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人のいない神社がいい……神社は癒やしと歴史にあふれている



神社めぐり


昨日(2019.7.24)、運動不足解消・体力づくりがてら、自転車で地元栃木の神社をまわってきました。

ワケあって(勉強に関するつまらない理由ですが)、2012年ごろから多忙の身でして、そのころから外出もめっきり減り、最近ではますます外出する時間を捻出するのに苦労しています。
どうも、わたしには時間を浪費する才能が旺盛にあるようで、忙しい身でありながら物事をスピーディーにさばけない。
エンジンが切れたように、ぼうっとしている時間も多い。
寝る時間も、ムダに多い。
そのような障害を乗り越えて外出・遠出の時間をひねりだすので、わたしにとって外出の時間はたいへん貴重なものになっています。

2010~2012年以前は、年中、自転車であっちをふらふらこっちをふらふら(20年前後わずらっていた記憶の障害のリハビリという意味もありましたが)していたころとくらべると、別の人生を歩んでいるような変わりようです。




神社は癒やしの空間


わたしの好きな神社は、ほぼ参詣人がいないところです。
大神社でなく、小さい神社。
周囲に人家がまばらな神社。
山麓や、森林や、田園地帯の、人家から隔絶したところならなお良し。

そのような神社は、祭りや祭礼のときなどをのぞいては、訪れる人もごくまれです。
人口過密でない地方の小さな神社だと、100のうち2、3度、人に会うくらいでしょうか。
ほぼ、人に会うことはありません。

さらに、神社の周囲は、鳥居のある入口以外は林で外界から区切られている場合がほとんどです。
無人の度合いは、そのため、さらに濃くなります。

そんななか、一人になり、ゆったりとした時間に身をまかせるのがたまらないのです。
なにも考えず頭をからっぽにして、うまい空気、神秘的な雰囲気のなかにいると癒やされます。

想像力の開放も癒やしてくれます。
非日常的な神や神獣などのイマジネーションが、世俗にまみれ硬くなった心をちょっとやわらげてくれるのです。



神社には歴史が積もり積もっている


歴史・神話好きというのも、神社巡りの理由からはずせません。

昔から人々が願い事をした神社の境内には、人々の喜びや悲しみが染みついています。
人々の歴史がそこにはあります。

神殿や彫刻にも長い歴史を刻んだものがあり、歴史好きにはたまらない空間です。
神や龍や仙人の彫刻は古びて、社殿には歴史の星霜が積もり積もっています。
なかには、古来より学問をする人々にとって憧れの的である、中国の三国時代、酒を飲みながら気ままに老荘思想を題材とする幽玄な哲学議論を戦わせた「竹林の七賢」が社殿裏に彫刻された神社もありました。
もしかしたら、「竹林の七賢」のように自由奔放に学問に沈潜したかった誰かが、その憧れを形にしようとして提案したのかもしれません。
100年前なのか、200年前なのか、それとももっと昔か、その誰かの想いが具現化した彫刻を、わたしがいま目にしているのかもしれないのです。
歴史のキャッチボールのようなものかもしれないですね。

ただし、その人には、竹林の七賢の七人は一堂に会することは生年から不可能、つまりは竹林の七賢の逸話は実話でなく伝説であり、かつ、竹林の七賢はそれほど楽な人生を送っていない、なかには時の権力者により政治的な理由から処刑されてしまった者もいるということは内緒にしておいたほうがいいでしょうね。


栃木県宇都宮市「宝蔵寺」の女◯と男根の石像


妙妙たる女◯と男根


昨日(2019.6.20)、宇都宮に電車で行ってまいりました。
ここ4年ほど、1年に1回、6月、宇都宮に電車で行くのが年中行事の一つになりました。

その宇都宮の「宝蔵寺」で、あのようなものを目にするとは……。
石像の女◯と男◯……。
男◯のほうは伏せなくていいでしょう……男根です。
かなりリアルな女◯と男根でした。

たしかに、神社やお寺には子孫繁栄や豊穣を願う女◯や男根の像が祀られていることはよくあります。
ただ、宇都宮の「宝蔵寺」のそれらは……どびっくりするくらいリアルでした。

わたしは、家族の幸せを祈るため、かつ、歴史や文化遺産に興味があるので、節操もなくさまざまな神社仏閣に立ち寄ります。
女◯像もいくつか見てきました。
男根像はいくつも。

しかし、そのほとんどは、「ああ、これは女◯と男根を模しているんだな」くらいの写実性です。
写実甘め。
とくに女◯のほうは、単純なかたちの男根にくらべデリケートに複雑なため、あるいは笑いの対象にもなる男根に対し気恥ずかしいというのがあるのかもしれませんが、模倣はあっさり目。
想像にまかせるといった感じです。
たとえば、【Y】のように。

しかし、宇都宮「宝蔵寺」の片すみの祠におさめられた一対の女◯・男根像はそうではありませんでした。

勃起した男根像は、理想の姿を追い求めているのか、隆々として迫力あり。
こまかいところまで細工されています。
「ああ……」と、良く見知ったものの精巧さにたじろぎました。
この種の男根像は「手加減」してつくられるものがほとんどですから、「ここまで似せていいの?」という戸惑いがあったのです。
それに、似せてつくろうとしても、制作者の腕の都合で写実性には限界があります。
男根像は庶民的な信仰ですから、村で石を彫るのがうまい誰それが制作者ということが多いので当然のことなのです。
しかし、宇都宮「宝蔵寺」の男根像は、どう見ても専門家の腕になる逸品。
専門家が本気を出しちゃった男根像でした。

女◯像はといいますと。
女◯像はたいがい、簡略化されています。
記号のようなものです。
子孫繁栄や豊穣の習俗を知っているものには女◯、そうでないとなにがなんだか得体の知れない物体に見えるというような。
これは先ほど述べたように、あまりに似せてつくることに対する気恥ずかしさと、制作者の腕の限界というものがあるかもしれません。
その2つを見事にクリアしてしまったのが、宇都宮「宝蔵寺」の女◯の石像なのです。

たとえば、ギリシアの古代彫刻には女性の裸身像が数多くあります。
しかし、歴史の本など、わたしの知るかぎりにおいては女◯はぼかしています。
そうしてもらわないと、そちらのほうが気になってしかたないのでそれでいいのですが、その手加減を加えていないのが宇都宮「宝蔵寺」の女◯です。

ただし、男根は勃起していますが、女◯は通常の状態です。
その範囲では、手心を加えています。
しかし、男子のわたしの口からは言いづらいのですが……女◯の襞(ひだ)などは丁寧なしあがりで手心なし。

「ううむ」
境内で一人、わたしは心のなかでうなってしまいました。




宇都宮市「宝蔵寺」


JR宇都宮駅西口から徒歩で3分ほどでしょうか、すぐ近くに「宝蔵寺」はございます。
駅からまっすぐに延びる宇都宮市街でも最大クラスの幹線道路「大通り」に面しており、駅からもすぐということで、立地は最高。

開基は円仁(慈覚大師)。
天台宗。
山号は光明山。
北関東三十六不動尊霊場十九番札所になっています。
住所は、栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12。

かなり立地の良い街中のお寺ですので、けっして広くはありませんが、境内は街中の喧騒が嘘のように静か。
閑静な空間のなかで都会のつかれを癒やすのは、どうでしょう。

御本尊は、阿弥陀如来(あみだにょらい)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)。
境内の一番奥に、女◯と男根の石像が祠のなかに祀られています。

ただし、普段は祠の扉が閉められていて女◯・男根像を見ることはできないかもしれません。
2度ほど訪れたわたしが、3度目にして初めてお目にかかることができたので、いつもは祠のなかにひっそりと静まっていらっしゃるのかも。

子孫繁栄や子宝成就を願われる方はいかがでしょうか。


渡良瀬遊水地……日本最大の遊水地 ヨシ原の大自然 古錆びた水位観測塔



渡良瀬遊水地


先日(2019.5.16)、渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)にいってきました。
渡良瀬遊水地は、栃木・茨城・群馬・埼玉の4県にまたがる日本最大の遊水地。
渡良瀬川に思川(おもいがわ)・巴波川(うずまがわ)が合流する地点での洪水対策など治水・利水がいまの主目的です。
(歴史的には、天皇に死罪覚悟で直訴した田中正造で知られる足尾鉱毒事件の鉱毒を沈殿させ無害化させるため)

遊水地全体の面積は33km²。
貯水池である谷中湖は4.5km²。
4.5km²以外の28.5km²には、遊水地内にはりめぐらされた道路や川、池、沼、公園、運動場、野球場、ゴルフ場などがありますが、大部分は湿地帯。
水鳥と湿地に関する国際条約であるラムサール条約にも登録された、広大な湿地帯がつづいています。
湿地帯は鳥獣保護区でもあり、鳥たちの澄んださえずり声が静かな湿地帯に神秘的に響きわたっています。

湿地帯は、いわばジャングル。
広大なヨシ原(よしはら)がひろがります。
ヨシの丈は1m~3mほどといいます。
ほぼ人の背丈。
高い木々も群生しているわけではなく、まばらに生えているだけで通行のさまたげにはなりません。
ジャングルから連想される病原菌とも無縁で(日本の河川敷程度の病気のリスクはあるでしょうが)、遊水地内の道路を進むのは快適そのもの。
安全安心版の小型ジャングルといえましょうか。




一人になれる場所、一人になってしまう場所


今回は時間の都合で、遊水地内にははいりませんでした。
遊水地をかこむ、散歩道とサイクリングロードになっている堤防の北側を自転車で流した程度。

いままでに何度か遊水地内をサイクリングしたことがありますが、正直、女性一人のサイクリングはお勧めできません。
遊水地内には自動車1台が通れるくらいの平坦な道がもうけられていますが、その両側は人間の背丈ほどの草が密生していて視界がほかからさえぎられています。
自転車/自動車の通行人がまったくいないというわけではないのですが、とぎれがち。
なにかあったときに人に助けをもとめるのはむずかしい。

逆に、人目を気にしなくていいのは、わたしにとってはありがたい。
「天にも地にも自分一人」の解放感を満喫できます。

ただ、自動車が前方から来るとき、後方から迫ってくるときにはちょっと緊張します。
もし万が一の場合は、自分の力のみをたよりに応戦しなければなりません。
ケンカが弱いくせに、「なんとかなるだろう、いざとなったら凶器で応戦だ」という、へんな(根拠のない)自信をもっていなければ、とてもではないですが快適なサイクリングとはいかなかったでしょう。
(ただし、治安の悪い地域ではないので、用心は念のためということで)

道路からちょっとだけ草をかきわけ進むと、いたるところにきれいな池や沼などがあります。
そこで休憩や食事というのもよさそうです。
池や沼も周囲から視界がさえぎられているので、一人がこわくなければ落ちつけること請け合いです。
……AVの撮影にもうってつけ。
(それくらい、秘密の場所がそこかしこにあります)




水位観測塔は超古代文明の遺跡か?


高い堤防から、視界の果てまでえんえんとつらなる湿地帯を見下ろすと、ヨシ原の波、波、波。
わたしの見ているまえで、軽の自動車が堤防をくだって遊水地内部へ走っていきましたが、自動車が大自然に呑みこまれそうなくらいにか細い。
つい安否を心配してしまうほどに、ヨシ原は圧倒的。
なにか、その軽自動車がおのれの生命をかけてヨシ原にいどむ戦士のような気がして、心のなかで「無事でいてくれよ」と無意識のうちに願っていました。

ヨシ原のところどころに、ヨシよりも高い木々が姿をのぞかせています。
そして、遠方に人工物らしき直立した塔が……。
湿気にけぶるその建造物は現実感にとぼしく、まるで太古に衰退した超古代文明の遺跡のように死の雰囲気をまといつかせている。
まるで、『風の谷のナウシカ』(原作1982~1994、劇場アニメ1984)の1000年前に栄え崩壊した高度産業文明の残滓(ざんし)のよう。
ヨシ原は、さながら「腐海」。

そんな夢想をさせる塔の正体は、水位観測所。
建物3階ぶんくらいの細長い鉄製の建物。
物見やぐらのごとき形状。
支柱のまわりに外付けの螺旋階段がついていて、その階段をのぼって支柱のうえにある円柱形の部屋から水位を観測するようです。

この水位観測所の塔は、かつて何度か近くで目にしましたが、そのたびごとに「失われた超古代文明」の遺物を連想させられました。
なにしろ、白いペンキで塗装されている鉄製の外壁が、全面的にサビで埋め尽くされているのです。
雨にさらされてか、洪水で水につかってか、濃密な湿気による自然の風化か、赤茶けたサビ、サビ、サビ。
そのため廃墟と化しているようにしか見えない。
「死の都」に残された、かつての文明のむなしい痕跡のよう。
周囲にだれもいない湿地帯のなか、この観測塔を目の前にし、おもわず、辺境を旅していて超古代文明の残り香に出くわしてしまった旅人の心境になりました。
鳥たちだけが、無邪気に鳴いていました。