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『超時空要塞マクロス』ビデオソフト(1983年発売) 【第27話「愛は流れる」】


かつて、TVアニメの全話ビデオソフトはなかった

80年代、TVアニメ全話がビデオソフトで販売されるということはありませんでした。
そんな時代、当時としては高画質のビデオソフトで映像を楽しむには、劇場版や総集編、厳選された数話が収録されたビデオソフトを鑑賞するといった方法が取られていました。

たとえば『機動戦士ガンダム』(1979~80)は、82年にビデオソフトで劇場版三部作(1981~82)が、これも82年にLD(レーザーディスク)で厳選された話数が収録されたLDソフトが発売されました。

ビデオソフト(劇場版三部作)。
機動戦士ガンダムI   17,600円(137分)【VHS】【βは14,800】
機動戦士ガンダムII  17,600円(134分)【VHS】【βは14,800】
機動戦士ガンダムIII 14,800円(140分)【VHS、β】
(参考:『アニメック』1984年1月号)

LDソフト(2話収録)。
第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」
第43話「脱出」(最終回)




『超時空要塞マクロス』ビデオソフト(1983)……「マクロススペシャル」「リン・ミンメイスペシャル」

『超時空要塞マクロス』(1982~83)も、厳選された話数を収録したビデオソフトが83年に発売されています。
全2巻。
1巻に2話収録。
あわせて4話。

第1話「ブービー・トラップ」
第2話「カウント・ダウン」
【『超時空要塞マクロス マクロススペシャル』12,800円(60分)】

第4話  「リン・ミンメイ」
第27話「愛は流れる」
【『超時空要塞マクロスII リン・ミンメイスペシャル』12,800円(60分)】

(参考:『アニメック』1984年1月号)




第27話「愛は流れる」【『超時空要塞マクロスII リン・ミンメイスペシャル』(1983)】

最終回の第36話「やさしさサヨナラ」はラインナップのなかに入りませんでした。
締めに当たる重要な最終回が収録されていないことに、かつて、ちょっと違和感をおぼえました。
中途半端なところで終わった感が否めません。

しかし、『超時空要塞マクロス』の場合、それは正解なのかもしれません。
第27話で第一部が終わり、第28話から最終回までが第二部なのですが、この第二部の評判があまり芳しくないのです。
27話できれいな形で一応の決着がついたのに、第二部は「よけい」な付け足しと思われていました。
内容が煮詰まっておらず、付け焼刃的と作画を担当した板野一郎は評しています(『WEBアニメスタイル』板野一郎(4))。
ヒロインのリン・ミンメイが人気のピークを過ぎた歌手として描かれているのも、ファンの気持ちを暗いものにさせたかもしれません。
その第二部の最終話である「やさしさサヨナラ」も、盛り上がるに欠ける中途半端な最終回でした。

第一部の最終話である27話「愛は流れる」がきわめて評価が高いため、よけいその粗が目立ちました。
著名なアニメーターである結城信輝は「愛は流れる」を観て、河森正治の話づくりの素晴らしさ、美樹本晴彦・庵野秀明・板野一郎たちの作画レベルの高さからアニメーターになる最終的な決心をしたといいます(『WEBアニメスタイル』第11回 結城信輝・千羽由利子対談(4))。
第二部に否定的な作画の板野一郎は、「愛は流れる」が本当の最終回だと思っているとインタビューで真情を吐露していました(『WEBアニメスタイル』板野一郎(4))。

また、「愛は流れる」はかつてアニメ界最高の賞であった「アニメグランプリ」(『アニメージュ』主催)の第六回アニメグランプリ(1983年)で、一年間に放送されたすべてのアニメ作品のなかから「サブタイトル部門」グランプリを獲得する栄誉に浴しています。

小学生だったわたしも、この「愛は流れる」には感動しました。
ストーリー、作画、音楽、演出などなど、あらゆるものが高い次元でバランスしていました。
とくに、ミンメイに失恋した輝が、ミンメイの『小白竜(シャオパイロン)』をバックにゼントラーディーとの戦いに突入していくシーンはロボットアニメ屈指の名場面だと思います。
ゼントラーディ―の地球攻撃のさい、花屋の前で小さい女の子とお喋りをしていた地球軍兵士が爆発・爆風からとっさに女の子を身をていしてかばうシーンも印象深いものでした。

「愛は流れる」が収録されている『リン・ミンメイスペシャル』は、アニメ雑誌の広告を目にするたびに気になって気になってしかたありませんでした。
しかし、2話で12,800円は高価すぎます。
とても買えるしろものではありません。
ただ、家庭のビデオデッキで録画した粗い映像ではない、クオリティの高いビデオソフトで「愛は流れる」を筆頭とする全4話を観られたらどんなにすばらしいことだろうと夢をふくらませていたものです。




ビデオソフトはステータスだった

当時としては最高峰に近い高画質であるビデオソフトで、好きな作品を、好きなときに、好きなだけ観られるというのは贅沢なことでした。
ビデオソフトを手もとに置いておくことがステータスでした。

いまでこそ、TVアニメは全話映像ソフト化が当たりまえ。
その基準からいくと、全36話のうち4話しか収録していないのは不完全燃焼の感がぬぐえません。
全編通して観るのがベストでしょう。
しかし、それはかつて夢でした。
全話収録のビデオソフトがなかった当時は全話でないのが当たりまえ。
1話でも2話でも、高画質のビデオソフトでお気に入りの作品を鑑賞したいとファンは願っていました。
全話に程遠くとも、厳選された話数収録の高画質のビデオソフトへの憧れはとても強いものがありました。



『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』……ゼントラーディ、キス(キースー)に理性崩壊!



超時空要塞マクロス


『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』は、わたしにとって劇場版アニメNo1のみならず、実写もふくめた映画No1作品。
その『愛おぼえていますか』のゼントラーディ人は、人間の男女によるキスを目の当たりにしてパニックに陥っていました。
「大の大人がキスくらいで」とかつては珍妙に思っていましたが、果たしてそうなのでしょうか。




純情すぎな悪魔


路傍で、人間の男女の抱き合っている姿が彫刻された、膝ぐらいの高さの石を目にしたことはないでしょうか?
これは、道祖神(どうそじん)。
塞ノ神や幸ノ神(ともに「さいのかみ」「さえのかみ」)や道陸神(どうろくじん)などとも呼ばれる神様です。

道祖神は、村の境の路傍などにまつられている、悪魔など災いの侵入防止、子孫繁栄、旅の加護、交通の安全などを祈願するための村の守り神。
よく、村の入口などに、男女一対で石に彫られています。

悪魔はおそろしい存在です。
かつて、疫病(えきびょう)は悪魔や荒ぶる神が村にもたらす病気と思われていました。
疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)と呼ばれていた天然痘(てんねんとう)などの疫病は、医学が未発達だった時代、村が全滅しかねない脅威でした。
たとえば、天然痘は致死率20~50%。
ヨーロッパだと、1347~1370年代までつづいたペスト(黒死病)で、ヨーロッパ全体の人口の三分の一~四分の一が犠牲になったといいます。
ヨーロッパ全体の人口を約1億とすると、およそ2500万人程度が亡くなった計算になります。
村の存続が不可能になりかねない、おそろしい数字です。

この疫病など災厄をもたらす悪魔が村に入ってこないよう、村の境界に、村の外に向けて建てられているのが道祖神の石像です。
外からの悪魔の侵入に目を光らせているわけです。

そのさいに、悪魔退治のために取られた手段の一つが、男女のあつ~い抱擁でした。
抱き合っている男女の像は、あつ~いラブシーンを見せつけて悪魔を退治するためです。
悪魔は、あまりの激しいラブシーンに、恥ずかしくなって逃げ出してしまうのです。
悪魔が?
熱い抱擁が恥ずかしくて逃げ出すって……純情すぎ……小学生?

ふと、そのことを思い出したとき、アニメに似たような事例があったなあと。
しばらく考えてみて、答えは出ました。
『超時空要塞マクロス』のセントラーディ人です。
とくに、劇場版の『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』のゼントラーディ人はTV版を超えるオーバーリアクションでした……。




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』


『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』(1984)

大宇宙を舞台に50万年の永きにわたり、巨人族は戦争を繰り広げていた。
男と女に分かれ、いつ終えるとも知れない戦いに明け暮れていた。
男のみで構成された巨人族「ゼントラーディ」。
女のみで構成された巨人族「メルトランディ」。

その二大種族の、いつ果てるとも知れない戦いは、西暦2009年、ついに地球に及ぶ。
圧倒的なゼントラーディの戦力の前に、地球人類は瞬時にしてほぼ壊滅。

そんななか、全長1200mを超える地球統合軍の巨大宇宙戦艦「SDF-1 マクロス」は、ゼントラーディの地球攻撃のさい、脱出時のフォールドの手違いで地球から太陽系外周部に飛ばされてしまう。
「SDF-1 マクロス」は、生き残った5万8千人の民間人と軍人を収容し、巨人族の追跡をしりぞけながら、長く苦しい地球への帰還の旅をつづけていた。




ゼントラーディ、男女が一緒にいて驚愕!


巨人たちは、身長およそ10m。

巨人族は男女に分かれて戦争をしていますので、男女の交流がまったくありません。
巨人の誕生も、男女の性交によるのではなく、高度な遺伝子工学によるクローン技術によって「製造」されるのです。

そんな巨人たちにとって、男女がともに生活しているのは驚愕以外のなにものでもありません。
男女という自分たちにとっては戦う相手同士が、手に手を携えあって生きているのですから。

巨人族の男性種族であるゼントラーディ人の驚愕のさまを、ゼントラーディ語で紹介します。
ちなみにゼントラーディ語は、『THIS IS ANIMATION ザ★セレクト11 劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(小学館)を参照しました。

ゼントラーディの戦闘メカ・ヌージャデルガーの一部隊が「SDF-1 マクロス」の防御網を突破し、内部に侵入したときのことです。
艦内には、自分たちに驚き逃げる男女の姿が。
男と女が手を握り自分たちから逃げていく映像が、ヌージャデルガーのコクピットのモニターに映し出されていました。


巨人A(コンダ88333):「ヤット!?」(これは!?)「ゼントラン テ……メルトラン」(男と女だ……) 
巨人B(ロリー28356):「ゼントラン テ メルトラン!?」(男と女!?)
巨人A(コンダ88333):「ゼントラン テ メルトラン タルケ ダカン!」(男と女が同じ場所にいるぞ!)
巨人C(ワレラ25258):「ヤック!」(なんだと……)「ヤック デ カルチャ」(こんな恐ろしいことが……)


そして、巨人たちは狂乱。
戦うことしか知らない、人を殺すことをなんとも思わない悪魔のような身長10mの巨人たちは、男女がともにいるだけで発狂してしまいました。
わたしは、幼稚園児のころにはすでに、かなり長いあいだ女の子と一緒にいましたけどね……それがなにか?




ゼントラーディ、ミンメイの歌に熱狂!(こういうのを熱狂とは言わない)


巨人たちは戦争ばかりで文化を知りません。
歌も知りません。
ラブソングも、もちろん。
だいたいにおいて、ラブを知りません。
巨人たちに恋愛はないのですから。

その巨人たちが、歌を初めて聴くとどうなるのか?
それを描いている一場面があります。

巨人たちの戦艦のなか。
「SDF-1 マクロス」から持ち帰ったミンメイ人形を、複数の巨人たちが取り囲んでいます。
ミンメイ人形は、アイドルのリン・ミンメイをかたどった小さな人形。
スモールサイズの人形とはいえ、まったく免疫のない女性をかたどったミンメイ人形に巨人たちは戦々恐々。
腰が引け、恐怖で震える手に銃を構えながら恐る恐る近づく。
このミンメイ人形、どこか(画面から判断すると頭か腰?)を押すと、踊り出してミンメイのデビュー曲「私の彼はパイロット」を歌いはじめます。
そのどこかを偶然、一人の巨人が、銃の先端で押してしまいました。


巨人A:「マーカマイクラン オ マイクラン」(マイクローンのマイクローンなのか?)
巨人B:「ウテマ、ウテマ」(待て、待て)
巨人C:「ウケスタ! ウケスタ! デ ウケイ! デ ウケイ!」(動いた! 退避!)
巨人A:「ヤック! ウダナ デ カルチャ」(なんだ、これは!)
巨人D:「ガドラザーン」(音波兵器だ)
巨人E:「デ カルチャ ザーン!」(なんて音なんだ!)


戦争しか知らない巨人たちにとって、歌は未知なる音波兵器。
「なんだ、これは!」、驚愕されているそれこそが、地球人にとってはありふれたお馴染みの文化「歌」なのでした。




ゼントラーディ、キス(キースー)に理性崩壊!


一条輝、リン・ミンメイ、早瀬未沙、ロイ・フォッカー、リン・カイフンたちは、作品中盤、ゼントラーディに捕まってしまいました。
身長10mの二人の巨人(艦隊司令官のブリタイ7018とその参謀のエキセドル4970)に囲まれて尋問されます。
ちなみに、巨人たちのゼントラーディ語は地球語に翻訳されています。


エキセドル4970(巨人):「男と女が協力? ヤックデカルチャー」
ブリタイ7018(巨人):「何故、戦わん?」
ロイ・フォッカー:「戦う? 冗談じゃない、女は喧嘩するよりも抱くほうがいいに決まってるだろうが」
ブリタイ7018(巨人):「ダークー? ダークーとはなんだ?」
ロイ・フォッカー:「こういうことさ」
【どさくさにまぎれ、ロイ・フォッカーはリン・ミンメイを抱き寄せる】
それを目にして巨人たちは、大驚愕。
ブリタイ7018(巨人):「お前たちは、男と女でそんなデカルチャーなことをしているのか?」
【デカルチャーとはゼントラーディ語で、「信じられない」「理解しがたい」ということ】
ロイ・フォッカー:「ああ、キスだってなんだってしてる」
ブリタイ7018(巨人):「キースー? キースーというものをしてみろ」
【大胆不敵なロイ・フォッカーとはいえ、恋人でもないミンメイにさすがにそれはできない。
ちゅうちょしていると、巨人たちはさらに「キースー」というものをしてみろと強要。
殺されるかもしれない危機感から、ミンメイの兄であるカイフンは、演技で妹のミンメイと口づけをする。
それは、巨人たちが目にする初めてのキスだった……】
エキセドル4970(巨人):「はーあああああ! はーあああああ!」
ブリタイ7018(巨人):「うおおおお! キースー! おおおおお!」


とまあ、かなりいい歳をした二人の巨人は「キースー」を目にして恐慌をきたしてしまいました。
キスって、初めて目にしたのはいつでしょう?
思い出せないくらい昔に、アニメか漫画かなにかで目にしたのが最初でしょうかね?
たしかに、あれは摩訶不思議な……なにやらモヤモヤするものではあったでしょうが、さすがにブリタイやエキセドルのように理性が崩壊することはありませんでした。

ちなみに、このシーンで、個人的にちょっと驚くことがありました。
公開年の1984年以来、リン・カイフンはリン・ミンメイの従兄妹(いとこ)だと思っていました。
TV版『マクロス』ではそうでしたから。
しかし、今日(2019.6.29)、ネットで調べていたら「劇場版では、カイフンはミンメイの実兄に変更」とのこと。
複数のサイトに、そのことが記されています。
実兄?……ということは、演技とはいえ、ミンメイとカイフンは実の兄妹で口づけをしたことになります。
……ううむ、いいのか?




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』が描いた「文化」


文化はさまざまです。
新婚初夜の様子を親戚たちが確認するという習慣は、各地に存在します。
夫婦としての夜の営みの最初が、衆人環視のなかでおこなわれるわけです。
それにより、新婦が処女であり生まれてくる子供が新郎の子供であることを確認したり、新郎に生殖能力があることを確認したりするわけです。
他家の男の血を自分の家に入れるわけにはいきませんし、新郎に生殖能力がなければ家系が断絶する危険すらあります。
それを回避するには、「確認」が必要になるわけです。

この初夜の儀式は、ヨーロッパ史の本を読んでいると、けっこう頻繁に目にします。
わたしの少ない読書量でもしばしば目に触れるのですから、貴族階級では当たり前のようにおこなわれていたのではないでしょうか。
貴族は血を後世に残すことが、その大きな務めの一つですから。

日本では、徳川将軍は毎夜毎夜、女官二人の同席のなかで行為に及び、そのことが翌朝、女官から所定の上役に報告されます。
この場合、女官二人は将軍とその側室(正室との行為時にはこの習慣はなし)に背を向け、挟みこむように左右に添い寝をし、見るのではなく声や音を聴くのです。
寝物語に、将軍に身内の栄達や願い事をするのを防ぐのが目的でした。

わたしは寡聞にして知りませんが、庶民階級でも地域によっては当たり前のように初夜の監視はおこなわれていたのではないでしょうか。
いまも、日本の旧家の一部にはこの風習が残っていて、そのため「将来が不安」という女の子からの相談が寄せられたネットの事例もありました。
子孫繁栄、血統の保持は、庶民・貴族にかかわらず一族にとり重要なことなので、世界の各地にそのような因習があってもべつに不思議ではないでしょう。

しかし、我々の感覚からすると、ぞっとしますよね?
顔見知りの自分の親戚、良くは知らない相手方の親戚の注視するなかで、ことに及ぶわけですから。
しかし、時代や地域によっては、これが当然の場合もあるわけです。
文化の多様性というのは、そういうことでしょう。

ならば、キス(キースー)に恐れおののく文化が宇宙のどこかにあっても、別段、不思議ではない……のかもしれません。
もちろん、キスをしていて、そばにいた見知らぬ誰かがいきなり狂乱状態になったら、こちらは尋常でなく驚くでしょうけど。




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』の「カールチューン」


文化相対主義というものがあります。
自分の文化の価値観を絶対視し、それとは違う他者の文化を軽んじてはならないという観念です。
差別やいじめを減らすため、誤解から起きる戦争を防ぐためなどに、ことのほか重要とされる概念。
文化は多種多様、ゆえに自分の文化も冷静に相対化しましょうということ。
自己の文化を絶対的に良いものと短絡的に考えず、自身にとっては異質であっても他者の文化に理解を示しましょうということです。
たとえば、これができなかった一例がナチスでした。

もしかしたら『マクロス』のスタッフは、文化相対主義、あるいはそれに類似した観念を念頭に置いてゼントラーディ人を造形したのかもしれません。
監督の河森正治(かわもり しょうじ)は、『愛おぼえていますか』の自身のテーマを「生まれも育ちもちがう複数の人物が、その差をこえて、ひとつになり得るか」(『おぼえていますか』語り手/河森正治 アニメージュ文庫)と述べています。
それは、文化相対主義にきわめて近い考えのように思うのですが、いかがでしょう。
「キースー」にウブすぎる異星人の「カールチューン」(カルチャー)を理解するのも、宇宙平和のためには大切なことなのかもしれません。

(『超時空要塞マクロス』最終回(1983.6.26)のほぼ36年後の日曜日に)