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カミーユ・ビダン……カミーユ・クローデルの数奇な運命(ロダンとの恋)『機動戦士Zガンダム』




カミーユ・ビダンは、自分の名前が女性名であることにコンプレックスをいだいていました。
(ただし、地域によっては「カミーユ」は男性名でもある)
そのため、それをからかった(あるいはカミーユが勝手にそう思いこんだ)ジェリドを殴り、憲兵に逮捕され、留置所から脱走し、グリーンノアを襲撃したエゥーゴと合流、そのままグリプス戦役に身を投じ、波乱の人生をおくることになります。

その「カミーユ」のネーミングのモデルになったカミーユ・クローデルは、数奇な人生をおくった女性でした。
もしかしたら、カミーユ・クローデルから「カミーユ」の名を拝借したとき、TV版『Z』ラストにおいてカミーユが精神を喪失する運命は定まったのかもしれません。
カミーユ・クローデルその人が、精神の病におちいり、そのまま人生を閉じた女性なのです。



クローデルは美しい女性でした。
きわめて美しい。
秀麗な目鼻立ち、物憂げな表情が神秘的。
写真を見てみると、クローデルはカミーユのルックスのモデルにもなったのではないかと、そんな気もします。

黒髪であることもおなじなのですが、ヘアスタイルも似ています。
わたしの個人的感想では、目鼻も酷似しているような。
女性らしい厚い唇を隠して見てみると、驚くほどカミーユに似ているようにおもえるのです。
もちろん、カミーユの名前由来の女性であるというバイアスがそうおもわせるのかもしれませんが。



家族との確執という点でも、2人のカミーユは共通しています。
クローデルは母と。
カミーユはとくに父と。
ただ、恋人に関してはカミーユはめぐまれていました。
ファ・ユイリィの献身的な看護は、カミーユの救いであったでしょう。
しかし、もう一方のカミーユは、その恋人にすらめぐまれませんでした。
邪悪ではなかったのかもしれませんが、不実で優柔不断な愛人だったのです。
クローデルは、母の愛にめぐまれず、愛人の誠実さにもめぐまれなかった女性でした。



カミーユ・クローデルは1864年生まれの彫刻家。
芸術家としての豊かな才能、きわだった美貌は、彼女に彫刻家として、かつ一人の女性としての成功を約束しているようにおもえたかもしれません。
しかし、運命はその逆をカミーユ・クローデルに歩ませることになります。

19歳のとき、クローデルはオーギュスト・ロダンに弟子入りします。
ロダンこそが、のちの不実にして優柔不断なクローデルの愛人です。

ロダンは、『考える人』があまりに有名な彫刻界の大巨匠。
ほかにも『カレーの市民』『地獄の門』などの代表作があり、高校世界史の教科書・参考書の常連。
歴史に残る大彫刻家です。

とはいえ、若いころのロダンの人生は順風満帆ではありませんでした。
要求される技術的水準がさほど高くない美術学校に、17歳から3年間にわたり不合格。
まったく相手にされなかったといいます。
入学をあきらめざるをえなかったロダンは、装飾職人になります。
しかし、戦争による不況などもあって、30歳まで家族を養う稼ぎを得られませんでした。

23歳のころには、経済的な援助をしてくれていた姉が亡くなります。
ロダンの紹介した恋人と破局し精神を病んだ姉は、俗世を捨てて修道女になりますが修道院で体調を崩して病没。
ロダンは、知人を姉に紹介したことに激しい罪悪感をいだいていたといいます。

そんなロダンも、40歳のころ、『青銅時代』がパリのサロンに入選、審査員からの絶賛を受け、ロダンの名前は一躍フランスじゅうに知れわたりました。
そして、その盛名を慕い、ロダン42歳のとき、19歳のクローデルが弟子入りします。
モデル兼助手として雇われました。
さほど間を置かず二人は、愛し合うようになります。
15年におよぶ恋がはじまったのです。



ロダンには4歳年下の内縁の妻がいました。
入籍はしていませんが、ロダン24歳のときから連れ添う事実上の妻です。
鳴かず飛ばすであったロダンを、物心両面でささえた糟糠(そうこう)の妻でした。
2人のあいだには子供もいます。
妻の名はローズ

以前より、ロダンは浮気を繰り返していました。
クローデルにたいしても、自分から言い寄っていきました。
懲りない男なのです。
クローデルにとっては初恋だったともいいます。

ロダンは、ローズには安らぎと平穏を、クローデルには美貌と才能がもたらす刺激的な関係をもとめたといいます。
ローズとクローデルの双方からどちらを選ぶのか迫られることが幾度もありましたが、ロダンは優柔不断な男でした、答えをいつまでも出せないまま、ずるずるとその関係がつづきます。
私見になりますが、シスターコンプレックスかもしれないロダンは、ローズに亡くなった姉の面影を見ていたのかもしれません。
自分が死なせたのではないかという罪悪感をもつ姉。
姉につつまれるような安らぎと安穏を、ロダンはローズから得ていたのかもしれません。
だとすると、その点でもクローデルは分の悪い恋に身を投じたといえるかもしれません。



クローデルは、ロダンとの結婚を夢見ていました。
しかし、ロダンにはローズを捨てる意思はありませんでした。
ローズは妻、クローデルは美貌の恋人、それがロダンの終始変わらぬスタンスでした。
(一説には、ローズが嫉妬深く、こわくて別れ話を言い出せなかったとも)

20代後半にはロダンの子を身ごもります。
しかし、それを知ったロダンは中絶させます。
この堕胎のころから、徐々にクローデルの精神は崩れはじめたともいわれています。

30代半ば、ロダンとの15年の関係は破綻しました。
クローデルとの恋に疲れたロダンは、ローズのもとへ帰っていったのです。
クローデルの精神はさらに崩れ……。



ロダンと別れたあとも、ロダンの影がクローデルにはつきまといます。
傑作をつくりあげてもロダンの模造ということで、だれもクローデルの作品には見向きもしませんでした。
フランスにおいて「我が国の栄光」とまで評されたことのあるクローデルの才能は、ロダンの模倣の一言で片づけられてしまうようになったのです。
作品は売れず、クローデルは極貧に。
友人はなし。
家族からは孤立。
ロダンへの憎しみは募る。
そんななか、40代後半、統合失調症を発症。
1913年、48歳のときにパリ郊外の精神病院に。
第一次世界大戦(1914~1918)の影響で、南仏の精神病院に。
30年間、クローデルは亡くなるまで精神病院に入院しつづけました。



ロダンとの不倫にのめりこんだ要因の一つに、家族からの孤立があったともいいます。
クローデルは、母親に愛されませんでした。
もともと、母親は子供が好きではなかったといいます。
さらにクローデルは、保守的な母親がまったく理解できない芸術に情熱をかたむける娘でした。
クローデルは母に嫌われていたのです。
母と妹は、一度も見舞に来ることはなかったそうです。
4歳下の弟だけが年に一度(数年に一度?)、姉を見舞ったそうです。
それも、弟が結婚し、外交官として国外に赴任すると途絶えがちになったといいます。
クローデルは寂しい女性だったのです。



1917年、ローズに死期が迫っていました。
そんななか、ロダンはついに結婚の手続きをしました。
ロダン77歳、ローズ73歳。
50有余年にしてついに結婚。
その影には、クローデルの犠牲がありました。
結婚の16日後にローズ死去。
その9か月後の1917年11月17日、ロダン死去。

ロダン末期(まつご)の言葉は、
「パリに残した、若いほうの妻に逢いたい」
だったそうです。
これは、クローデルのために喜ぶべきなのでしょうか。
それとも、男の身勝手な願望とののしるべきでしょうか。

女性にもてないわたしなどからすると、都合よくふざけるな、と言いたいところです。
しかし、クローデルのことをおもうと、せめてもの慰めととらえるべきなのでしょうか。

人は、手に入れられないものへの情熱には身を焦がしますが、手に入れたものの大切さには気づきにくいのでしょうか。
もてたらもてたで大変ということですかね?
わたしには、さっぱりその気持ちがわかりません。



晩年のクローデルは、ロダンを憎み、周囲の患者の方たちを見下すことで精神の孤高をたもったといいます。
ロダンへの憎しみはともかく、苦しみを分かちあうべき他の患者の方たちを蔑むというのは哀しいことです。
それだけ、クローデルは寂しい人だったのでしょう。
また、クローデルは終生、故郷に帰ることを望みましたが、その願いがかなうことはついにありませんでした。



1943年、78歳(79歳)、カミーユ・クローデル没。



1985年、カミーユ・クローデルの「カミーユ」を戴いたカミーユ・ビダン……。



カミーユ・ビダン&富野由悠季……自閉症&アスペルガー&愛着障害『機動戦士Zガンダム』(25年ぶりの城跡公園)




今日(2019.5.13)、25年ぶりくらいに市内の城跡にもうけられた公園に行ってきました。
南北およそ390m、東西およそ100mの城跡ぜんたいが公園になっているので、まずまずの面積。
うろうろしていると、徒歩で10分といったところでしょうか。
山城ではないですが小さな山(あるいは丘)のうえにある平山城(最大標高およそ56m)なので平坦でなく段差があり、木々や植物などでいたるところが仕切られており、視界がそこここでさえぎられているので、人の目をあまり気にせず園内を散策することができます。

自宅から城跡までそう時間はかからないのですが、なんとなく足が遠のき、そのうちに想い出のままにしておいたほうが良いかもということで25年間が過ぎてしまいました。
今日、おとずれたのは、たんなる気まぐれからでした。



おとずれてみると、最近ではほぼ忘却していたできごともけっこう思い出すものです。

93、4年ころには、いまは連絡をとっていない友人と大学の夏休みの最後に「さらば、おれたちの夏休み!」などと園内で絶叫していたことを思い出しました。
大学の夏休みほぼ全期間を郷里の栃木に帰っていて、おなじく東京に下宿していた専門学校生の友人とその夏休みはよく遊んでいて、しかし、専門学校の夏休みが終わるのは大学よりかなり早く、一足先にそいつは東京に戻ってしまう、そこで夏休みがもっとつづけばいいのにという気持ちをこめて、(周囲の人たちに聞こえないよう計算して←チキン)絶叫したというわけです。

さかのぼって90年、わたしが大学受験浪人をしていたときには、エロゲー雑誌の切れはしを公園の近傍だか園内だかで発見してしまい、当時10代後半だったわたしは、視界がよそからさえぎられる藤棚の下のベンチでその切れはしにあったエロゲー画像に見入り、興奮するといった一幕もありました。
(なにやってたんだか、このころのオレ?)
高校のサッカー部のマネージャーが、サッカー部員とどうたらこうたらという作品です。
当時のエロゲーとしては、けっこうきれいな画像でした。
40代後半のいまだと、そんなもの落ちていても「あ、エロ雑誌……」くらいのリアクションしかしませんが、当時は若かった……いまは急速に枯れている!……あのころがなつかしい……。
(年をかさねると、バカみたいなエロ関連の記憶でも妙になつかしくなったりするのよね)

藤棚とベンチは健在でした。
ただ、90年のころのそれではなく、改装されたようで、それなりに新しいものになっていました(とはいえ、それも年月を経てそこそこ古びたものになっていました)。
わたしは、そのベンチに座り、目の前の風景を見てあのころもこんな眺めであったろうかと嘆息しました。
かつての風景は、おぼろげにしか思い出せません。
面影があるような、ないような。
ただ、たしかなことは、エロゲー雑誌の切れはしはもうここにはないということです。
おそらく、世界のどこにもないでしょう。
焼却されたか、風化して塵になったか。
……もしかしたら、家のどこかに隠してあるのを忘れていたりして。



公園には空堀があります。
水のない川を想像してください。
空堀の上には橋がかかっています。
公園の地面から、空堀の底まではだいたい10mくらいでしょうか。
けっこうな落差です。

ここを25年ぶりくらいに目にして、かつて、ここでいだいた感情を久々に思い出しました。
すっかり忘れていた感情。
ここが、かつて、こわかったのです。
なにやら、こわい。
10mの高さから、下の空堀を見ていると、なにやら不安になったのです。

わたしは高所恐怖症なので、単純にそこの高さがこわいというのもあるでしょう。
しかし、それだけではない。
なぜなら、とくに不安になるのは、その空堀の底を人が散歩しているときにとくに感じたからです。

上と下で、なにかちがう世界にいるような。
空堀の底におりていっても、自分は受け入れられないのではないかという感覚。

もしかしたら、それは、自分の「居場所」が世界のどこにもないという感覚なのかもしれません。
空堀の上と下というのは、階段がなく、勾配がそれなりに急で、なかなか上り下りすることがむずかしい。
その行き来のむずかしさが、人間関係のむずかしさを象徴しているようで不安におもっていたのでしょうか。
自分は将来、他人とうまくやっていけるのだろうか、この世界でうまくやっていけるのだろうか、という無意識の不安だったのかもしれません。

しかし、それも後付けの理由でしかありません。
かつての不安の理由などわかりようもなく。
それどころか、その不安を感じていた当の若いころの自分ですら、その不安の理由はわからなかったのです。

ただ、「居場所」のなさというものに関係していたような、していないような……。
わたしの場合、家庭生活は順調でした。
そこに、「居場所」はありました。
しかし、人間関係は幼いころから苦手でした。
人間関係に自信なし。
家庭以外での「居場所」というものは、見つけにくい少年/青年でした。
その不安だったのでしょうかね……。





ガンダムで「居場所」をさがしていた人物といえば、主人公のなかでは『Z』のカミーユでしょうかね。

わたしは、けっこうカミーユ好きです。
富野監督はカミーユのことかなり嫌いみたいですけど(すくなくとも、すさんでいたテレビ版は。聞き分けのよい少年であった劇場版はそうではないのかもしれませんが)、あの心の屈折したキャラクター造形はかなりリアルだったのではないでしょうか?
『Z』本放送のとき、わたしは中学2年でしたがカミーユには共感していました。
少年なんて(そして少女も)、大なり小なり、心が屈折してすさんでいるのはあたりまえなのでは?
(それとも、自分が屈折しすぎだったのか?)



カミーユは、「身の置き所」さがしに苦労している印象でした。
世間や社会どころか、家庭にも「居場所」がなかった。
父は愛人/マルガリータにいれあげていて、母は仕事に夢中(もしかしたら、夫との冷めた関係から現実逃避していたのかも)。

だから、ホモ・アビス(ハングライダーにブースターパックがついたような小型飛行機)の大会で2年連続優勝、ジュニアモビルスーツの大会で優勝、グリーンノアでも有数の空手の使い手になったのかもしれません。
この頑張りも、カミーユが「居場所」をつくるためではなかったろうかと。
好成績をのこせば部活の中心人物になり、ちやほやされる……他人から承認されるのは現実の世界と同様でしょう。

カミーユは「愛着障害」ではなかろうかと、わたしはおもっています。
子供のころに親などからじゅうぶんな愛情を得られず、そのため人間不信になり、人との積極的なかかわりを避けたり、逆に、さびしさから他人に依存してしまうのが「愛着障害」。
他人の評価に依存してしまう承認欲求の高さが、カミーユのホモ・アビスやジュニアモビルスーツの腕前上達の原動力だったのかもしれません。
じっさい、愛着障害の方たちは、その頑張りからか各分野で成功する割合もけっこう高いのです。



愛着障害は、コミュニケーションを他人ととりにくいなど自閉症的な症状を呈します。
(ただし、愛着障害と自閉症にはちがいがあります。
愛着障害は親の愛情不足など、後天的な要因。
自閉症は親の愛情や育て方とは無関係。
遺伝など先天的要因や受胎時/出産時の事故などで脳機能に障害を負ってしまうのが原因です(異説あり)。
だれの責任でもないのが、自閉症なのです)

エマ・シーンに叱られたとき、カミーユみずからが「ぼくは見込みありません、自閉症の子供なんだ」と言い訳をしています。
これは、他人からよく「自閉症的」といわれる富野監督にかぶります。

ただし、ここでつかわれる「自閉症」は慣用的なつかいかたです。
誤用です。
正確な「自閉症」は、まわりの人間と関係をきずくのがむずかしく、特定のことに尋常でなくこだわるうえ、言語能力の遅れ、知的発達の遅れが見られるなどの特徴をおもちの方たち。
カミーユや富野監督には知的発達と言語能力の遅れは見当たりません。
よって、自閉症ではない。
もしかしたら、自閉症に症状が似ていて、同じく遺伝や受胎/出産時のアクシデントなど先天的な要因ながらも、知的/言語発達の遅れは見られないアスペルガー症候群なのかもしれません。

ただし、自閉症やアスペルガー症候群(および発達障害)だから見込みがないというのは、一概にはいえないでしょう。
そのために人生で苦労されたり、他人が簡単にできることをできなかったりと負の側面はあるものの、他人ができない離れ業をやってのける「天才脳」をおもちの方たちもいらっしゃるのが自閉症やアスペルガーの方々。
何年何月何日は何曜日であることを、卓抜した暗記力で一瞬のうちに計算してのけたり。
一度目にしたものを、写真のように一瞬で脳に刻みつけ、かつ忘れにくいというカメラアイの能力があったり。
そこまで顕著な特徴でなくとも、普通に記憶力や暗記力にすぐれていて仕事が有能であったり、学歴が高かったり、芸術的才能に恵まれていたりする方たちもたくさんいらっしゃいます。
この天才性と負の側面と、それらはなにやらカミーユと富野監督に該当するようにおもうのですがいかがでしょう?

まとめるとこのようです。
親の愛情や育て方など後天的な要素が原因の「愛着障害」。
先天的な要素が原因の「自閉症」「アスペルガー症候群」。
そのなかで、知的/言語発達の遅れが見られるのが「自閉症」、そうでないのが「アスペルガー症候群」です。

カミーユと富野監督は、愛着障害かアスペルガー症候群なのかもしれません。
あるいは「自閉症」に似た、なにかほかの症状。
もしくは病気ではないのか。
ただいえるのは、医学が定義する「自閉症」ではなかろうということです。



富野監督も、自分の「居場所」確保に苦慮していた気配があります。
富野由悠季自伝『ターンエーの癒やし』で、親友が一人もおらず、奥さんをのぞいては孤独であったと述懐しています。
親友なしで孤独であるなら、家庭ではともかく、世間に「居場所」はなかったでしょうね。
この著書をかいた2000年ごろには、その孤独感もそれなりにやわらいでいたようですが(現在どうであるかは不明)。

富野監督はテレビ版のカミーユを嫌ってますが、二人はよく似ているようにおもえます、もしかしたらそれは同族嫌悪なのかもしれません。