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宇宙(そら)を見上げて……『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(アル&バーニィー)/『蒼き流星SPTレイズナー』OP「メロスのように-LONELY WAY-」


窓の外


ふだんは気がつかなくても、なにかの拍子にふと気づくことがあります。

ときどき、部屋を暗くして、ごはんをたべることがあります。
視覚の負担を減らし、ゆったりと落ちつきたいときなどに。

2階での夕食時。
窓の外を漫然と見つめていると、夜空に、月や星たちを背景に、すこし遠方をゆっくり動く小さな発光物体を認めることがあります。
UFOなら大発見になりますが、残念ながらありふれた存在。
航空機です。

航空機が、光の点になって視界を右から左に……南から北に流れていきます。
羽田や成田から北へ向かう旅客機なのか、宇都宮の駐屯地に向かう自衛隊機なのか、それともなにかほかの航空機なのか。
けっこう頻繁に目撃するのですが、これが、ふだんはほとんど気づかない。
ある程度長い時間、窓の外をながめつづけてはじめて、航空機が自分の家からちょっと離れた場所をそれなりの頻度で飛んでいることを確認することができるのです。

自分の身のまわりで起きていていることでも感づかないことは多いものなのだなあ、とあらためておもいます。




『蒼き流星SPTレイズナー』(メロスのように-LONELY WAY-)……ビルの窓から遠くの都会(まち)を探していたよ


夜空を見ていて、よく思い出すのは、『蒼き流星SPTレイズナー』(1985)のOP「メロスのように-LONELY WAY-」です。
わたしのお気に入りの歌の一つ。

『レイズナー』じたい、わたしにとってはTVアニメ10本の指にはいる作品。
地球とグラドス人の混血である主人公アルバトロ・ナル・エイジ・アスカが、科学文明のすすんだ異星人グラドスの地球侵略を阻止すべく戦う物語。
80年代当時の、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦(現ロシア)の対立、核戦争の恐怖を背景にした硬派なリアルロボットアニメです。
エイジは物静かで、ひたむきな、母性本能をくすぐるタイプの主人公。
敵とはいえ他者を殺せないエイジが、いかにして敵と戦うかも本作品のテーマの一つでした。

「メロスのように」の冒頭は、

空に蒼い流星
夜の銀河をすべるようだね
2人 ビルの窓から
遠くの都会(まち)を探していたよ

という歌詞です。
(1985年の本放送以来、何度も口ずさんできた歌詞でしたが、今回ネットで検索してみてはじめて、ビルの窓の外をながめていたのが1人ではなく2人であることを知りました。
つい、自分に引き寄せて1人だと思い込んでいたのでしょうか。
夜空を見つめるのはいつも1人という、わたしの悲しい性(さが)がモロバレ……)




『機動戦士ガンダムZZ』(アニメじゃない)……みんなが寝静まった夜、窓から外を見ていると


ガンダムだと、たとえば『ZZ』の初期のOP「アニメじゃない」。

みんなが寝静まった夜
窓から外を見ていると
とっても すごいものを見たんだ

これが冒頭。
作詞は秋元康。
アニメなのにタイトルがこれかよという人を喰った「アニメじゃない」が秋元康作詞なのは有名ですが、お気に入りの「メロスのように」も秋元康作詞ということを今回はじめて知りました。
まじめな作詞も秋元康はするのか……(←失礼な)。
(それにしても、秋元康は窓から夜空を見るのが好きだなあ)




『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』……あ、戦闘だ、コロニーの外で戦闘をやってるんだ


作中における空の発光体といえば、たとえば『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989)。
第2話「茶色の瞳に映るもの」。
UC.0079 12月15日。
主人公のアルは、サイド6のコロニー「リボー」に住む11歳の少年。
モビルスーツ大好きのアルは、夜に家をこっそり抜け出し、中破して森林公園の奥に放置されていたザクII改のコクピットに忍び込みます。
あこがれのモビルスーツのコクピットに乗ることができ、満足して気がゆるみ、そこで寝てしまう。
ザクII改のモニターは、コロニーの外(コロニーの空の位置)で輝いては消え、また輝いては消えする複数の小さな発行体をうつしていました。
この発光体は戦争の光でした。
モビルスーツが爆発したり、バーニアの炎、ビームライフルや弾薬の熱が生みだした輝きだったり。
寝ぼけまなこのアルはそれに気づくも、「あ、戦闘だ、コロニーの外で戦闘をやってるんだ……」そうおもうなり、ふたたび寝てしまう。

このとき、いつもは平和なリボーコロニー近傍の宇宙で、多数のMS同士の戦闘がおこなわれていました。
この戦闘にまぎれて、19歳のジオン公国軍伍長バーナード・ワイズマン(愛称バーニィー)の操縦する民間船に艤装(ぎそう)したジオン公国軍の貨物船「アグワベルデ」が、リボーコロニーに入港します。
それはバーニィーにとって、宇宙に二度と戻ることのない片道切符の「旅」でした。

悲劇の運命は、アルにとっては平和なまどろみのなかで着々とすすんでいたことになります。



80年代の土曜のアニメ……土曜の放課後は安心とともに



土曜の午後は天国


かつて、土曜の午後は天国でした。
学校から、もっとも遠いので。

いまとちがい、公立の学校でも土曜は午前中だけ授業がありました。
それが終われば、土曜の午後から月曜まで学校に行かなくていい。

小学5年~中学3年まで、いじめやらなにやら最悪の学校生活をおくっていたわたしには、土曜の放課後が一週間のなかでもっとも安らげるひと時でした。
家に帰り、二階の自室に行くまえに一階の茶の間でカバンと制帽を放り出しへたるようにそこに座ると、どっと一週間の疲れが体内からあふれだす。
一週間の緊張がとけて、ほっ、と深ーい深ーい安堵の念にみたされる。

高校のときは学校生活が充実していて、それでも土曜に帰宅すると緊張がすっと抜けていくように心が安らぐのをおぼえましたが、こちらは責任感から解放されたからかもしれません。
高校のときは、生徒会副会長、クラス委員長、そして偏差値40前半の学校でしたが学年トップでしたので、そこから解放され、ちょっと一安心していたのかもしれません。




土曜のアニメたち


そのころ、土曜夕方5:30は富野アニメとその後継者であるサンライズアニメが定番でした。
小学6年の9月24日、『聖戦士ダンバイン』(1983~84)を観はじめて以来のことです。
『重戦機エルガイム』(1984~85)『機動戦士Zガンダム』(1985~86)『機動戦士ガンダムZZ』(1986~87)とつづいて富野アニメはひとまず終了、ついで神田武幸監督の『機甲戦記ドラグナー』(1987~88)、そのあとちょっと飛んで池田成監督・浜津守監督の『鎧伝サムライトルーパー』(1988~89)、鹿島典夫監督の『獣神ライガー』(1989~90)へとつづきます。
1989年には、1984年以来、2台つづけてビデオデッキβ専門だったわたしははじめてVHSデッキを購入、やっとレンタルビデオでソフトを借りられるようになり、わたしのなかでOAVの大ブームに。
そのため、あまりTVアニメを観なくなり、『獣神ライガー』は途中から観なくなりました。

ほかの時間帯だと、『パタリロ!』(1982~83)(夜の7:30。放送曜日は木→土→金と変遷)や『聖闘士星矢』(1986~89)(夜7:00)など思い出深い作品がありました。

土曜は心安らかにアニメを鑑賞できましたね。


ティターンズ……見られた「見るが良い、この暴虐な行為を」『機動戦士Zガンダム』(&袁術『三国志』)



ティターンズの暴虐


ティターンズの滅亡は、自業自得の典型例の一つ。

戦局がさほどティターンズに不利ではない時点で、民間人をねらったコロニーへの毒ガス注入、コロニーレーザー砲撃、コロニー落としを繰り返したのです。
ティターンズに反抗するとどうなるかの見せしめ……威圧のためでしょうが、それにより起きる反感、敵意といったものに思い及ばなかったのでしょうか。

月のグラナダにコロニー落とし、失敗
サイド2・25バンチに毒ガス攻撃、失敗
サイド2・18バンチをコロニーレーザー試射、半壊
サイド2・21バンチに毒ガス攻撃、住民全員死亡

そこには粗暴なバスク・オムの意思が強くはたらいています。
それに賛同するバスク派ティターンズ幹部の意思も。
そのため反ティターンズ感情はたかまり、ダカールにおけるシャアの演説によりティターンズ離れが加速しました。
ティターンズが追いこまれるなか、総帥のジャミトフはシロッコにより暗殺、ついでティターンズNo2のバスク・オムも(TV版ではシロッコの部下のレコア、劇場版ではシロッコの盟友のヤザンの)裏切りにより暗殺、最終決戦では、奪われたコロニーレーザーにより主力艦隊壊滅、一応のトップにおさまっていたパプテマス・シロッコ戦死によりティターンズは崩壊しました。

UC.0085年の「30バンチ事件」の成功体験が、バスクをはじめティターンズ幹部の頭にはあったのでしょう。
このときは、サイド1・30バンチにおける反地球連邦政府の平和的なデモを、毒ガスG3を注入することで鎮圧しました。
コロニーの住民1500万人もろとも虐殺。
まったく必要のなかった毒ガス攻撃での任務成功が、もとから狂気をやどしていたバスクとティターンズ幹部の心のなかに、さらに凶暴な闇をはらませたのかもしれません。
(ちなみに、総帥ジャミトフは無意味な大量殺戮には消極的でした。
しかし、軍事における指揮権はバスク派に乗っ取られていた形跡があります。
劇場版では、地上のダカールから宇宙を見上げ、バスクたちの無差別殺戮に「歴史的評価」の観点から苦言をもらしていたのが印象的でした)

まことにそれは、シャアのダカール演説での「見るが良い、この暴虐な行為を」であり、「逆らうものはすべてを悪と称しているが、それこそ悪である」ティターンズの体質そのものでした。




袁術『三国志』……この袁術ともあろうものが、ここまで落ちぶれるとは


『三国志』にも、自業自得を地でいく最期をとげた人物がいます。
『三国志』の嫌われ者の一人、袁術(えんじゅつ)(?~199)です。

『三国志』は中国大陸が舞台。
ときは、後漢(25~220)の末期と三国時代(220~280)。
後漢が統治能力をうしなった黄巾の乱(184)から、『三国志』でもっとも有名な戦いである赤壁の戦い(208)、歴史上の中国人のなかで日本人にもっとも人気があるかもしれない諸葛(しょかつ)孔明の死(234)を経て中国が統一される(280)、およそ100年間が『三国志』の主要な時代。

後漢は腐敗し、それが頂点に達したとき後漢王朝に対する民衆の反乱「黄巾の乱」(184)が勃発しました。
ここから天下は麻のごとく乱れ、群雄が割拠、あるものは後漢王朝再興を夢見、あるものは新たなるみずからの王朝をひらく野望を抱きました。

『三国志』といえば、曹操・劉備・孫権に代表される魏・呉・蜀の三国のあらそいが有名ですが、もとは、前王朝の後漢にとってかわり新王朝をひらくのは袁紹(えんしょう)・袁術のどちらかと見なされていました。
二人は、腹違いの兄弟(『袁紹伝』)かいとこ同士(『袁術伝』)。
袁家は、漢王朝の劉家につぐくらいの家格の高い大名門でした。

しかし、二人はその利点を生かせませんでした。
とくに袁術のほうは、無能で信望薄く、あっけなくもその勢力は瓦解します。

袁術は横柄な人間でした。
大名門の子弟であることをいいことに、人を見下すことはなはだしい。
袁術は本妻の子、袁紹は妾腹の子でした(兄弟説によれば)。
しかし、快活で謙虚な妾腹の袁紹の声望のほうが圧倒的に高く、それを妬み、袁紹の出自の低さをことあるごとに持ちだして誹謗中傷を繰り返しました。



袁術は197年、皇帝に即位しましたが、あまりにも時期尚早でした。
いまだ、後漢の皇帝家は多くの信望をあつめていたのです。
というより、時期にかかわらず無謀なくわだてだったかもしれません。
傲慢な袁術はみなから好かれていません。
皇帝としての信任を取りつけることは難しい。
袁術はおのれの名声を勘違いしたのでしょうか、それとも、名門ゆえに好き勝手ばかりしてきたため忍耐のきかない性格だったのでしょうか。

「袁術皇帝」(国名は「仲(ちゅう)」)の在位期間は197~199。
風のように去っていった皇帝でした。
というより、ほぼ誰からも認知されなかった「皇帝」です。

袁術の治めた国は最悪に近い状態になりました。
長江と淮河(わいが)のあいだに建国された地方政権でした。
袁術は奢侈放蕩の生活のために重税を課し、ために宮中には米と肉がありあまっていましたが、領民や兵士は飢え困窮しました。
一説には、人民はたがいに食いあうありさまだったといいます。

袁術の自己中心的な性格は病的だったのかもしれません。



その報いがきます。
袁術の王国は、うちつづく負け戦・悪政・飢饉のために衰退しました。
帝位をゆずることを条件に、袁紹の庇護をもとめます。
袁術は袁紹のもとへ。
しかし、曹操がそれをさまたげ、袁術は袁紹と合流することができませんでした。

ついで、部下をたよって落ち延びましたが、部下は袁術を拒絶。
どこにも安らげる居場所のない「皇帝」。
そうこうするうちに食糧は尽き、麦くず30石しかないありさま。
夏の暑い盛り、蜂蜜入りの飲物を所望しても、蜂蜜もまたなし。
袁術は木の寝台に腰をおろし、ため息をつきました。
やがて大声で、
「この袁術ともあろうものが、ここまで落ちぶれるとは……」
と怒鳴り、寝台に突っ伏し、一斗あまりの吐血をして事切れてしまいました。

自分は贅沢のかぎりを尽くし、民は飢えさせた袁術は、最期は蜂蜜入り飲物すらおもうにまかせず、無念のうちに死んでいったのです。
「袁術ともあろうものが」ではなく、袁術だからこそここまで落ちぶれたのでしょう。

その最期はたしかに哀れを誘いますが、因果応報というしかないでしょう。


カミーユ・ビダン……カミーユ・クローデルの数奇な運命(ロダンとの恋)『機動戦士Zガンダム』



カミーユ・ビダン


カミーユ・ビダンは、自分の名前が女性名であることにコンプレックスをいだいていました。
(ただし、地域によっては「カミーユ」は男性名でもある)
そのため、それをからかった(あるいはカミーユが勝手にそう思いこんだ)ジェリドを殴り、憲兵に逮捕され、留置所から脱走し、グリーンノアを襲撃したエゥーゴと合流、そのままグリプス戦役に身を投じ、波乱の人生をおくることになります。




カミーユ・クローデル


その「カミーユ」のネーミングのモデルになったカミーユ・クローデルは、数奇な人生をおくった女性でした。
もしかしたら、カミーユ・クローデルから「カミーユ」の名を拝借したとき、TV版『Z』ラストにおいてカミーユが精神を喪失する運命は定まったのかもしれません。
カミーユ・クローデルその人が、精神の病におちいり、そのまま人生を閉じた女性なのです。




カミーユ・ビダンとカミーユ・クローデル


クローデルは美しい女性でした。
きわめて美しい。
秀麗な目鼻立ち、物憂げな表情が神秘的。
写真を見てみると、クローデルはカミーユのルックスのモデルにもなったのではないかと、そんな気もします。

黒髪であることもおなじなのですが、ヘアスタイルも似ています。
わたしの個人的感想では、目鼻も酷似しているような。
女性らしい厚い唇を隠して見てみると、驚くほどカミーユに似ているようにおもえるのです。
もちろん、カミーユの名前由来の女性であるというバイアスがそうおもわせるのかもしれませんが。



家族との確執という点でも、2人のカミーユは共通しています。
クローデルは母と。
カミーユはとくに父と。
ただ、恋人に関してカミーユはめぐまれていました。
ファ・ユイリィの献身的な看護は、カミーユの救いであったでしょう。
しかし、もう一方のカミーユは、その恋人にすらめぐまれませんでした。
邪悪ではなかったのかもしれませんが、不実で優柔不断な愛人だったのです。
クローデルは、母の愛にめぐまれず、愛人の誠実さにもめぐまれなかった女性でした。




カミーユ・クローデルとロダン


カミーユ・クローデルは1864年生まれの彫刻家。
芸術家としての豊かな才能、きわだった美貌は、彼女に彫刻家として、かつ一人の女性としての成功を約束しているようにおもえたかもしれません。
しかし、運命はその逆をカミーユ・クローデルに歩ませることになります。

19歳のとき、クローデルはオーギュスト・ロダンに弟子入りします。
ロダンこそが、のちの不実にして優柔不断なクローデルの愛人です。

ロダンは、『考える人』があまりに有名な彫刻界の大巨匠。
ほかにも『カレーの市民』『地獄の門』などの代表作があり、高校世界史の教科書・参考書の常連。
歴史に残る大彫刻家です。

とはいえ、若いころのロダンの人生は順風満帆ではありませんでした。
要求される技術的水準がさほど高くない美術学校に、17歳から3年間にわたり不合格。
まったく相手にされなかったといいます。
入学をあきらめざるをえなかったロダンは、装飾職人になります。
しかし、戦争による不況などもあって、30歳まで家族を養う稼ぎを得られませんでした。

23歳のころには、経済的な援助をしてくれていた姉が亡くなります。
ロダンの紹介した恋人と破局し精神を病んだ姉は、俗世を捨てて修道女になりますが修道院で体調を崩して病没。
ロダンは、知人を姉に紹介したことに激しい罪悪感をいだいていたといいます。

そんなロダンも、40歳のころ、『青銅時代』がパリのサロンに入選、審査員からの絶賛を受け、ロダンの名前は一躍フランスじゅうに知れわたりました。
そして、その盛名を慕い、ロダン42歳のとき、19歳のクローデルが弟子入りします。
モデル兼助手として雇われました。
さほど間を置かず二人は、愛し合うようになります。
15年におよぶ恋がはじまったのです。




女癖の悪い優柔不断なロダン


ロダンには4歳年下の内縁の妻がいました。
入籍はしていませんが、ロダン24歳のときから連れ添う事実上の妻です。
鳴かず飛ばすであったロダンを、物心両面でささえた糟糠(そうこう)の妻でした。
2人のあいだには子供もいます。
妻の名はローズ

以前より、ロダンは浮気を繰り返していました。
クローデルにたいしても、自分から言い寄っていきました。
懲りない男なのです。
クローデルにとっては初恋だったともいいます。

ロダンは、ローズには安らぎと平穏を、クローデルには美貌と才能がもたらす刺激的な関係をもとめたといいます。
ローズとクローデルの双方からどちらを選ぶのか迫られることが幾度もありましたが、ロダンは優柔不断な男でした、答えをいつまでも出せないまま、ずるずるとその関係がつづきます。
私見になりますが、シスターコンプレックスかもしれないロダンは、ローズに亡くなった姉の面影を見ていたのかもしれません。
自分が死なせたのではないかという罪悪感をもつ姉。
姉につつまれるような安らぎと安穏を、ロダンはローズから得ていたのかもしれません。
だとすると、その点でもクローデルは分の悪い恋に身を投じたといえるかもしれません。




カミーユ・クローデル……恋に破れて


クローデルは、ロダンとの結婚を夢見ていました。
しかし、ロダンにはローズを捨てる意思はありませんでした。
ローズは妻、クローデルは美貌の恋人、それがロダンの終始変わらぬスタンスでした。
(一説には、ローズが嫉妬深く、こわくて別れ話を言い出せなかったとも)

20代後半にはロダンの子を身ごもります。
しかし、それを知ったロダンは中絶させます。
この堕胎のころから、徐々にクローデルの精神は崩れはじめたともいわれています。

30代半ば、ロダンとの15年の関係は破綻しました。
クローデルとの恋に疲れたロダンは、ローズのもとへ帰っていったのです。
クローデルの精神はさらに崩れ……。




カミーユ・クローデル、精神病院に


ロダンと別れたあとも、ロダンの影がクローデルにはつきまといます。
傑作をつくりあげてもロダンの模造ということで、だれもクローデルの作品には見向きもしませんでした。
フランスにおいて「我が国の栄光」とまで評されたことのあるクローデルの才能は、ロダンの模倣の一言で片づけられてしまうようになったのです。
作品は売れず、クローデルは極貧に。
友人はなし。
家族からは孤立。
ロダンへの憎しみは募る。
そんななか、40代後半、統合失調症を発症。
1913年、48歳のときにパリ郊外の精神病院に。
第一次世界大戦(1914~1918)の影響で、南仏の精神病院に。
30年間、クローデルは亡くなるまで精神病院に入院しつづけました。




カミーユ・クローデル……家族に恵まれなかった女性


ロダンとの不倫にのめりこんだ要因の一つに、家族からの孤立があったともいいます。
クローデルは、母親に愛されませんでした。
もともと、母親は子供が好きではなかったといいます。
さらにクローデルは、保守的な母親がまったく理解できない芸術に情熱をかたむける娘でした。
クローデルは母に嫌われていたのです。
母と妹は、一度も見舞に来ることはなかったそうです。
4歳下の弟だけが年に一度(数年に一度?)、姉を見舞ったそうです。
それも、弟が結婚し、外交官として国外に赴任すると途絶えがちになったといいます。
クローデルは寂しい女性だったのです。




ロダンの末期(まつご)の言葉「パリに残した、若いほうの妻に逢いたい」


1917年、ローズに死期が迫っていました。
そんななか、ロダンはついに結婚の手続きをしました。
ロダン77歳、ローズ73歳。
50有余年にしてついに結婚。
その影には、クローデルの犠牲がありました。
結婚の16日後にローズ死去。
その9か月後の1917年11月17日、ロダン死去。

ロダン末期の言葉は、
「パリに残した、若いほうの妻に逢いたい」
であったそうです。
これは、クローデルのために喜ぶべきなのでしょうか。
それとも、男の身勝手な願望とののしるべきでしょうか。

女性にもてないわたしなどからすると、都合よくふざけるな、と言いたいところです。
しかし、クローデルのことをおもうと、せめてもの慰めととらえるべきなのでしょうか。

人は、手に入れられないものへの情熱には身を焦がしますが、手に入れたものの大切さには気づきにくいのでしょうか。
もてたらもてたで大変ということですかね?
わたしには、さっぱりその気持ちがわかりません。




カミーユ・クローデルの晩年


晩年のクローデルは、ロダンを憎み、周囲の患者の方たちを見下すことで精神の孤高をたもったといいます。
ロダンへの憎しみはともかく、苦しみを分かちあうべき他の患者の方たちを蔑むというのは哀しいことです。
それだけ、クローデルは寂しい人だったのでしょう。
また、クローデルは終生、故郷に帰ることを望みましたが、その願いがかなうことはついにありませんでした。




カミーユ・クローデルからカミーユ・ビダンへ……


1943年、78歳(79歳)、カミーユ・クローデル没。



1985年、カミーユ・クローデルの「カミーユ」を戴いたカミーユ・ビダン……。



渡良瀬遊水地……日本最大の遊水地 ヨシ原の大自然 古錆びた水位観測塔



渡良瀬遊水地


先日(2019.5.16)、渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)にいってきました。
渡良瀬遊水地は、栃木・茨城・群馬・埼玉の4県にまたがる日本最大の遊水地。
渡良瀬川に思川(おもいがわ)・巴波川(うずまがわ)が合流する地点での洪水対策など治水・利水がいまの主目的です。
(歴史的には、天皇に死罪覚悟で直訴した田中正造で知られる足尾鉱毒事件の鉱毒を沈殿させ無害化させるため)

遊水地全体の面積は33km²。
貯水池である谷中湖は4.5km²。
4.5km²以外の28.5km²には、遊水地内にはりめぐらされた道路や川、池、沼、公園、運動場、野球場、ゴルフ場などがありますが、大部分は湿地帯。
水鳥と湿地に関する国際条約であるラムサール条約にも登録された、広大な湿地帯がつづいています。
湿地帯は鳥獣保護区でもあり、鳥たちの澄んださえずり声が静かな湿地帯に神秘的に響きわたっています。

湿地帯は、いわばジャングル。
広大なヨシ原(よしはら)がひろがります。
ヨシの丈は1m~3mほどといいます。
ほぼ人の背丈。
高い木々も群生しているわけではなく、まばらに生えているだけで通行のさまたげにはなりません。
ジャングルから連想される病原菌とも無縁で(日本の河川敷程度の病気のリスクはあるでしょうが)、遊水地内の道路を進むのは快適そのもの。
安全安心版の小型ジャングルといえましょうか。




一人になれる場所、一人になってしまう場所


今回は時間の都合で、遊水地内にははいりませんでした。
遊水地をかこむ、散歩道とサイクリングロードになっている堤防の北側を自転車で流した程度。

いままでに何度か遊水地内をサイクリングしたことがありますが、正直、女性一人のサイクリングはお勧めできません。
遊水地内には自動車1台が通れるくらいの平坦な道がもうけられていますが、その両側は人間の背丈ほどの草が密生していて視界がほかからさえぎられています。
自転車/自動車の通行人がまったくいないというわけではないのですが、とぎれがち。
なにかあったときに人に助けをもとめるのはむずかしい。

逆に、人目を気にしなくていいのは、わたしにとってはありがたい。
「天にも地にも自分一人」の解放感を満喫できます。

ただ、自動車が前方から来るとき、後方から迫ってくるときにはちょっと緊張します。
もし万が一の場合は、自分の力のみをたよりに応戦しなければなりません。
ケンカが弱いくせに、「なんとかなるだろう、いざとなったら凶器で応戦だ」という、へんな(根拠のない)自信をもっていなければ、とてもではないですが快適なサイクリングとはいかなかったでしょう。
(ただし、治安の悪い地域ではないので、用心は念のためということで)

道路からちょっとだけ草をかきわけ進むと、いたるところにきれいな池や沼などがあります。
そこで休憩や食事というのもよさそうです。
池や沼も周囲から視界がさえぎられているので、一人がこわくなければ落ちつけること請け合いです。
……AVの撮影にもうってつけ。
(それくらい、秘密の場所がそこかしこにあります)




水位観測塔は超古代文明の遺跡か?


高い堤防から、視界の果てまでえんえんとつらなる湿地帯を見下ろすと、ヨシ原の波、波、波。
わたしの見ているまえで、軽の自動車が堤防をくだって遊水地内部へ走っていきましたが、自動車が大自然に呑みこまれそうなくらいにか細い。
つい安否を心配してしまうほどに、ヨシ原は圧倒的。
なにか、その軽自動車がおのれの生命をかけてヨシ原にいどむ戦士のような気がして、心のなかで「無事でいてくれよ」と無意識のうちに願っていました。

ヨシ原のところどころに、ヨシよりも高い木々が姿をのぞかせています。
そして、遠方に人工物らしき直立した塔が……。
湿気にけぶるその建造物は現実感にとぼしく、まるで太古に衰退した超古代文明の遺跡のように死の雰囲気をまといつかせている。
まるで、『風の谷のナウシカ』(原作1982~1994、劇場アニメ1984)の1000年前に栄え崩壊した高度産業文明の残滓(ざんし)のよう。
ヨシ原は、さながら「腐海」。

そんな夢想をさせる塔の正体は、水位観測所。
建物3階ぶんくらいの細長い鉄製の建物。
物見やぐらのごとき形状。
支柱のまわりに外付けの螺旋階段がついていて、その階段をのぼって支柱のうえにある円柱形の部屋から水位を観測するようです。

この水位観測所の塔は、かつて何度か近くで目にしましたが、そのたびごとに「失われた超古代文明」の遺物を連想させられました。
なにしろ、白いペンキで塗装されている鉄製の外壁が、全面的にサビで埋め尽くされているのです。
雨にさらされてか、洪水で水につかってか、濃密な湿気による自然の風化か、赤茶けたサビ、サビ、サビ。
そのため廃墟と化しているようにしか見えない。
「死の都」に残された、かつての文明のむなしい痕跡のよう。
周囲にだれもいない湿地帯のなか、この観測塔を目の前にし、おもわず、辺境を旅していて超古代文明の残り香に出くわしてしまった旅人の心境になりました。
鳥たちだけが、無邪気に鳴いていました。


ヒイロ/デュオ/カトル/トロワ/五飛……ゆっくりと友情を『新機動戦記ガンダムW』



10人いれば10の学説がある?心理学


心理学は、10人学者がいれば10の学説があるとからかわれるほど、人によって学説が違うそうです。
心理学はどこまで科学的かという問題があります。
人の心が研究対象であるため、客観的基準が見い出しにくいのかもしれません。
ある意味、銘々が主観的に考えた哲学のようなもので、個人の生き方や生き様が強く学説に反映してしまうため個人の我と我がぶつかりあい、統一した意見が形成しにくいのかも。

なにしろ、心理学の勃興期を代表するフロイトからして、その弟子たちの離反、弟子たちとの仲たがいが恒常化しているような印象。
フロイトそのものが、けっこう、心理療法を必要とするような、人とあまりうまくつきあえない依怙地な性格だったようです。

男の子は母親に性的欲求をもち、父親から母親を奪いたいと願っているものだというフロイト。
そのフロイトこそ、きわめて美しい母親に溺愛され、厳しい父親に対抗心をもち、母を自分のものにしたいという欲求をもつ(かなり重度?の)マザコンでした。
フロイトのマザー・コンプレックス概念は、だれあろうフロイト自身の影絵だったのです。

そして、心理学の歴史でもしかしたらフロイトのつぎに著名かもしれない弟子ユングは、師匠フロイトと仲たがいしたお弟子さんの一人であり、多くのフロイト理論に反対しつづけた一人です。
(ユングがフロイトのマザー・コンプレックス概念に賛同できなかったのは、ユングの母親の見た目がそれほどよろしくなかったからだという説もあります。
真偽のほどは定かではありません。
でも、事実だとすればかなり単純な理由……しかし、人間はそんなものかもしれませんねえ)




『新機動戦記ガンダムW』の主人公たち


新機動戦記ガンダムW』の主人公の少年5人の幾人かは、心理学の研究対象になるようなあやうさをもっています。

外見的にも内面的にも能天気で健全なデュオ・マックスウェル
難局であっても明るさをうしなわないデュオは、ドラマが暗い展開のときになんども安堵させてもらいました。
(ただし、当初目立っていたデュオが、終盤、健全すぎて印象にあまり残らなくなったとおもうのは気のせい?)

寡黙すぎなのが心配ですが(記憶をごっそり失っているのですからしかたないですが)、内面はけっこうバランスがとれているような気がするトロワ・バートン
その浮かれたところのない寡黙な手堅さが、みなの信頼をあつめていたような気がします。

一見すると優等生ですが、内面に現実の厳しさに直面すると病んでしまう脆さがあるカトル・ラバーバ・ウィナー
優しいカトルは、父の理不尽な死を乗り越え、強さをも身につけました。

表向き強がっているも、じつは内面的な脆さでは5人のなかでも圧倒的な気がする張五飛(ウーフェイ)。
ウーフェイだけは脆さを残したまま終幕したようにおもうのは、わたしだけでしょうか?
(美しく滅びる……破滅願望があったようなトレーズの、負け逃げのような死で成長する機会を逸してしまったような)

脆くはないですが、心が未発達で死ぬことも恐れない、それゆえ生命という点では危地にいるヒイロ・ユイ
ヒイロはけっして弱い少年でないのですが、死を恐れないのが心の強さといっていいものかどうか。
死に恐怖するだけの感情が育っていないのだとすれば、それはそれで大問題だとおもいます。
ただ終盤では、感情が成育したうえで戦いをおそれない少年へと成長しました。
これも、4人の仲間たち、ゼクスやトレーズなどの大人たち、そしてなによりもリリーナとの触れ合いのなかで健全な感情を育んでいったからでしょう。
リリーナの薫陶よろしきを得たというところでしょうか?
しかし、女性の色に染まったと考えると、仏頂面のヒイロらしくなくてけっこう笑えます。




カトルとトロワ……「優しいやつほどつらく追い込んでいく」「優しいカトルに戻ってくれないか」


カトル、ウーフェイ、ヒイロの3人は、心に闇をかかえていたような気がします。

カトルが無念の死を遂げた父の一件で闇落ちしたとき、トロワが生命を的にしてカトルの心を救ってくれました。
カトルとトロワは同性愛的という意見をけっこう目にしますが、それでも良いようにおもいます。
二人の絆は、友情であろうが恋愛であろうが、わたしにはとてもまぶしい。




ウーフェイとトロワ……「ヒイロがリリーナを連れ帰ったら挨拶ぐらいしてやれ」


ヒイロとウーフェイは、協調が苦手。
人と交わるすべを知らない未熟さがあります。
しかし、この二人にも仲間に心を開いてきたなというエピソードがいくつかあります。

たとえば終盤の46話(全49話)。
ヒイロが、無謀にも単独でリリーナを救出に向かったときのことです。
(ヒイロも、リリーナのことになると冷静でいられなくなったのですねえ……出会ったころは「お前を殺す」となんのためらいもなくリリーナに言っていたのに)
読書をしているトロワは、近くで筋トレをしているウーフェイに言います。

「ウーフェイ、ヒイロがリリーナを連れ帰ったら挨拶ぐらいしてやれ。女はおまえ以上に傷つきやすい」

女性が男子より傷つきやすいという意見には異論もあります。
強がっている男子こそ、もっとも傷つきやすいのではなかろうかともおもいます。

それはともかく、トロワのクールな外見に似合わない気配りの良さはみごとですね。
そして、傷つきやすいと指摘されても、トロワの言葉を黙って聞いているウーフェイ。
かつてなら、ウーフェイはむきになって、その言葉を否定していたでしょう。
しかし、いまは黙して耳をかたむけるのみ。
そこには、ウーフェイのトロワに対する信頼が見て取れます。
たぶん、仲間としてトロワを認めているからこそ、おのれの脆さを指摘されてもそれを受け入れられるのでしょう。

えらい進歩です。
かたくなに仲間になることをこばんでいたウーフェイ。
しかし、このさりげない日常の会話から、彼らの関係が着実に構築されていることを描写してのけているのです。
戦闘のあいまの、さりげない少年たちの友情に、ほっとさせられます。




ヒイロとトロワ……「死ぬほど痛いぞ」


そして、ヒイロの「死ぬほど痛いぞ」。
12話。

この台詞には前段階があります。
ガンダムを放棄しなければコロニーを破壊するぞと敵のオズに脅され、コロニー側の人間であるヒイロはためらうことなく自分もろともガンダムを自爆。
意識をうしない、頭から大量の出血をし、瞳孔が開いているといった死一歩手前の状態に。
ヒイロは、そこから奇跡的に生還。
療養しているヒイロに、トロワがたずねます。

「おれには決心がつかない。もし再び、オズがコロニーを盾に戦ってきたらどうすればいいか……あるいは、おまえを見習うべきなのか」(トロワ)
「だったら一つだけ忠告がある」(ヒイロ)
「ん?」(トロワ)
「死ぬほど痛いぞ」(ヒイロ)
そして、トロワ、爆笑。

ふだん、笑わないトロワの爆笑です。
ほっとします。
少年らしい屈託のない笑い。

わたしも、真顔なヒイロの台詞にトロワとともに大笑いしました。
死ぬ一歩手前までいったのですから、死ぬほど痛いのは当然なのですが、それを率直に言うヒイロのピュアさというか、正直さというのがおかしい。

なぜトロワが爆笑したのかについてはいくつかの説がありますが、わたしは、ヒイロのバカ正直なところにトロワが好感をもったからではないかとおもっています。
わたしじしん、ヒイロに好感をいだきました。

この台詞についていまでも謎があります。
「死ぬほど痛いぞ」を真剣に言ったのか、冗談で言ったのかということです。
トロワに爆笑されて「よし、受けた」とおもったのか、「なんで、こいつは笑っているのだ?」と怪訝におもっていたのか。
ヒイロのキャラクターからすると後者の可能性が優勢のようにおもえますが、意外と前者だったりして。
冗談を言いなれない子は、真顔でギャグを言ったりするものですから。
どちらにしろ、親しみのもてる主人公にヒイロがなったのは、このエピソードからのような気がします。




ゆっくりと友情を


『W』は、ゆっくりと少年たちが友情を取り結ぶさまを丹念に描いています。
突然、友情の絆が生まれてしまう作品もけっこう多いなか、『W』はそこいらへんが繊細で観ていてすがすがしい作品でした。



25年ぶりの城跡公園



25年ぶりの城跡公園


今日(2019.5.13)、25年ぶりくらいに市内の城跡にもうけられた公園に行ってきました。
南北およそ390m、東西およそ100mの城跡ぜんたいが公園になっているので、まずまずの面積。
うろうろしていると、徒歩で10分といったところでしょうか。
山城ではないですが小さな山(あるいは丘)のうえにある平山城(最大標高およそ56m)なので平坦でなく段差があり、木々や植物などでいたるところが仕切られており、視界がそこここでさえぎられているので、人の目をあまり気にせず園内を散策することができます。

自宅から城跡までそう時間はかからないのですが、なんとなく足が遠のき、そのうちに想い出のままにしておいたほうが良いかもということで25年間が過ぎてしまいました。
今日、おとずれたのは、たんなる気まぐれからでした。




城跡公園の思い出


おとずれてみると、最近ではほぼ忘却していたできごともけっこう思い出すものです。

93、4年ころには、いまは連絡をとっていない友人と大学の夏休みの最後に「さらば、おれたちの夏休み!」などと園内で絶叫していたことを思い出しました。
大学の夏休みほぼ全期間を郷里の栃木に帰っていて、おなじく東京に下宿していた専門学校生の友人とその夏休みはよく遊んでいて、しかし、専門学校の夏休みが終わるのは大学よりかなり早く、一足先にそいつは東京に戻ってしまう、そこで夏休みがもっとつづけばいいのにという気持ちをこめて、(周囲の人たちに聞こえないよう計算して←チキン)絶叫したというわけです。



さかのぼって90年、わたしが大学受験浪人をしていたときには、エロゲー雑誌の切れはしを公園の近傍だか園内だかで発見してしまい、当時10代後半だったわたしは、視界がよそからさえぎられる藤棚の下のベンチでその切れはしにあったエロゲー画像に見入り、興奮するといった一幕もありました。
(なにやっていたんだか、このころのオレ?)
高校のサッカー部のマネージャーが、サッカー部員とどうたらこうたらという作品です。
当時のエロゲーとしては、けっこうきれいな画像でした。
40代後半のいまだと、そんなもの落ちていても「あ、エロ雑誌……」くらいのリアクションしかしませんが、当時は若かった……いまは急速に枯れている!……あのころがなつかしい……。
(年をかさねると、バカみたいなエロ関連の記憶でも妙になつかしくなったりするのよね)

藤棚とベンチは健在でした。
ただ、90年のころのそれではなく、改装されたようで、それなりに新しいものになっていました(とはいえ、それも年月を経てそこそこ古びたものになっていました)。
わたしは、そのベンチに座り、目の前の風景を見てあのころもこんな眺めであったろうかと嘆息しました。
かつての風景は、おぼろげにしか思い出せません。
面影があるような、ないような。
ただ、たしかなことは、エロゲー雑誌の切れはしはもうここにはないということです。
おそらく、世界のどこにもないでしょう。
焼却されたか、風化して塵になったか。
……もしかしたら、家のどこかに隠してあるのを忘れていたりして。




公園の空堀へのかつての不安は「居場所」のなさを象徴していた?


公園には空堀があります。
水のない川を想像してください。
空堀の上には橋がかかっています。
公園の地面から、空堀の底まではだいたい10mくらいでしょうか。
けっこうな落差です。

ここを25年ぶりくらいに目にして、かつて、ここでいだいた感情を久々に思い出しました。
すっかり忘れていた感情。
ここが、かつて、こわかったのです。
なにやら、こわい。
10mの高さから、下の空堀を見ていると、なにやら不安になったのです。

わたしは高所恐怖症なので、単純にそこの高さがこわいというのもあるでしょう。
しかし、それだけではない。
なぜなら、とくに不安になるのは、その空堀の底を人が散歩しているときにとくに感じたからです。

上と下で、なにかちがう世界にいるような。
空堀の底におりていっても、自分は受け入れられないのではないかという感覚。

もしかしたら、それは、自分の「居場所」が世界のどこにもないという感覚なのかもしれません。
空堀の上と下というのは、階段がなく、勾配がそれなりに急で、なかなか上り下りすることがむずかしい。
その行き来のむずかしさが、人間関係のむずかしさを象徴しているようで不安におもっていたのでしょうか。
自分は将来、他人とうまくやっていけるのだろうか、この世界でうまくやっていけるのだろうか、という無意識の不安だったのかもしれません。

しかし、それも後付けの理由でしかありません。
かつての不安の理由などわかりようもなく。
それどころか、その不安を感じていた当の若いころの自分ですら、その不安の理由はわからなかったのです。

ただ、「居場所」のなさというものに関係していたような、していないような……。
わたしの場合、家庭生活は順調でした。
そこに、「居場所」はありました。
しかし、人間関係は幼いころから苦手でした。
人間関係に自信なし。
家庭以外での「居場所」というものは、見つけにくい少年/青年でした。
その不安だったのでしょうかね……。

川原泉『森には真理が落ちている』……雪村霙(みぞれ) ケーキ 誕生日



『森には真理が落ちている』


今日(2019.5.12)は、母の日です。
わたしには、母の日や父の日、誕生日やクリスマス、正月など特別な日にごちそうを食べるとき思い出すマンガがあります。

川原泉の作品で、題名はいままで忘れていましたがネットで探してみると『森には真理が落ちている』(1987年『花とゆめ』に掲載)。
ネットによると『笑う大天使(ミカエル)』2巻に収録されているとのこと。
少女漫画雑誌は一度も読んだことがないので(少女漫画はもっぱらコミック、少女漫画じたいも20代になってからはほとんど読まなくなりました)、コミックが発売された88年ごろに読んだのでしょう。




川原泉


川原泉はわたしの一番好きな少女漫画家。
いまはなきアニメ雑誌『OUT』の編集者が川原泉を猛烈にプッシュしていたので87年ごろ……高校1年ごろから読みはじめました。

川原泉の作風は、基本はギャグ。
ふだんは通常頭身ですが、ギャグになると2頭身、3頭身になるといったもの。

わたしは、主人公の女の子たちが、なにやら覚めた目をし、心も覚めているように見えるところに惹かれました。
女の子が、ちょっと悟っちゃっているふうなんですよね。
クールというのともちがって、そういう意識的に澄ましているのではなく、感情が希薄といいましょうか。
ギャグマンガの主人公の女の子は、たいてい、感情の波がはげしい……クールを装っていてもそれは芝居で、いざとなったら感情を爆発させるといったようなところがありますが、川原泉作品の女の子たちは本当に感情の起伏がとぼしい。
大事件が起きても、あまりあわてない。
ヌボーっとした茫洋たる目で、虚空に目をさまよわせている感じなのです。
なにか不思議なのです。
川原泉は哲学にも興味をもっているようなので、もしかしたら、その影響もあるのかなと。
つまみ読みした程度ですが、老荘思想とか実存主義とか、哲学にはあせらずゆっくり生きようという人生観が多いようですから。

この超然としたヒロインと、マイペースなヒロインや周囲の状況にふりまわされる相手役男子(作品によっては、相手役男子も超然としている場合がありますが)の対比の妙もいいんですよね。
川原泉作品は、基本、精神的なタフさでは女性上位なのです。
ヌボーっとしていても、女の子がかっこいいのです。




雪村霙(ゆきむらみぞれ)のバースデーケーキ


ところで、なぜ、特別な日のごちそうで川原泉作品を思い出すか。
『森には真理が落ちている』のヒロイン雪村霙(ゆきむら みぞれ)は、両親のいない高校3年生。
一人暮らしをしています。
まずしいため、ごちそうは特別な日のみ。
たとえば自分の誕生日、自分のためにちょっと大きなバースデーケーキを買って一人で祝うのです。

そのときの絵がですね。
2頭身のヒロインが、部屋のなか独り、テーブルのうえに載ったごちそうのケーキを見て、口を大きく開けてニカーっと笑っているのです。

『森には真理が落ちている』は、タイトルも内容もすっかり忘れていましたが、このシーンだけはずっと鮮明におぼえています。

なにか、いじらしいのです。
一人で自分の誕生日を祝う。
バースデーケーキが数少ない一年のうちのごちそう。
バースデーケーキを見て、あそこまで喜ぶ……。



ネットには、わたしが探しあてた範囲だけだとこの場面についての言及が一件ありました。
「『森には真理が落ちている』でみなし子の女のこがドテラ姿でケーキにろうそくたてて、一人で自分の誕生日祝っているいじらしい姿にないた」(1999.12.17)
とのこと。
まったくの同意。



両親のいない方。
母親のいない方。
父親のいない方。
あるいは、父母になんらかの不幸がある方。
わたしはそういう方たちこそが、母の日/父の日の主役だとおもっています。
わたしの父母は健在ですが、そうおもいます。
母の日/父の日というのは、父母のいらっしゃらない方たちにとってはつらい日かもしれませんが、言葉にはうまくできないのですが、母の日/父の日の主役はそういう方たちだとおもっています。
その理由の一つが、川原泉森には真理が落ちている』の雪村霙のケーキのシーンなのです。



セーリング・フライ(『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』主題歌)……ばら色の唇が 君をまよわせて



『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』


伝説巨神イデオン』劇場版(1982)。
地球人は、はるかかなたの移民先の惑星・ソロ星で太古の第六文明人の遺跡を発見する。
かたや、異星人バッフ・クランも無限エネルギー【イデ】の鍵となる第六文明人の遺跡を探索していた。
不幸な出会いから、地球とバッフ・クランは戦争状態へと。
こうして、スペース・オッデセイの幕が開く。
この戦争は、全人類の運命を巻き込んでいく。
戦いが進むにつれ、明らかになる【イデ】の正体。
第六文明人の無限エネルギー【イデ】は、地球/バッフ・クラン双方にとって、掘り起こしてはならない禁断の存在だった。




セーリング・フライ(歌:水原明子 作詞:井荻麟(富野喜幸))


その主題歌「セーリング・フライ」。
アニメソングのなかでも、わたし的には5本の指に入るであろう大好きな曲です。
(作品そのものも、劇場アニメで10本の指に入る大好きな作品)

歌うは水原明子さん。
澄んで透明な歌声にうっとり。

作詞は富野監督。
富野監督は井荻麟(いおぎりん)名義で、数多くの富野作品楽曲の作詞を手がけています。

井荻麟の特徴としては「美は乱調にあり」といったところでしょうか。
よく考えると、意味のわからないところが多々ある。
それまでの歌詞と関係のない内容が、いきなり、ぽんと出てくる。
論理的ではない。
しかし、それが情熱的といいましょうか。
理性にではなく、本能にうったえかけるのです。

それに、言葉に、心に突き刺さるものがあります。



『イデオン』劇場版を鑑賞したのは大人になってからですが、「セーリング・フライ」は公開当時かそれからさほど年月を経ていない時分、ラジオのアニメ番組で流れた曲を録音して何度も聴きました。
小学5、6年のころです。

以下、歌詞の一番を抜粋します。
(『ロマンアルバム・エクストラ51 伝説巨神イデオン THE MOTION PICTURE』徳間書店より)



あこがれだけに まどわされたり
つらさのがれの 逃げ道にして
行ってはいけない メフィストのくに
ばら色の唇が 君をまよわせて
flying now flying now
なにも思わず 心ふさいで
生まれでる 君ならば
忍び恋のように スペース・ランナウェイ
スペース・ランナウェイ
月と星の間(なか)を スペース・ランナウェイ
セーリング・フライ
忍び恋のように スペース・ランナウェイ
スペース・ランナウェイ
月と星の間(なか)を スペース・ランナウェイ
セーリング・フライ

セーリング・フライ セーリング・フライ
セーリング・フライ セーリング・フライ
セーリング・フライ セーリング・フライ




行ってはいけないメフィストの国


「行ってはいけないメフィストの国」ってなんでしょうね?
メフィスト・フェレスは、16世紀ドイツのファウスト伝説に登場する悪魔。
メフィスト・フェレスは欲望をかなえてくれます。
しかし、死後、その代償として魂を奪われてしまう。
魂が悪魔に隷属することになる。
そうまでして、欲望をかなえたい人間のあさましさと哀しさを伝えるのが、ファウスト伝説です。
この伝説をもとに大詩人ゲーテがものした戯曲『ファウスト』では、誘惑の悪魔としてメフィスト・フェレスは登場します。

(ちなみに、ファウストはメフィスト・フェレスと契約して地上のあらゆる知識と快楽を手に入れた錬金術師。
ゲーテのファウストは、博士。
伝説では、ファウストは破滅。
ゲーテ作品では、ファウストが努力家であり、かつ、天上にいるかつての恋人の純粋な愛の祈りなどにより、破滅から救済されます)

たしかに『イデオン』は、観客ターゲットを年齢高めに設定しているのでしょうが、子供に「メフィスト」はわからないですよね。
大人でも、ある程度の歴史的/文学的素養がないとわからない。
しかし、文学好きの富野監督は、「メフィスト」を歌詞のなかにいれたかったのでしょう。
欲望のおもむくまま憧れを不正にかなえたり、つらさ逃れの安逸をむさぼったりすることを富野監督はいましめたかったのかもしれません。
富野監督には、説教癖がありますからね。
子供のころは不思議な……それこそ呪文のような言葉の響きが「メフィスト」にはありました。




ばら色の唇が 君をまよわせて


そして、「ばら色の唇が 君をまよわせて」。
ここです。
ここが、富野ロマンの真髄です。

恋愛結婚ではない富野監督。
著書『「ガンダム」の家族論』のなかで、「あんまり好きなタイプじゃなかったんだよね」と奥さんに恋愛めいた感情をいだいたことはないというようなことを述べているので、この部分はだれかほかの女性を念頭に置いているのでしょうか。
……片想いの記憶でしょうかね。
どうも、富野監督に両想いのイメージが湧かないので(ひどい……)。

ばら色の唇……たしかに、あれには惑わされます。
まあ、本能的なものですよね。
理性が介在する間もなく、コロリといってしまう。
で、もてない人間は、なやむはめになるわけです。
煩悩。
懊悩。
というやつです。
ふられるのがイヤで告白できない。
しかし、想いを遂げたい。
でも、どうすることもできない。
好きになった女性のばら色の唇は、わたしには魔術でした。

わたしは共感をもって、小学・中学のころからいまにいたるまで、「ばら色の唇が 君をまよわせて」を時々口ずさみます。
すると、若いころのもやもやした感情がよみがえります。
すべての歌のなかでも、もっとも恋愛について心に突き刺さる一節が、「ばら色の唇が 君をまよわせて」かもしれません。

もてない富野監督だからこそ(勝手に決めつけて、すみません。しかし、そうとしか……)、考えつくことのできたフレーズなのかもしれません。
憧憬の念が、その願望をかなえたいという夢想を生み、その夢想がロマンチシズムの土壌になる。
手に入れることのできないあこがれは、ロマンを生む源泉なのかもしれません。
(なに言っているんだ、オレ?)




なにも思わず 心ふさいで 生まれでる 君ならば


なにも思わず 心ふさいで 生まれでる 君ならば
えっと……なんです、これ?
大人になっても、いまだに、ここは意味がわかりません。
自閉症的で心をふさいでいると他人から良く言われるらしい、富野監督自身のことでしょうかね?
冗談はさておき。
前後が恋についての言及なので、恋に臆病であることをあらわしているのでしょうか。
直後に、「忍び恋のように」ですから。
好きであることを打ち明けられない心情を歌っているのでしょうか。
ただ、意味はわからなくても、語感はいいなあとおもいます。
理性よりも感覚、それも富野監督の真骨頂でしょうかね?




忍び恋のように


忍び恋のように」、ここはサビの部分ですね。
忍ぶ恋の多そうな、富野監督の感情のこもったフレーズ。
わたしも共感。
「ばら色の唇が 君をまよわせて」に次ぐ、よく口ずさむフレーズです。




『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』と『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に』


この主題歌「セーリング・フライ」は、劇場版二部構成(『接触編』と『発動編』)のうちの前半部分『接触編』の最後に流れます。
スタッフのクレジットも、いっしょに『接触編』のラスト。
普通は全体のラストにクレジットですが、『発動編』のラストにクレジットはありません。
物語のほぼ真ん中で、主題歌とともにクレジットを流すという珍しい構成です。

(ちなみに、この方式を踏襲したのが、旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に』(1997)です。
庵野監督は、『イデオン』の信奉者。
『ガンダム』よりも『イデオン』の人。
その庵野監督が、『Air』と『まごころを君に』二部構成のうち、前半部分の『Air』のラストで主題歌「タナトス」を流し、同時にスタッフ・クレジットを流しました。
劇場で観ていたわたしは、それに気づいたとき、庵野監督のあこがれの劇場版『イデオン』へのオマージュに暗闇でニヤリ、ちょっと嬉しくなりました)




主題歌「セーリング・フライ」のあとに……


この「セーリング・フライ」……『接触編』が終わると『発動編』。
『発動編』はアニメ史上まれに見るくらいの、主要キャラクターが次々に戦死していく物語。
『発動編』冒頭の2、3分で、『イデオン』でも男女それぞれで一番人気かもしれない美少女/美男子のキッチ・キッチンギジェ・ザラルが立て続けに戦死します(キッチ・キッチンは人気の美少女キャラですが、両想いの主人公ユウキ・コスモの見ている前で、戦闘の爆撃に巻き込まれ、首を吹き飛ばされて亡くなります)。
「セーリング・フライ」は、意図はしていなかったでしょうが、結果的に人々の死を先導するような役割をになってしまいました。




セーリング・フライ


片想い中の人には、とくに心にしみる一曲。
片想いの達人(かもしれない)富野監督作詞の「セーリング・フライ」はいかがでしょうか。



サラ・パターソン『狼の血族』(1984)……花の色は移りにけりな



人生の浮き沈み


自分の人生を思い起こしても、人生の浮き沈みは目まぐるしく攻守所を変えるのが常のような気がします。
いじめなどで最悪だった中学3年のとき、その一年以内におとずれる、生徒会副会長やクラス委員長をつとめることになる高校1年の充実した学校生活は予想できませんでした。
しかし、その高校1年の2~3年以内に、記憶の障害が起きて何十年とつづく苦しく長い闘病生活が自分を待っているなどということも予期してはいませんでした。
しかし、その闘病中にも、大学合格の夢はかなえることができました。
良きことも悪しきことも、突然それはやって来て、しかし、いつまでも幸福ではないものの、いつまでも不幸というわけでもないのが人生なのだというのがいまの実感です。




サラ・パターソン


この人生の浮沈ということについて、今年(2019)のGWに、あらためて実感させられることがありました。

いつもは時間的にやれないことをGWにやろうということで、山登り(舗装された道ですが)などとともに、消息のわからない気になる女優さんを本格的にネットで調べてみることにしました。
幾人かいます。
そのなかでも、もっとも消息を知りたかったのが「サラ・パターソン」でした。

ご存じの方は、そう多くないでしょう。
ほぼ、「狼の血族」(1984)が唯一のメジャーな映画出演ですから。
それも、ホラー映画ファンしかほぼ知らない限定されたメジャー作品です。




狼の血族


「狼の血族」は、ホラー映画などの映画祭ではグランプリを取ったり(シッチェス・カタロニア映画祭(スペイン)、ポルト国際映画祭(ポルトガル))、『ターミネーター』(1984)にグランプリはさらわれたものの次席である審査員特別賞を受賞したり(アヴォリアッツ・ファンタスティック映画祭(フランス))と、ファンのあいだでは高く評価されたホラー映画でした。

手短にいえば、『赤ずきんちゃん』のような童話めいた中世世界における、けっこう陰惨な狼男もの。
ロザリーン(サラ・パターソン)は、森に囲まれた村に住む13歳?の少女。
ロザリーンは、森で一人の猟師に出会います。
村にはいないような知性的で上品でかつセクシーな美男子の猟師に、ロザリーンは惹かれていきます。
左右の眉毛がくっついているという狼男の特徴をもつその男に疑いをもちつつ、それでも、ロザリーンは自分の衝動をどうすることもできずに性に目覚めていきます。

というフロイト的な少女の性の目覚めをテーマにしたホラー映画。
このロザリーンを13歳(か15歳)のサラ・パターソンが演じました。

内容がセクシャルなだけに、ロザリーンにはそれにふさわしい美しい少女が抜擢されました。
サラ・パターソンは、当時、その美しさが世界中のホラー映画ファンや映画関係者から注目されました。




サラ・パターソンとジェニファー・コネリー


美少女はだれかと問われれば、ジェニファー・コネリー(1970生まれ)とサラ・パターソン(1972(もしくは1970)年生まれ)の二人をわたしはまず挙げます。
わたしと同年代で印象深いということもあるでしょうが、二人の『フェノミナ』(ジェニファー・コネリー主演)『狼の血族』における美しさは、世界トップクラスの美しい少女とはどういうものかの、わたしのなかでの典型でありつづけています。

ジェニファー・コネリーは、デビューのときから「十年に一人の美少女」などと騒がれていました。
日本でも、80年代後半の『スクリーン』や『ロードショー』の読者投票で女優No.1になるなど、若い人のあいだで絶大な人気を博していました。
20代で、正直、女優さんとして失速した感はいなめませんが(それまでが世界的なスーパーアイドルだっただけに)、それでも2001年度作品の『ビューティフル・マインド』では世界の助演女優賞(アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、放送映画批評家協会賞)を獲得しています。

かたや、サラ・パターソンは、日本ではほぼ『狼の血族』のみがそれなりに知られているにすぎません。
ネットでも、日本語ではほぼ『狼の血族』だけしか探り当てることができませんでした。
サラ・パターソンのほかの作品、いまでも女優なのか、そうではないとしたらいつ女優でなくなったのかなど、いっさいわかりません。
この時点で、サラ・パターソンが女優として大成しなかったであろうことはほぼ明らかでした。

あれだけの美少女、そして美女になったであろう(と思い込んでいた)サラ・パターソンでも、女優として成功するのは難しいのかと嘆息するおもいでした。




サラ・パターソン……


しかし、それはわたしの思い込みでしかありませんでした。

GWに、外国語のサイトにまで手を伸ばしてみました。
日本語翻訳機能を使ってです。
すると、サラ・パターソンが5本の映画に出演しているらしいことがわかりました。

1984年『狼の血族』でデビュー。
1987年、白雪姫もので主演の白雪姫。
このあと14年間の空白。
そして、2002、2006、2007年に、おそらくは端役で一作品ずつ映画出演。
とこんな感じでした。
日本で公開されたのは『狼の血族』だけのようでもあります。



そして、写真を見て、失礼ながら驚愕しました。
1987年(16歳(か18歳))の時点で、『狼の血族』の世界的な絶世の美少女ともいうべき美しさがちょっと褪せているようにおもえました。
でも、じゅうぶん美少女ではありました。

しかし、2002年(30歳(か32歳))の写真を目にしたとき、わたしは茫然としました。
「別人?」
そうおもわざるをえませんでした。
たしかに面影はあります。
しかし、同一人物とはおもえないくらいに、その美貌は褪せていました。
30歳(32歳)にしては、やつれているのです。
年齢よりもお年を召しているようにも見えます。
少女のころの華やぎが感じられない。
正直、これがサラ・パターソンであることを前もって知らなければ、一生、気づくことはなかったでしょう。

ジェニファー・コネリーも、世界トップの美少女の一人と称賛されていたころにくらべると、ある時期をすぎたあとは、同年代の女優さんのなかでもトップクラスとは言いづらくなったとはおもいます。
それでも、美女であることはたしかだとおもいます。

しかし、サラ・パターソンは、まことに失礼ながら美人女優とは呼ばれないでしょう。
かつての世界的な絶世の美少女は、少なくとも30歳のときには、そうではなくなっていました。

13歳(15歳)のころなら、同年代の女優さんたちの写真をずらりと並べて「どれがサラ・パターソン?」と問われれば、「綺麗な女の子を順に選んでいけば、すぐにサラ・パターソンに行き着くよ」と答えたでしょう。
しかし、30歳以降だと、それは通用しません。
同年代の女優さんたちのなかに、サラ・パターソンの写真は埋没してしまうでしょう。




若き日のサラ・パターソンは、映画『狼の血族』のなかに


ショックではありました。
サラ・パターソンは、わたしにとって美少女を代表する二人のうちの一人なのです。

ただ、サラ・パターソンには『狼の血族』があります。
そこには、若く美しかったサラ・パターソンがいます。
映画雑誌やムックにも、写真というかたちで、あのころのサラ・パターソンがいます。
なによりも、わたしの思い出と記憶のなかに、あのころのままのサラ・パターソンがいます。

齢(よわい)をかさねると、諦念(ていねん)がそれなりに生じます。
悟りというほどおおげさなものではないですが、それに近いもの。
人はいつまでも、同じままではいられない。
のぼるときもあれば、くだるときもある。
現実は受け入れましょう、というような心境です。

ただ、かつてサラ・パターソンが美しく魅力的であったこともたしか。
心のなかではいまも、中学生のわたしが、『狼の血族』に主演した13歳(15歳)のサラ・パターソンをまぶしい目で見ています。

まことに、「花の色は移りにけりな」なのです。