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ティターンズ……見られた「見るが良い、この暴虐な行為を」『機動戦士Zガンダム』(&袁術『三国志』)



ティターンズの暴虐


ティターンズの滅亡は、自業自得の典型例の一つ。

戦局がさほどティターンズに不利ではない時点で、民間人をねらったコロニーへの毒ガス注入、コロニーレーザー砲撃、コロニー落としを繰り返したのです。
ティターンズに反抗するとどうなるかの見せしめ……威圧のためでしょうが、それにより起きる反感、敵意といったものに思い及ばなかったのでしょうか。

月のグラナダにコロニー落とし、失敗
サイド2・25バンチに毒ガス攻撃、失敗
サイド2・18バンチをコロニーレーザー試射、半壊
サイド2・21バンチに毒ガス攻撃、住民全員死亡

そこには粗暴なバスク・オムの意思が強くはたらいています。
それに賛同するバスク派ティターンズ幹部の意思も。
そのため反ティターンズ感情はたかまり、ダカールにおけるシャアの演説によりティターンズ離れが加速しました。
ティターンズが追いこまれるなか、総帥のジャミトフはシロッコにより暗殺、ついでティターンズNo2のバスク・オムも(TV版ではシロッコの部下のレコア、劇場版ではシロッコの盟友のヤザンの)裏切りにより暗殺、最終決戦では、奪われたコロニーレーザーにより主力艦隊壊滅、一応のトップにおさまっていたパプテマス・シロッコ戦死によりティターンズは崩壊しました。

UC.0085年の「30バンチ事件」の成功体験が、バスクをはじめティターンズ幹部の頭にはあったのでしょう。
このときは、サイド1・30バンチにおける反地球連邦政府の平和的なデモを、毒ガスG3を注入することで鎮圧しました。
コロニーの住民1500万人もろとも虐殺。
まったく必要のなかった毒ガス攻撃での任務成功が、もとから狂気をやどしていたバスクとティターンズ幹部の心のなかに、さらに凶暴な闇をはらませたのかもしれません。
(ちなみに、総帥ジャミトフは無意味な大量殺戮には消極的でした。
しかし、軍事における指揮権はバスク派に乗っ取られていた形跡があります。
劇場版では、地上のダカールから宇宙を見上げ、バスクたちの無差別殺戮に「歴史的評価」の観点から苦言をもらしていたのが印象的でした)

まことにそれは、シャアのダカール演説での「見るが良い、この暴虐な行為を」であり、「逆らうものはすべてを悪と称しているが、それこそ悪である」ティターンズの体質そのものでした。




袁術『三国志』……この袁術ともあろうものが、ここまで落ちぶれるとは


『三国志』にも、自業自得を地でいく最期をとげた人物がいます。
『三国志』の嫌われ者の一人、袁術(えんじゅつ)(?~199)です。

『三国志』は中国大陸が舞台。
ときは、後漢(25~220)の末期と三国時代(220~280)。
後漢が統治能力をうしなった黄巾の乱(184)から、『三国志』でもっとも有名な戦いである赤壁の戦い(208)、歴史上の中国人のなかで日本人にもっとも人気があるかもしれない諸葛(しょかつ)孔明の死(234)を経て中国が統一される(280)、およそ100年間が『三国志』の主要な時代。

後漢は腐敗し、それが頂点に達したとき後漢王朝に対する民衆の反乱「黄巾の乱」(184)が勃発しました。
ここから天下は麻のごとく乱れ、群雄が割拠、あるものは後漢王朝再興を夢見、あるものは新たなるみずからの王朝をひらく野望を抱きました。

『三国志』といえば、曹操・劉備・孫権に代表される魏・呉・蜀の三国のあらそいが有名ですが、もとは、前王朝の後漢にとってかわり新王朝をひらくのは袁紹(えんしょう)・袁術のどちらかと見なされていました。
二人は、腹違いの兄弟(『袁紹伝』)かいとこ同士(『袁術伝』)。
袁家は、漢王朝の劉家につぐくらいの家格の高い大名門でした。

しかし、二人はその利点を生かせませんでした。
とくに袁術のほうは、無能で信望薄く、あっけなくもその勢力は瓦解します。

袁術は横柄な人間でした。
大名門の子弟であることをいいことに、人を見下すことはなはだしい。
袁術は本妻の子、袁紹は妾腹の子でした(兄弟説によれば)。
しかし、快活で謙虚な妾腹の袁紹の声望のほうが圧倒的に高く、それを妬み、袁紹の出自の低さをことあるごとに持ちだして誹謗中傷を繰り返しました。



袁術は197年、皇帝に即位しましたが、あまりにも時期尚早でした。
いまだ、後漢の皇帝家は多くの信望をあつめていたのです。
というより、時期にかかわらず無謀なくわだてだったかもしれません。
傲慢な袁術はみなから好かれていません。
皇帝としての信任を取りつけることは難しい。
袁術はおのれの名声を勘違いしたのでしょうか、それとも、名門ゆえに好き勝手ばかりしてきたため忍耐のきかない性格だったのでしょうか。

「袁術皇帝」(国名は「仲(ちゅう)」)の在位期間は197~199。
風のように去っていった皇帝でした。
というより、ほぼ誰からも認知されなかった「皇帝」です。

袁術の治めた国は最悪に近い状態になりました。
長江と淮河(わいが)のあいだに建国された地方政権でした。
袁術は奢侈放蕩の生活のために重税を課し、ために宮中には米と肉がありあまっていましたが、領民や兵士は飢え困窮しました。
一説には、人民はたがいに食いあうありさまだったといいます。

袁術の自己中心的な性格は病的だったのかもしれません。



その報いがきます。
袁術の王国は、うちつづく負け戦・悪政・飢饉のために衰退しました。
帝位をゆずることを条件に、袁紹の庇護をもとめます。
袁術は袁紹のもとへ。
しかし、曹操がそれをさまたげ、袁術は袁紹と合流することができませんでした。

ついで、部下をたよって落ち延びましたが、部下は袁術を拒絶。
どこにも安らげる居場所のない「皇帝」。
そうこうするうちに食糧は尽き、麦くず30石しかないありさま。
夏の暑い盛り、蜂蜜入りの飲物を所望しても、蜂蜜もまたなし。
袁術は木の寝台に腰をおろし、ため息をつきました。
やがて大声で、
「この袁術ともあろうものが、ここまで落ちぶれるとは……」
と怒鳴り、寝台に突っ伏し、一斗あまりの吐血をして事切れてしまいました。

自分は贅沢のかぎりを尽くし、民は飢えさせた袁術は、最期は蜂蜜入り飲物すらおもうにまかせず、無念のうちに死んでいったのです。
「袁術ともあろうものが」ではなく、袁術だからこそここまで落ちぶれたのでしょう。

その最期はたしかに哀れを誘いますが、因果応報というしかないでしょう。


カミーユ・ビダン……カミーユ・クローデルの数奇な運命(ロダンとの恋)『機動戦士Zガンダム』



カミーユ・ビダン


カミーユ・ビダンは、自分の名前が女性名であることにコンプレックスをいだいていました。
(ただし、地域によっては「カミーユ」は男性名でもある)
そのため、それをからかった(あるいはカミーユが勝手にそう思いこんだ)ジェリドを殴り、憲兵に逮捕され、留置所から脱走し、グリーンノアを襲撃したエゥーゴと合流、そのままグリプス戦役に身を投じ、波乱の人生をおくることになります。




カミーユ・クローデル


その「カミーユ」のネーミングのモデルになったカミーユ・クローデルは、数奇な人生をおくった女性でした。
もしかしたら、カミーユ・クローデルから「カミーユ」の名を拝借したとき、TV版『Z』ラストにおいてカミーユが精神を喪失する運命は定まったのかもしれません。
カミーユ・クローデルその人が、精神の病におちいり、そのまま人生を閉じた女性なのです。




カミーユ・ビダンとカミーユ・クローデル


クローデルは美しい女性でした。
きわめて美しい。
秀麗な目鼻立ち、物憂げな表情が神秘的。
写真を見てみると、クローデルはカミーユのルックスのモデルにもなったのではないかと、そんな気もします。

黒髪であることもおなじなのですが、ヘアスタイルも似ています。
わたしの個人的感想では、目鼻も酷似しているような。
女性らしい厚い唇を隠して見てみると、驚くほどカミーユに似ているようにおもえるのです。
もちろん、カミーユの名前由来の女性であるというバイアスがそうおもわせるのかもしれませんが。



家族との確執という点でも、2人のカミーユは共通しています。
クローデルは母と。
カミーユはとくに父と。
ただ、恋人に関してカミーユはめぐまれていました。
ファ・ユイリィの献身的な看護は、カミーユの救いであったでしょう。
しかし、もう一方のカミーユは、その恋人にすらめぐまれませんでした。
邪悪ではなかったのかもしれませんが、不実で優柔不断な愛人だったのです。
クローデルは、母の愛にめぐまれず、愛人の誠実さにもめぐまれなかった女性でした。




カミーユ・クローデルとロダン


カミーユ・クローデルは1864年生まれの彫刻家。
芸術家としての豊かな才能、きわだった美貌は、彼女に彫刻家として、かつ一人の女性としての成功を約束しているようにおもえたかもしれません。
しかし、運命はその逆をカミーユ・クローデルに歩ませることになります。

19歳のとき、クローデルはオーギュスト・ロダンに弟子入りします。
ロダンこそが、のちの不実にして優柔不断なクローデルの愛人です。

ロダンは、『考える人』があまりに有名な彫刻界の大巨匠。
ほかにも『カレーの市民』『地獄の門』などの代表作があり、高校世界史の教科書・参考書の常連。
歴史に残る大彫刻家です。

とはいえ、若いころのロダンの人生は順風満帆ではありませんでした。
要求される技術的水準がさほど高くない美術学校に、17歳から3年間にわたり不合格。
まったく相手にされなかったといいます。
入学をあきらめざるをえなかったロダンは、装飾職人になります。
しかし、戦争による不況などもあって、30歳まで家族を養う稼ぎを得られませんでした。

23歳のころには、経済的な援助をしてくれていた姉が亡くなります。
ロダンの紹介した恋人と破局し精神を病んだ姉は、俗世を捨てて修道女になりますが修道院で体調を崩して病没。
ロダンは、知人を姉に紹介したことに激しい罪悪感をいだいていたといいます。

そんなロダンも、40歳のころ、『青銅時代』がパリのサロンに入選、審査員からの絶賛を受け、ロダンの名前は一躍フランスじゅうに知れわたりました。
そして、その盛名を慕い、ロダン42歳のとき、19歳のクローデルが弟子入りします。
モデル兼助手として雇われました。
さほど間を置かず二人は、愛し合うようになります。
15年におよぶ恋がはじまったのです。




女癖の悪い優柔不断なロダン


ロダンには4歳年下の内縁の妻がいました。
入籍はしていませんが、ロダン24歳のときから連れ添う事実上の妻です。
鳴かず飛ばすであったロダンを、物心両面でささえた糟糠(そうこう)の妻でした。
2人のあいだには子供もいます。
妻の名はローズ

以前より、ロダンは浮気を繰り返していました。
クローデルにたいしても、自分から言い寄っていきました。
懲りない男なのです。
クローデルにとっては初恋だったともいいます。

ロダンは、ローズには安らぎと平穏を、クローデルには美貌と才能がもたらす刺激的な関係をもとめたといいます。
ローズとクローデルの双方からどちらを選ぶのか迫られることが幾度もありましたが、ロダンは優柔不断な男でした、答えをいつまでも出せないまま、ずるずるとその関係がつづきます。
私見になりますが、シスターコンプレックスかもしれないロダンは、ローズに亡くなった姉の面影を見ていたのかもしれません。
自分が死なせたのではないかという罪悪感をもつ姉。
姉につつまれるような安らぎと安穏を、ロダンはローズから得ていたのかもしれません。
だとすると、その点でもクローデルは分の悪い恋に身を投じたといえるかもしれません。




カミーユ・クローデル……恋に破れて


クローデルは、ロダンとの結婚を夢見ていました。
しかし、ロダンにはローズを捨てる意思はありませんでした。
ローズは妻、クローデルは美貌の恋人、それがロダンの終始変わらぬスタンスでした。
(一説には、ローズが嫉妬深く、こわくて別れ話を言い出せなかったとも)

20代後半にはロダンの子を身ごもります。
しかし、それを知ったロダンは中絶させます。
この堕胎のころから、徐々にクローデルの精神は崩れはじめたともいわれています。

30代半ば、ロダンとの15年の関係は破綻しました。
クローデルとの恋に疲れたロダンは、ローズのもとへ帰っていったのです。
クローデルの精神はさらに崩れ……。




カミーユ・クローデル、精神病院に


ロダンと別れたあとも、ロダンの影がクローデルにはつきまといます。
傑作をつくりあげてもロダンの模造ということで、だれもクローデルの作品には見向きもしませんでした。
フランスにおいて「我が国の栄光」とまで評されたことのあるクローデルの才能は、ロダンの模倣の一言で片づけられてしまうようになったのです。
作品は売れず、クローデルは極貧に。
友人はなし。
家族からは孤立。
ロダンへの憎しみは募る。
そんななか、40代後半、統合失調症を発症。
1913年、48歳のときにパリ郊外の精神病院に。
第一次世界大戦(1914~1918)の影響で、南仏の精神病院に。
30年間、クローデルは亡くなるまで精神病院に入院しつづけました。




カミーユ・クローデル……家族に恵まれなかった女性


ロダンとの不倫にのめりこんだ要因の一つに、家族からの孤立があったともいいます。
クローデルは、母親に愛されませんでした。
もともと、母親は子供が好きではなかったといいます。
さらにクローデルは、保守的な母親がまったく理解できない芸術に情熱をかたむける娘でした。
クローデルは母に嫌われていたのです。
母と妹は、一度も見舞に来ることはなかったそうです。
4歳下の弟だけが年に一度(数年に一度?)、姉を見舞ったそうです。
それも、弟が結婚し、外交官として国外に赴任すると途絶えがちになったといいます。
クローデルは寂しい女性だったのです。




ロダンの末期(まつご)の言葉「パリに残した、若いほうの妻に逢いたい」


1917年、ローズに死期が迫っていました。
そんななか、ロダンはついに結婚の手続きをしました。
ロダン77歳、ローズ73歳。
50有余年にしてついに結婚。
その影には、クローデルの犠牲がありました。
結婚の16日後にローズ死去。
その9か月後の1917年11月17日、ロダン死去。

ロダン末期の言葉は、
「パリに残した、若いほうの妻に逢いたい」
であったそうです。
これは、クローデルのために喜ぶべきなのでしょうか。
それとも、男の身勝手な願望とののしるべきでしょうか。

女性にもてないわたしなどからすると、都合よくふざけるな、と言いたいところです。
しかし、クローデルのことをおもうと、せめてもの慰めととらえるべきなのでしょうか。

人は、手に入れられないものへの情熱には身を焦がしますが、手に入れたものの大切さには気づきにくいのでしょうか。
もてたらもてたで大変ということですかね?
わたしには、さっぱりその気持ちがわかりません。




カミーユ・クローデルの晩年


晩年のクローデルは、ロダンを憎み、周囲の患者の方たちを見下すことで精神の孤高をたもったといいます。
ロダンへの憎しみはともかく、苦しみを分かちあうべき他の患者の方たちを蔑むというのは哀しいことです。
それだけ、クローデルは寂しい人だったのでしょう。
また、クローデルは終生、故郷に帰ることを望みましたが、その願いがかなうことはついにありませんでした。




カミーユ・クローデルからカミーユ・ビダンへ……


1943年、78歳(79歳)、カミーユ・クローデル没。



1985年、カミーユ・クローデルの「カミーユ」を戴いたカミーユ・ビダン……。



カミーユ・ビダン&富野由悠季……自閉症&アスペルガー&愛着障害『機動戦士Zガンダム』(25年ぶりの城跡公園)



25年ぶりの城跡公園


今日(2019.5.13)、25年ぶりくらいに市内の城跡にもうけられた公園に行ってきました。
南北およそ390m、東西およそ100mの城跡ぜんたいが公園になっているので、まずまずの面積。
うろうろしていると、徒歩で10分といったところでしょうか。
山城ではないですが小さな山(あるいは丘)のうえにある平山城(最大標高およそ56m)なので平坦でなく段差があり、木々や植物などでいたるところが仕切られており、視界がそこここでさえぎられているので、人の目をあまり気にせず園内を散策することができます。

自宅から城跡までそう時間はかからないのですが、なんとなく足が遠のき、そのうちに想い出のままにしておいたほうが良いかもということで25年間が過ぎてしまいました。
今日、おとずれたのは、たんなる気まぐれからでした。




城跡公園の思い出


おとずれてみると、最近ではほぼ忘却していたできごともけっこう思い出すものです。

93、4年ころには、いまは連絡をとっていない友人と大学の夏休みの最後に「さらば、おれたちの夏休み!」などと園内で絶叫していたことを思い出しました。
大学の夏休みほぼ全期間を郷里の栃木に帰っていて、おなじく東京に下宿していた専門学校生の友人とその夏休みはよく遊んでいて、しかし、専門学校の夏休みが終わるのは大学よりかなり早く、一足先にそいつは東京に戻ってしまう、そこで夏休みがもっとつづけばいいのにという気持ちをこめて、(周囲の人たちに聞こえないよう計算して←チキン)絶叫したというわけです。



さかのぼって90年、わたしが大学受験浪人をしていたときには、エロゲー雑誌の切れはしを公園の近傍だか園内だかで発見してしまい、当時10代後半だったわたしは、視界がよそからさえぎられる藤棚の下のベンチでその切れはしにあったエロゲー画像に見入り、興奮するといった一幕もありました。
(なにやっていたんだか、このころのオレ?)
高校のサッカー部のマネージャーが、サッカー部員とどうたらこうたらという作品です。
当時のエロゲーとしては、けっこうきれいな画像でした。
40代後半のいまだと、そんなもの落ちていても「あ、エロ雑誌……」くらいのリアクションしかしませんが、当時は若かった……いまは急速に枯れている!……あのころがなつかしい……。
(年をかさねると、バカみたいなエロ関連の記憶でも妙になつかしくなったりするのよね)

藤棚とベンチは健在でした。
ただ、90年のころのそれではなく、改装されたようで、それなりに新しいものになっていました(とはいえ、それも年月を経てそこそこ古びたものになっていました)。
わたしは、そのベンチに座り、目の前の風景を見てあのころもこんな眺めであったろうかと嘆息しました。
かつての風景は、おぼろげにしか思い出せません。
面影があるような、ないような。
ただ、たしかなことは、エロゲー雑誌の切れはしはもうここにはないということです。
おそらく、世界のどこにもないでしょう。
焼却されたか、風化して塵になったか。
……もしかしたら、家のどこかに隠してあるのを忘れていたりして。




公園の空堀へのかつての不安は「居場所」のなさを象徴していた?


公園には空堀があります。
水のない川を想像してください。
空堀の上には橋がかかっています。
公園の地面から、空堀の底まではだいたい10mくらいでしょうか。
けっこうな落差です。

ここを25年ぶりくらいに目にして、かつて、ここでいだいた感情を久々に思い出しました。
すっかり忘れていた感情。
ここが、かつて、こわかったのです。
なにやら、こわい。
10mの高さから、下の空堀を見ていると、なにやら不安になったのです。

わたしは高所恐怖症なので、単純にそこの高さがこわいというのもあるでしょう。
しかし、それだけではない。
なぜなら、とくに不安になるのは、その空堀の底を人が散歩しているときにとくに感じたからです。

上と下で、なにかちがう世界にいるような。
空堀の底におりていっても、自分は受け入れられないのではないかという感覚。

もしかしたら、それは、自分の「居場所」が世界のどこにもないという感覚なのかもしれません。
空堀の上と下というのは、階段がなく、勾配がそれなりに急で、なかなか上り下りすることがむずかしい。
その行き来のむずかしさが、人間関係のむずかしさを象徴しているようで不安におもっていたのでしょうか。
自分は将来、他人とうまくやっていけるのだろうか、この世界でうまくやっていけるのだろうか、という無意識の不安だったのかもしれません。

しかし、それも後付けの理由でしかありません。
かつての不安の理由などわかりようもなく。
それどころか、その不安を感じていた当の若いころの自分ですら、その不安の理由はわからなかったのです。

ただ、「居場所」のなさというものに関係していたような、していないような……。
わたしの場合、家庭生活は順調でした。
そこに、「居場所」はありました。
しかし、人間関係は幼いころから苦手でした。
人間関係に自信なし。
家庭以外での「居場所」というものは、見つけにくい少年/青年でした。
その不安だったのでしょうかね……。




カミーユ・ビダンは愛着障害?


ガンダムで「居場所」をさがしていた人物といえば、主人公のなかでは『Z』のカミーユでしょうかね。

わたしは、けっこうカミーユ好きです。
富野監督はカミーユのことかなり嫌いみたいですけど(すくなくとも、すさんでいたテレビ版は。聞き分けのよい少年であった劇場版はそうではないのかもしれませんが)、あの心の屈折したキャラクター造形はかなりリアルだったのではないでしょうか?
『Z』本放送のとき、わたしは中学2年でしたがカミーユには共感していました。
少年なんて(そして少女も)、大なり小なり、心が屈折してすさんでいるのはあたりまえなのでは?
(それとも、自分が屈折しすぎだったのか?)



カミーユは、「身の置き所」さがしに苦労している印象でした。
世間や社会どころか、家庭にも「居場所」がなかった。
父は愛人/マルガリータにいれあげていて、母は仕事に夢中(もしかしたら、夫との冷めた関係から現実逃避していたのかも)。

だから、ホモ・アビス(ハングライダーにブースターパックがついたような小型飛行機)の大会で2年連続優勝、ジュニアモビルスーツの大会で優勝、グリーンノアでも有数の空手の使い手になったのかもしれません。
この頑張りも、カミーユが「居場所」をつくるためではなかったろうかと。
好成績をのこせば部活の中心人物になり、ちやほやされる……他人から承認されるのは現実の世界と同様でしょう。

カミーユは「愛着障害」ではなかろうかと、わたしはおもっています。
子供のころに親などからじゅうぶんな愛情を得られず、そのため人間不信になり、人との積極的なかかわりを避けたり、逆に、さびしさから他人に依存したりしてしまうのが「愛着障害」。
他人の評価に依存してしまう承認欲求の高さが、カミーユのホモ・アビスやジュニアモビルスーツの腕前上達の原動力だったのかもしれません。
じっさい、愛着障害の方たちは、その頑張りからか各分野で成功する割合もけっこう高いのです。




カミーユと富野由悠季は自閉症?


愛着障害は、コミュニケーションを他人ととりにくいなど自閉症的な症状を呈します。
(ただし、愛着障害と自閉症にはちがいがあります。
愛着障害は親の愛情不足など、後天的な要因。
自閉症は親の愛情や育て方とは無関係。
遺伝など先天的要因や受胎時/出産時の事故などで脳機能に障害を負ってしまうのが原因です(異説あり)。
だれの責任でもないのが、自閉症なのです)

エマ・シーンに叱られたとき、カミーユみずからが「ぼくは見込みありません、自閉症の子供なんだ」と言い訳をしています。
これは、他人からよく「自閉症的」といわれる富野監督にかぶります。

ただし、ここでつかわれる「自閉症」は慣用的なつかいかたです。
誤用です。
正確な「自閉症」は、まわりの人間と関係をきづくのがむずかしく、特定のことに尋常でなくこだわるうえ、言語能力の遅れ、知的発達の遅れが見られるなどの特徴をおもちの方たち。
カミーユや富野監督には知的発達と言語能力の遅れは見当たりません。
よって、自閉症ではない。
もしかしたら、自閉症に症状が似ていて、同じく遺伝や受胎/出産時のアクシデントなど先天的な要因ながらも、知的/言語発達の遅れは見られないアスペルガー症候群なのかもしれません。

ただし、自閉症やアスペルガー症候群(および発達障害)だから見込みがないというのは、一概にはいえないでしょう。
そのために人生で苦労されたり、他人が簡単にできることをできなかったりと負の側面はあるものの、他人ができない離れ業をやってのける「天才脳」をおもちの方たちもいらっしゃるのが自閉症やアスペルガーの方々。
何年何月何日は何曜日であることを、卓抜した暗記力で一瞬のうちに計算してのけたり。
一度目にしたものを、写真のように一瞬で脳に刻みつけ、かつ忘れにくいというカメラアイの能力があったり。
そこまで顕著な特徴でなくとも、普通に記憶力や暗記力にすぐれていて仕事が有能であったり、学歴が高かったり、芸術的才能に恵まれていたりする方たちもたくさんいらっしゃいます。
この天才性と負の側面と、それらはなにやらカミーユと富野監督に該当するようにおもうのですがいかがでしょう?

まとめるとこのようです。
親の愛情や育て方など後天的な要素が原因の「愛着障害」。
先天的な要素が原因の「自閉症」「アスペルガー症候群」。
そのなかで、知的/言語発達の遅れが見られるのが「自閉症」、そうでないのが「アスペルガー症候群」です。

カミーユと富野監督は、愛着障害かアスペルガー症候群なのかもしれません。
あるいは「自閉症」に似た、なにかほかの症状。
もしくは病気ではないのか。
ただいえるのは、医学が定義する「自閉症」ではなかろうということです。




富野由悠季のカミーユ嫌いは同族嫌悪か?


富野監督も、自分の「居場所」確保に苦慮していた気配があります。
富野由悠季自伝『ターンエーの癒やし』で、親友が一人もおらず、奥さんをのぞいては孤独であったと述懐しています。
親友なしで孤独であるなら、家庭ではともかく、世間に「居場所」はなかったでしょうね。
この著書をかいた2000年ごろには、その孤独感もそれなりにやわらいでいたようですが(現在どうであるかは不明)。

富野監督はテレビ版のカミーユを嫌っていますが、二人はよく似ているようにおもえます、もしかしたらそれは同族嫌悪なのかもしれません。



サラ&カミーユ 若さゆえの過ちか? アイスクリームのコーンを捨てる!!『機動戦士Zガンダム』



カミーユとサラがアイスクリームのコーンを捨てた!


カミーユサラ・ザビアロフがアイスクリームのコーンを捨てた。
それは、わたしにとって衝撃でした。


1985年10月5日 土曜日。
午後5時30分~6時のあいだ。
『Zガンダム』31話 「ハーフムーン・ラブ」においてのことです。



サラはシロッコの命令で、月のフォン・ブラウン市に爆弾を仕掛ける。
港に停泊するアーガマを爆破するため、港に隣接する公園に爆弾を仕掛けます。
その公園で、カミーユがサラを見かける。
25話「コロニーが落ちる日」で、2人には面識がありました。
カミーユは、サラをティターンズから引き離そうとする。
サラには健全なところがあり、スペースノイドを仮借なく弾圧するティターンズにいてはいけない女の子だとカミーユは思っていたのかもしれません。
普通の女の子に戻って欲しかったのです。

そこで、カミーユは説得をはじめる。
そのさいに、サラの心をほぐすためでしょうか、カミーユは公園内で販売しているアイスクリームを買いにゆきます。
逆三角錐のコーンの上に、ドーム形の半円のアイスクリームが載せられた、デパートなどに良くあるアレです。

2人は、公園のベンチに座り、アイスクリームを舐めながら、
「あたし、こんな風にして食べるのはじめて」
「貧しい青春なんだ。みんな、やってるぜ」
などと、他愛のない15歳(サラ)と17歳(カミーユ)の会話をします。
本来は敵同士なのですが、やはり、サラには軍人になり切れない【普通の女の子】の部分が多分に残っているのです。

このあとです。
サラとカミーユはアイスクリームを舐め終わり、ベンチから立ち上がる。
そして……。
コーンをくずかごに捨てる。
なんのためらいもなく、当然のように。

食べないの!?

甘いアイスクリームとからみ合い、絶妙な味のハーモニーを醸しだす、あの香ばしいコーンを!
柔らかなクリームとの対比がアクセントになり、それが心地よい食感をもたらす、パリパリに堅いあのコーンを!

ジェリドがそのさまを目にしたら、ウンチクをかたむけて二人を説教するでしょう。
(ヒント:『美味しんぼ』)

アイスクリーム抜きで、香ばしい味わいのコーンだけでもイケるというのに!




アイスクリームのコーンはうまい!


『Zガンダム』本放送当時、わたしは中学2年生でした。
幼稚園に入る前から、小学校中学年のころまで、地元のデパート屋上のアイスクリームがわたしのごちそうでした。
屋上は小さな遊園地になっていて、デパートでの買い物の帰り、母に連れられてアイスクリームをよく食べていました。
もちろん、コーンも食べます。
バリバリボリボリ、噛みごたえよく、甘さを引き立たせる香ばしさも堪らない。




本放送時、ちょっと話題になったコーンのポイ捨て


その思い出が鮮明だっただけに、サラ&カミーユのコーンぽい捨てにはびっくり。

それは、わたしだけではなかったようで、何ヵ月後かのアニメ誌(たぶん、当時、愛読していたアニメ雑誌『OUT』)にも、「コーンは食べるものなんじゃないの? 普通、食べるでしょ」みたいな旨の投稿が複数載せられていました。
紙面には制限があるので、一つの話題にかんして、しかもコーンぽい捨てなどという小さなできごとについて複数の投稿が掲載されるのは、なにげに凄いことなのです。
それだけ、この「コーンぽい捨て」は当時、(一部のファンの)熱き血潮をさわがせた問題のシーンでした。




あれは、食べられないコーンだったのか?


ただ、比較的最近、あれは食べられないコーンだったのかもしれないなとも思うようになりました。
プラスチックなどでつくられた。
実際、アイスクリームの見本のコーンは、とうもろこしでなく、プラスチックかなにかの硬い素材でできています(しかも、凶器になりそうなくらい重い)。

食文化は変わります。
もしかしたら、アイスクリームを盛るうつわとしてコーンはその外見だけ残ったのであり、食べるという機能については廃れてしまったのかもしれません。
とうもろこしの供給難のさいに、アイスクリームのコーンがダミーに代えられたというような事情があったのかもしれません。
ただ、外見だけは伝統を守りたいということで、逆三角錐の形状は生き残ったというような事情が。

それとも、「アイスクリームのコーンは食べない」文化がどこかにあったのでしょうか?




サラとカミーユとアイスクリームのコーンと……


いずれにしろ、女の子とアイスクリームをいっしょに食べる経験のついぞなかったわたしには、デートとアイスクリームの組み合わせから連想するのは、サラ&カミーユの他愛のない平和な会話とクリームを舐めているじつに幸せそうな二人の顔、そして放物線を描いて?捨てられるコーンの勇姿?であったりするわけです。


『機動戦士Zガンダム ジェリド出撃命令』5 ゲームブックあらすじ/解説(『機動戦士ガンダム0087 ジェリド出撃命令』)



■目次
1. バックランド基地
2. RGM-79-R ガンダム・コピータイプ、MS-14S ゲルググ
3. MAX-07/MAX-11 ドゥラ/ドゥーラ
4. さようなら、ルリア
5. ビクトリーロール
6. ガンダム/(『機動戦士Zガンダム』ヘ)


1.バックランド基地
バックランド基地を目指し、北へ。

基地が見えてくる。
ウェイブ・キャッチャーからの電力が供給されていないため、基地の防衛システムは沈黙したままだった。

着いた。
やっと、最終目的地に着いた。
巨大なバックランド基地が、ジェリドの前に聳え立っている。

ジェリドはハイザックを窪地に隠すと、拳銃と、なにかのときのためにランドムーバー、赤外線ゴーグルを携帯してハイザックを降りた。
ランドムーバーはイヌイットの少女から渡されたものである。
ランドムーバーには、イヌイットのお守りがついている。

レーザー通信で、「グラーフ・ツェッペリン」にバックランド基地の防衛システムが沈黙したことを知らせなければ。
レーザー通信施設の位置は頭に入れてある。

ジェリドは、非常口から潜入する。

ドアにカギがかかっている。
拳銃の台尻でドアを叩き開ける。

その音を聞きつけたか、通路の奥から警備兵がやってくる。
警備兵と交戦。
警備兵を仕留める。

もう一人、警備兵がやってくる。
警備兵と交戦。
警備兵を仕留める。

基地の中へ。
駆ける。

上下にのびるシャフトがあった。
レーザー通信装置は上の階にある。
この中を進めば、エレベーターや非常階段よりも敵に気づかれる可能性は低いだろう。

ジェリドはランドムーバーでシャフトの中を上昇する。

しかし、途中で燃料が切れる。
お守りを外し、ランドムーバーを破棄する。

目の前にドアがある。
ドアを開けると、薄暗い廊下に出た。

赤外線ゴーグルをはめてみる。
旧ジオン公国のエースパイロットだった男がくれたものだ。

赤外線センサー。
いたるところに、赤外線センサーが張られている。

赤外線センサーをよけながら、ジェリドは通路を進む。

階段。
通信室に行く階段があった。
ジェリドは階段を昇る。

昇りきると通信室。
警備兵が一人、そこにはいた。
警備兵と交戦。
警備兵を仕留める。

通信室に駆け込む。
そこに、直径30センチほどの円筒の機械があった。
通信用レーザー送信機である。
グラーフ・ツェッペリンの座標にレーザー通信を行う。

しかし、返事がない。
なんということだろう。
ここまで来たのに、任務遂行が不可能になるとは。


2. RGM-79-R ガンダム・コピータイプ、MS-14S ゲルググ
ジェリドは基地からの逃走に移る。

とある場所のシャッター。
シャッターが……。
開いた。

そこに2機のMS。
……ガンダムとゲルググ。

RGM-79-R ガンダム・コピータイプ
MS-14S ゲルググ

MSには、それぞれ、アムロシャアの戦闘能力をインプットされた強化人間が搭乗している。
(バックランド基地は、極秘裏に強化人間の研究をしている。
その成果の一つである。
ただし、戦闘能力をインプットするなどということが可能なのか?)

しかも、基地の外の窪地に隠したハイザックがそこに用意されていた。
まったく意味がわからない。

しかし、ジェリドはハイザックで戦うしかない。
乗り込むと、機体チェック。
機動値もハイパーライフルの弾丸も完全に回復している。
意味がわからない。

まずは……。

「MS-14S ゲルググ
機動値:13
装甲:C
(機動値の高さは、近代化改修されたものだからだろう)

武器は、ビームナギナタ。

シャア・アズナブルの能力をインプットした強化人間がパイロット。

しかし、コピーはコピーでしかないのか……。
ゲルググと対戦。
ゲルググ撃破。

次なる敵は……。
「RGM-79-R ガンダム・コピータイプ
機動値:15
装甲:B
(機動値、装甲、ともに高い)

武器は、ビームサーベル。

アムロ・レイの能力をインプットした強化人間がパイロット。

(それにしても、RGM-79-Rという型式が気になる。
ガンダムタイプなのに、RXではない。
RGMである。
ジム系のR型であるジムIIを改修してRX-78の性能に近づけたともいうが、詳細はまったくの不明である。

ジムIIベースにしては、相当な高性能機。
装甲をガンダリウムにして、内部も入念な改修を施したのか?

ジム系から改修したガンダムタイプには、RX-121 ガンダムTR-1[ヘイズル]がある。(『ADVANCE OF Z ティターンズの旗のもとに』)
「RGM-79Q ジム・クゥエル」をベースに、ガンダムタイプの頭部と機体各部に強化を施したMS。
ガンダムTR-1[ヘイズル]は、ティターンズの次期主力MS開発計画の一環として開発された。
RGM-79-Rも、次期主力MS開発計画の一環なのだろうか?
それとも、RGM-79 ジムにとってのRX-78 ガンダムのような、量産期を開発するための試作機/テストベッドなのだろうか?)

ハイザックとガンダム・コピータイプが対峙する。
そのときだった……。

ルリア……。

ガンダムを目の前にして、ジェリドは想い出した。

ガンダムの写真集
湖畔
アイルランド
幼い少女と少年
長い髪の少女

ジェリドが少年の頃、観光でアイルランドを訪れたときだった。
そこで出会った長い髪の少女と、ガンダムの記録写真集を一緒に見て「なんてかっこいいんだろう」と話し合ったことを……。
少女は湖のほとりに住んでいた。
名前を「ルリア」といった。

そのルリアに、イヌイットの少女は良く似ている……。

ルリア……。

ガンダム・コピータイプと対戦する。
ガンダム・コピータイプ撃破。


3. MAX-07/MAX-11 ドゥラ/ドゥーラ
ここはドーム状の建物である。
その壁面からビーム砲が多数、出現した。

全砲塔が、ハイザックに狙いを定めていた。
トラップだ。

あまりに多い。
多すぎて、よけきれないだろう。
ジェリドは、死を覚悟した。

そのとき、ドームの天井が崩れた。
ビーム砲が破壊された。

エマカクリコンのハイザックが現れた。
じつは、グラーフ・ツェッペリンは、ジェリドのレーザー通信を受信していた。
しかし、武装勢力のMSM-10 ゾックの攻撃を受け、グラーフ・ツェッペリンの送信装置が破壊されていた。
受信はしたが、確認の返信を送ることができなかったのだ。

すでにバックランド基地の大部分は抑えているという。
ケルベロス」は取り戻した。
グラーフ・ツェッペリンは、バックランド基地北方近傍のコンツェビュー海峡沖まで侵攻している。
RGM-79-RやMS-14Sと戦っている最中に、ジェリドの知らぬところでオペレーションは着々と進展していたのである。

ジェリドたちは、今回のテロ事件の首謀者の居場所を探ることにした。
武装勢力の指揮官は、いまだ健在である。

そのときだった。
地下から、なにかが迫り上がってくる。

大きい。
あまりにも大きい。
MSなのだろうか?
それにしては、大きすぎる。

ハイザックのコンピューターが推測した全高は70mである。
(データ上は、全高68.3m)
MSM-10 ゾックは全高23.9m。
MA-08 ビグ・ザムは全高59.6m。
AMX-002(AMA-002、AMA-X2) ノイエ・ジールは全高76.6m。

「MAX-11(MAX-07/MAX-09) ドゥラ(ドゥーラ/ドーラ)」
(87年発売ケイブンシャ版では「MAX-07 ドゥラ/ドゥーラ」。
89年発売バンダイ版では「MAX-11 ドゥラ」)

巨大MA(モビルアーマー)。
(MAXのMAは「モビルアーマー」、Xは「試作機」の意味だろうか?
ただし、87年ケイブンシャ版ではMAではなく「超重モビルスーツ」に分類されている)
全高 68.3m
本体重量 685.7t
(全高/本体重量ともに87年ケイブンシャ版による)

ジオン公国が、一年戦争終戦間際、「MA-08 ビグ・ザム」と同一コンセプトのもと開発したモビルアーマー(87年ケイブンシャ版では「重モビルスーツ」)。
試作機一機のみが製作された。
ビグ・ザムの敗因を分析し、接近戦用兵器(ビームサーベル)を装備。
機動砲台的運用が、もともとの開発コンセプト。

武装:
高出力ビーム砲 3門(胸部の可動式装甲が開くと現れる)
対空用小口径レーザー砲 5門
ビームサーベル・マニュピレーター 2本

顔らしきものはなく、最頂部に巨体に似合わぬ小さなモノアイが一つ。
足とおぼしき足はなく、体を支える2基の支柱めいたものがある。
腕部もなく、ただ、腹部から接近戦用のビームサーベルを先端に固定させた2本のマニュピレーターが突き出ている。

胸部に内蔵された3門の高出力ビーム砲は、部隊を一つ消滅させるほどの威力を持つ。
ビームサーベル・マニュピレーターは、PMX-003 ジ・Oの隠し腕のような外観をしている。
ビグ・ザムと同様、Iフィールド・バリアーがあるので、ビーム兵器は効き目が大幅に減殺される。

乗員は通常4名、ただし1名でも操縦可。
(ビグ・ザムは通常3名で、1名でも操縦可)

終戦直前、ジオン公国みずからの手により破壊されたと連邦の資料には記載されていたが、それは偽りだったらしい。

機動値:20
装甲:A

(87年ケイブンシャ版と89年バンダイ版でイラストがまったく違う。
89年バンダイ版では、ビグ・ザム的な外観。
87年ケイブンシャ版は、ジ・Oに似た外観をしている。
だが、脚部がバーニアユニットになっている。
腹部から突き出た隠し腕のようなマニュピレーターはあるが、肩部から続く腕部はない。
ちなみに、87年ケイブンシャ版のイラストは、ジ・Oのデザイナーである小林誠が担当している)

ド・ダイ改に乗ってMS増援部隊がやってくる。
数的有利は決定的だった。
しかし……。

ドゥラの胸部装甲が開く。
高出力ビーム砲3門が突き出る。
高出力ビーム砲が放たれた。
ビームを放つと巨大な火球が形作られた。
火球はキノコ雲に変わる。

火球に呑み込まれて、MS増援部隊は一瞬のうちに灰燼に帰した。
圧倒的な火力だった。

沖にいる洋上のグラーフ・ツェッペリンをも、火球は呑み込もうとしていた。
グラーフ・ツェッペリンは、危ういところを辛うじて逃れた。
しかし、いつまでも逃げ切れるものではない。

ジェリドエマカクリコンに戦慄が走る。
(それは、一年戦争のソロモン攻略戦のとき、連邦の将兵がビグ・ザムに抱いた戦慄と同様のものかもしれない)

ジェリドエマカクリコンは、グラーフ・ツェッペリンを護るために戦うことを決意した。

ジェリドは「重装ビームキヤノン砲 グスタフ」と「ハイパーライフル」。
エマは「ビームライフル」。
カクリコンは「バズーカ」。

ドゥラと交戦する。
ジェリドは、「グスタフ」の残り2発をドゥラに叩き込む。
重装ビームキャノン砲2発をもってしても、Iフィールド・バリアーを張り巡らせたドゥラは沈まない。
しかし、ダメージは着実に与えた。
半壊といったところか。

ただし、そのあとが続かない。
ハイパーライフル、ビームライフル、バズーカでは、ダメージなしか、微々たるものしか与えられない。

ジェリドエマカクリコンは白兵戦を仕掛ける。
ドゥラは、腹部から突き出た2本のビームサーベル・マニュピレーターで迎え撃つ。

ドゥラと交戦する。
ドゥラを撃破。

ドゥラは炎を噴き上げ、後方に倒れた。
爆発四散する。


4. さようなら、ルリア
ジェリドエマカクリコンは戦い終えて、MSを降りた。
(このときの3人を包みこんでいるのは、勝利の満足感だろうか、生命を燃焼させて戦った過度な緊張が解けたことによる虚脱感だろうか?)

3人の前に、ホバー上陸用装甲車が止まる。
兵士たちが降りてくる。
みな、20歳前後の若者たちだった。

その中で一番階級が高いと思われる青年が進み出て、ジェリドたちに敬礼した。
アラスカ第18辺境警備隊所属のトム・クルージング上等兵だという。

彼らは、イヌイットの人々を避難させていたという。
イヌイットの人たちの中に、あのイヌイットの少女もいた。

ジェリドたちは、事後処理をトム・クルージング上等兵に任せた。

グラーフ・ツェッペリンへの帰還の刻だ。

ジェリドは心の中でつぶやいた。
さようなら、ルリア


5.ビクトリーロール
グラーフ・ツェッペリンのブリッジでは、バスク・オムが湯気の立つコーヒーのカップを手にしていた。
ジェリドの労をねぎらおうと待っている。

ジェリドの搭乗するド・ダイ改が、グラーフ・ツェッペリンの甲板上空に飛来した。
英雄の帰還だった。

すぐさま、ジェリドはド・ダイ改でビクトリーロールを演じる。
(ビクトリーロールとは、敵機を撃墜し、無事に帰還した戦闘機乗りがそれを記念して行うもの。
帰還時、航空基地、あるいは航空母艦の上空で、エルロンロールを打つ。
エルロンロールとは、やや機首を上げ、右か左いっぱいにエルロン(補助翼)を当てて横転する曲技機動のこと)

凄まじい衝撃波がブリッジを襲う。
バスクは、手にしていたコーヒーをコートにこぼした。

わずかに微笑みを浮かべ、バスクは独りつぶやいた。
「たいした男だ……」


6.ガンダム
/(『機動戦士Zガンダム』へ)
ジェリドエマカクリコンの3人は、バスクから卒業を言い渡された。
3人は、中尉に任官された。
正式なティターンズの一員にもなった。

2か月後、宇宙にあるティターンズの拠点、グリーンオアシスに上がることになった。
そこで、ティターンズのシンボルとなる最新鋭機 RX-178 ガンダムMk-IIのテストパイロットを務めることになった。

少年のころからの憧れのガンダム
ルリアと記録写真集をともに見たガンダム……。


U.C.0087年1月12日、グラーフ・ツェッペリンは通常航路へと戻った。


『機動戦士Zガンダム/第一話 黒いガンダム』につづく(かもしれない) 



『ジェリド出撃命令』序へ
『ジェリド出撃命令』1へ
『ジェリド出撃命令』2へ
『ジェリド出撃命令』3へ
『ジェリド出撃命令』4へ


(参考文献:『総解説 ガンダム事典』講談社、『ENTERTAINMENT BIBLE.1 機動戦士ガンダム MS大図鑑【PART.1 一年戦争編】』バンダイ、『機動戦士ガンダム 一年戦争外伝 データコレクション3』メディアワークス、『機動戦士Zガンダム 上巻 データコレクション4』メディアワークス、『機動戦士Zガンダム大辞典』ラポート、『ガンダムの常識 一年戦争モビルスーツ大全』双葉社、『ガンダムの常識 モビルスーツ大全 Z&ZZ&逆シャア編』双葉社)