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『ガンダムF91』小説版 学歴差別・学内差別……エリートの普通科(セシリー、ドワイト)と非エリートの工科(シーブック)




富野由悠季は、明言はしていないが、もしかしたら日大出身の父親のはたらきかけによる不正入試で日大芸術学部に補欠合格したのではないかと著書で述べている。
「後に僕が日大芸術学部を受験する時に、父はこの時の同窓会の人脈をずいぶんと使っていたようだ。僕は補欠合格だったのだが、父の“運動”の成果がどれほどのものだったかはわからないが、皆無とも思えない」
(『「ガンダム」の家族論』富野由悠季 ワニブックスPLUS新書)


小中高と落ちこぼれで、「0の意味がわからず、1+1=2になることが腑に落ちない」「英単語が覚えられなかった」のだそう。
そのうえ大学に不正入学したかもしれないという負い目があるからだろうか、富野由悠季は学歴コンプレックスが強いようにおもえる。


お勉強のできる人は××はすごいが、××という問題がある、というような意味のことを、よくインタビューで口にしている。


そんな富野由悠季が、学歴差別を描いたものの1つに『ガンダムF91』小説版がある。




『ガンダムF91』小説版


富野監督みずからが執筆した『F91』のノベライズ。
この小説は、わりとアニメに忠実にノベライズされている。


ただし、全2巻あるうちの1巻後半かなりのところまで、アニメで描かれなかったことが延々と描写される。


1巻は289ページまであるが、アニメの冒頭に当たる部分(クロスボーン・バンガードがフロンティアIVに侵攻し、コロニー外壁近くの宇宙空間で作業していたレズリー・アノーがそれを目撃する部分と、シーブックがセシリーを高校のミスコンの会場になかば強引に引っ張ってくる場面)は、やっと、222~228ページになって書かれる。
それまでは、アニメ本編では描写されなかったシーブックやセシリーたちの高校生活、あるいはクロスボーン・バンガードやブッホ・コンツェルンの歴史や目論見といったことがかなりの文字量で書かれている。


そこに、アニメではあまり触れられていないフロンティア総合学園の「普通科」と「工学学科」の差別をにおわせる描写が。


シーブックのセシリーへの想いは、初期のころには、この「工学学科」の「普通科」への劣等感と憧れが影を落としているようにおもえる。
(2人の関係が成熟してくると、「工学学科」と「普通科」の差異などはまったく考慮されなくなるが)




『ガンダムF91』小説版の学内差別……「工科」と「普通科」の対立


「工学学科と普通科などは、一学年度ではロクな交流などはなかった」(P127)
「工学学科」と「普通科」には親しい交流はないらしい。


「工科にも、いい生徒がいるんだ……」(P142)
シーブックと初めて話してみてのセシリーの(胸のうちでの)感想。
それまでセシリーは、「工科」に「いい生徒がいる」とは思っていなかった。
これは、のちの描写とあいまって「普通科」の生徒たちの「工科」に対する一般の印象のようである。
セシリーだけの偏見ではないようだ。


「工学学科からそういう意見が出るとは思わなかった」(P167)
フロンティア総合学園の生徒会長で、「普通科」のドワイトの言葉。
シーブックからの提案に対して言った率直な感想。
学園祭のミスコンの水着審査は「奴隷市場みたいだって批判はずっと」あり、「商業主義を真似したような」もので、「水着審査があるばっかりに、ミーハーしか出なくって、人気がないっていう側面もある」ので、水着審査をやめて参加者には旧世紀の民俗衣装を着てもらったらどうだろう、というシーブックの提案。
これには裏があり、ラクに金儲けするためにトトカルチョ(賭け)で勝ちたい、そのためには学園一人気のあるセシリーにミスコンに参加してもらいたいが、水着審査があるとまず無理、そこで水着審査を廃止しようという下心のある提案である。
(最初はそのつもりだったが、セシリーと交流していくうちに、セシリーへの純粋な「憧れ」からミスコンに参加してもらいたくなってゆく)
その下心を知らないドワイトは、「普通学科」の生徒からならともかく、「工学学科」の生徒からそのようなまともな要望が出てくるとは思わなかったということである。
ドワイトにも、セシリー同様、「工学学科」への偏見がある。


「水着ショーなんて下世話なのは、やらないほうがいいっていう話でしょ? それをあなたたちがいったてことで、わたしは、あなたたちを見直したわ」(P177)
ドワイトから、シーブックの提案を聞いたセシリーの言葉。
「見直したわ」ということは、「工科」の生徒であるシーブックへのもともとの評価は低かったということである。
シーブックの提案に、セシリーはドワイトとほぼ同じ感懐を抱いている。
へぇー、意外、といったところである。
「普通科」の「工科」への共通認識なのだろう。


「工学学科のヒガミ」「普通学科のセシリーにはわからないだろうね」(P178)
シーブックの言葉。
「工学学科」の生徒には「普通学科」の生徒にはわからない「普通学科」への僻みがあるという。


「そりゃ仕方ないでしょ? 柄(がら)悪いんですもの」(P180)
ちょっと見直されたシーブックが、もとは評価が低かったことに気づいてちょっと複雑な心境になったことを伝えたときのセシリーの反応。
「工科」の生徒は柄が悪い、というストレートな偏見。


「そりゃ一部の生徒だよ。いいインテリジェンスを持つ連中はいくらでもいる。漠然と学生やっている連中の多い普通学科の連中より、質(たち)はいいぜ」(P180)
セシリーの「柄悪いんですもの」に対するシーブックの反論。
一部の「工科」の生徒は柄が悪いことを認めつつ、インテリジェンス豊かな生徒がたくさんいることをアピール。
漠然と(大学進学のために)勉強する「普通科」の生徒より、就職のために目的意識をもって学ぶ「工科」のほうが生徒の質は良いと訴える。
そう言わなければならないくらい、「工科」の生徒は「普通科」の生徒からインテリジェンスのない生徒たちだと思われているのだろう。


時間の都合だろうか、アニメ本編では「工科」と「普通科」の葛藤はほとんど描かれていない
学内の学部や学科の葛藤は、多くの学校にある。
わたしの通った大学でも、昼間の学部よりも偏差値の低い夜間学部への悪口をトイレに書いた心得のない学生がいた。
わたしにしても、工業科の生徒への偏見がないのかと問われれば、正直なところ多少なりともある。
だからこそ、シーブックのアピールにはハッとした。
そのような身近な問題だけに、アニメ『F91』でもこの「工科」と「普通科」のすれ違いをもっと描いてもらいたかった。


シーブックとセシリーは、まず「工科」と「普通科」の垣根を越えて友人になり、ついで敵と味方の垣根を越えて男女として結ばれてゆく、それがよくわかるのが小説版である。