。
『星矢』のほうは現実的ではないのですが、『W』もどちらかといえばそちら寄りなのかなあという印象です。
少年たちの行動とセリフが尋常でなくかっこ良いのですが、演劇的なのです。
(トレーズ閣下にいたっては、ギャグとまがう、かぐわしいキザの奥義すら感じます)




純粋すぎる少年たち


10代のころは、『星矢』『トルーパー』の同世代の少年たちがかっこよくてまぶしかった。
20代のころは、一世代ちがう『W』の少年たちが、やはりかっこよくてまぶしかった。
30代、そしていま40代後半……少年たちはいまもまぶしい。
ただ、そこに微量の胸のイタみを感じるようになりました。

小さい子にまっすぐ直視されたとき、心のなかで「うっ」とくることはないでしょうか?
その瞳があまりにまっすぐで純粋すぎて、なにかやましさを感じてしまう。
べつに自分はさほど悪人であるとはおもっていないのですが(自覚してないだけ?)、しかし、なぜか怯んでしまう。
あれとおなじで、少年たちのまっすぐな生き様に、ひときわ異彩を放つさわやかさと、そのなかにちょっと後ろめたさを覚えるように。
30代のいつごろからでしょうか……。

昔は独りよがりながらも、それなりに純粋でまっすぐだったような気がします。
しかし、そのため凹んだり、傷ついたりしているうちに、けっこう物事を迂回して考えるようになってしまった気が。
もちろん、それが一方的に悪いとはおもっていません。
若いころのまっすぐさ、とくに独りよがりでは、なにかと都合が悪い。
協調性などで問題がなくもない。
精神的にも疲弊します。

まっすぐって疲れるんですよね。

しかし、それでも、まっすぐに生きる少年たちのさまは、わたしにはまぶしく、かつ、見ていてちょっとだけ胸がイタみます。
自分を韜晦(とうかい)している、いまの自分へのやましさからでしょうか。
独りよがりとはいえ、それなりにまっすぐだった過去への郷愁からでしょうか。



白って、けっこう、見ていて疲れませんか?
純粋なものを見ていると、ちょっとだけ物悲しくなりませんか?
星矢』『トルーパー』『W』の少年たちを見ていると、ほんの少しだけそんな気分になるんですよね。