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『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』……ゼントラーディ、キス(キースー)に理性崩壊!



超時空要塞マクロス


『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』は、わたしにとって劇場版アニメNo1のみならず、実写もふくめた映画No1作品。
その『愛おぼえていますか』のゼントラーディ人は、人間の男女によるキスを目の当たりにしてパニックに陥っていました。
「大の大人がキスくらいで」とかつては珍妙に思っていましたが、果たしてそうなのでしょうか。




純情すぎな悪魔


路傍で、人間の男女の抱き合っている姿が彫刻された、膝ぐらいの高さの石を目にしたことはないでしょうか?
これは、道祖神(どうそじん)。
塞ノ神や幸ノ神(ともに「さいのかみ」「さえのかみ」)や道陸神(どうろくじん)などとも呼ばれる神様です。

道祖神は、村の境の路傍などにまつられている、悪魔など災いの侵入防止、子孫繁栄、旅の加護、交通の安全などを祈願するための村の守り神。
よく、村の入口などに、男女一対で石に彫られています。

悪魔はおそろしい存在です。
かつて、疫病(えきびょう)は悪魔や荒ぶる神が村にもたらす病気と思われていました。
疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)と呼ばれていた天然痘(てんねんとう)などの疫病は、医学が未発達だった時代、村が全滅しかねない脅威でした。
たとえば、天然痘は致死率20~50%。
ヨーロッパだと、1347~1370年代までつづいたペスト(黒死病)で、ヨーロッパ全体の人口の三分の一~四分の一が犠牲になったといいます。
ヨーロッパ全体の人口を約1億とすると、およそ2500万人程度が亡くなった計算になります。
村の存続が不可能になりかねない、おそろしい数字です。

この疫病など災厄をもたらす悪魔が村に入ってこないよう、村の境界に、村の外に向けて建てられているのが道祖神の石像です。
外からの悪魔の侵入に目を光らせているわけです。

そのさいに、悪魔退治のために取られた手段の一つが、男女のあつ~い抱擁でした。
抱き合っている男女の像は、あつ~いラブシーンを見せつけて悪魔を退治するためです。
悪魔は、あまりの激しいラブシーンに、恥ずかしくなって逃げ出してしまうのです。
悪魔が?
熱い抱擁が恥ずかしくて逃げ出すって……純情すぎ……小学生?

ふと、そのことを思い出したとき、アニメに似たような事例があったなあと。
しばらく考えてみて、答えは出ました。
『超時空要塞マクロス』のセントラーディ人です。
とくに、劇場版の『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』のゼントラーディ人はTV版を超えるオーバーリアクションでした……。




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』


『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』(1984)

大宇宙を舞台に50万年の永きにわたり、巨人族は戦争を繰り広げていた。
男と女に分かれ、いつ終えるとも知れない戦いに明け暮れていた。
男のみで構成された巨人族「ゼントラーディ」。
女のみで構成された巨人族「メルトランディ」。

その二大種族の、いつ果てるとも知れない戦いは、西暦2009年、ついに地球に及ぶ。
圧倒的なゼントラーディの戦力の前に、地球人類は瞬時にしてほぼ壊滅。

そんななか、全長1200mを超える地球統合軍の巨大宇宙戦艦「SDF-1 マクロス」は、ゼントラーディの地球攻撃のさい、脱出時のフォールドの手違いで地球から太陽系外周部に飛ばされてしまう。
「SDF-1 マクロス」は、生き残った5万8千人の民間人と軍人を収容し、巨人族の追跡をしりぞけながら、長く苦しい地球への帰還の旅をつづけていた。




ゼントラーディ、男女が一緒にいて驚愕!


巨人たちは、身長およそ10m。

巨人族は男女に分かれて戦争をしていますので、男女の交流がまったくありません。
巨人の誕生も、男女の性交によるのではなく、高度な遺伝子工学によるクローン技術によって「製造」されるのです。

そんな巨人たちにとって、男女がともに生活しているのは驚愕以外のなにものでもありません。
男女という自分たちにとっては戦う相手同士が、手に手を携えあって生きているのですから。

巨人族の男性種族であるゼントラーディ人の驚愕のさまを、ゼントラーディ語で紹介します。
ちなみにゼントラーディ語は、『THIS IS ANIMATION ザ★セレクト11 劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(小学館)を参照しました。

ゼントラーディの戦闘メカ・ヌージャデルガーの一部隊が「SDF-1 マクロス」の防御網を突破し、内部に侵入したときのことです。
艦内には、自分たちに驚き逃げる男女の姿が。
男と女が手を握り自分たちから逃げていく映像が、ヌージャデルガーのコクピットのモニターに映し出されていました。


巨人A(コンダ88333):「ヤット!?」(これは!?)「ゼントラン テ……メルトラン」(男と女だ……) 
巨人B(ロリー28356):「ゼントラン テ メルトラン!?」(男と女!?)
巨人A(コンダ88333):「ゼントラン テ メルトラン タルケ ダカン!」(男と女が同じ場所にいるぞ!)
巨人C(ワレラ25258):「ヤック!」(なんだと……)「ヤック デ カルチャ」(こんな恐ろしいことが……)


そして、巨人たちは狂乱。
戦うことしか知らない、人を殺すことをなんとも思わない悪魔のような身長10mの巨人たちは、男女がともにいるだけで発狂してしまいました。
わたしは、幼稚園児のころにはすでに、かなり長いあいだ女の子と一緒にいましたけどね……それがなにか?




ゼントラーディ、ミンメイの歌に熱狂!(こういうのを熱狂とは言わない)


巨人たちは戦争ばかりで文化を知りません。
歌も知りません。
ラブソングも、もちろん。
だいたいにおいて、ラブを知りません。
巨人たちに恋愛はないのですから。

その巨人たちが、歌を初めて聴くとどうなるのか?
それを描いている一場面があります。

巨人たちの戦艦のなか。
「SDF-1 マクロス」から持ち帰ったミンメイ人形を、複数の巨人たちが取り囲んでいます。
ミンメイ人形は、アイドルのリン・ミンメイをかたどった小さな人形。
スモールサイズの人形とはいえ、まったく免疫のない女性をかたどったミンメイ人形に巨人たちは戦々恐々。
腰が引け、恐怖で震える手に銃を構えながら恐る恐る近づく。
このミンメイ人形、どこか(画面から判断すると頭か腰?)を押すと、踊り出してミンメイのデビュー曲「私の彼はパイロット」を歌いはじめます。
そのどこかを偶然、一人の巨人が、銃の先端で押してしまいました。


巨人A:「マーカマイクラン オ マイクラン」(マイクローンのマイクローンなのか?)
巨人B:「ウテマ、ウテマ」(待て、待て)
巨人C:「ウケスタ! ウケスタ! デ ウケイ! デ ウケイ!」(動いた! 退避!)
巨人A:「ヤック! ウダナ デ カルチャ」(なんだ、これは!)
巨人D:「ガドラザーン」(音波兵器だ)
巨人E:「デ カルチャ ザーン!」(なんて音なんだ!)


戦争しか知らない巨人たちにとって、歌は未知なる音波兵器。
「なんだ、これは!」、驚愕されているそれこそが、地球人にとってはありふれたお馴染みの文化「歌」なのでした。




ゼントラーディ、キス(キースー)に理性崩壊!


一条輝、リン・ミンメイ、早瀬未沙、ロイ・フォッカー、リン・カイフンたちは、作品中盤、ゼントラーディに捕まってしまいました。
身長10mの二人の巨人(艦隊司令官のブリタイ7018とその参謀のエキセドル4970)に囲まれて尋問されます。
ちなみに、巨人たちのゼントラーディ語は地球語に翻訳されています。


エキセドル4970(巨人):「男と女が協力? ヤックデカルチャー」
ブリタイ7018(巨人):「何故、戦わん?」
ロイ・フォッカー:「戦う? 冗談じゃない、女は喧嘩するよりも抱くほうがいいに決まってるだろうが」
ブリタイ7018(巨人):「ダークー? ダークーとはなんだ?」
ロイ・フォッカー:「こういうことさ」
【どさくさにまぎれ、ロイ・フォッカーはリン・ミンメイを抱き寄せる】
それを目にして巨人たちは、大驚愕。
ブリタイ7018(巨人):「お前たちは、男と女でそんなデカルチャーなことをしているのか?」
【デカルチャーとはゼントラーディ語で、「信じられない」「理解しがたい」ということ】
ロイ・フォッカー:「ああ、キスだってなんだってしてる」
ブリタイ7018(巨人):「キースー? キースーというものをしてみろ」
【大胆不敵なロイ・フォッカーとはいえ、恋人でもないミンメイにさすがにそれはできない。
ちゅうちょしていると、巨人たちはさらに「キースー」というものをしてみろと強要。
殺されるかもしれない危機感から、ミンメイの兄であるカイフンは、演技で妹のミンメイと口づけをする。
それは、巨人たちが目にする初めてのキスだった……】
エキセドル4970(巨人):「はーあああああ! はーあああああ!」
ブリタイ7018(巨人):「うおおおお! キースー! おおおおお!」


とまあ、かなりいい歳をした二人の巨人は「キースー」を目にして恐慌をきたしてしまいました。
キスって、初めて目にしたのはいつでしょう?
思い出せないくらい昔に、アニメか漫画かなにかで目にしたのが最初でしょうかね?
たしかに、あれは摩訶不思議な……なにやらモヤモヤするものではあったでしょうが、さすがにブリタイやエキセドルのように理性が崩壊することはありませんでした。

ちなみに、このシーンで、個人的にちょっと驚くことがありました。
公開年の1984年以来、リン・カイフンはリン・ミンメイの従兄妹(いとこ)だと思っていました。
TV版『マクロス』ではそうでしたから。
しかし、今日(2019.6.29)、ネットで調べていたら「劇場版では、カイフンはミンメイの実兄に変更」とのこと。
複数のサイトに、そのことが記されています。
実兄?……ということは、演技とはいえ、ミンメイとカイフンは実の兄妹で口づけをしたことになります。
……ううむ、いいのか?




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』が描いた「文化」


文化はさまざまです。
新婚初夜の様子を親戚たちが確認するという習慣は、各地に存在します。
夫婦としての夜の営みの最初が、衆人環視のなかでおこなわれるわけです。
それにより、新婦が処女であり生まれてくる子供が新郎の子供であることを確認したり、新郎に生殖能力があることを確認したりするわけです。
他家の男の血を自分の家に入れるわけにはいきませんし、新郎に生殖能力がなければ家系が断絶する危険すらあります。
それを回避するには、「確認」が必要になるわけです。

この初夜の儀式は、ヨーロッパ史の本を読んでいると、けっこう頻繁に目にします。
わたしの少ない読書量でもしばしば目に触れるのですから、貴族階級では当たり前のようにおこなわれていたのではないでしょうか。
貴族は血を後世に残すことが、その大きな務めの一つですから。

日本では、徳川将軍は毎夜毎夜、女官二人の同席のなかで行為に及び、そのことが翌朝、女官から所定の上役に報告されます。
この場合、女官二人は将軍とその側室(正室との行為時にはこの習慣はなし)に背を向け、挟みこむように左右に添い寝をし、見るのではなく声や音を聴くのです。
寝物語に、将軍に身内の栄達や願い事をするのを防ぐのが目的でした。

わたしは寡聞にして知りませんが、庶民階級でも地域によっては当たり前のように初夜の監視はおこなわれていたのではないでしょうか。
いまも、日本の旧家の一部にはこの風習が残っていて、そのため「将来が不安」という女の子からの相談が寄せられたネットの事例もありました。
子孫繁栄、血統の保持は、庶民・貴族にかかわらず一族にとり重要なことなので、世界の各地にそのような因習があってもべつに不思議ではないでしょう。

しかし、我々の感覚からすると、ぞっとしますよね?
顔見知りの自分の親戚、良くは知らない相手方の親戚の注視するなかで、ことに及ぶわけですから。
しかし、時代や地域によっては、これが当然の場合もあるわけです。
文化の多様性というのは、そういうことでしょう。

ならば、キス(キースー)に恐れおののく文化が宇宙のどこかにあっても、別段、不思議ではない……のかもしれません。
もちろん、キスをしていて、そばにいた見知らぬ誰かがいきなり狂乱状態になったら、こちらは尋常でなく驚くでしょうけど。




『超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか』の「カールチューン」


文化相対主義というものがあります。
自分の文化の価値観を絶対視し、それとは違う他者の文化を軽んじてはならないという観念です。
差別やいじめを減らすため、誤解から起きる戦争を防ぐためなどに、ことのほか重要とされる概念。
文化は多種多様、ゆえに自分の文化も冷静に相対化しましょうということ。
自己の文化を絶対的に良いものと短絡的に考えず、自身にとっては異質であっても他者の文化に理解を示しましょうということです。
たとえば、これができなかった一例がナチスでした。

もしかしたら『マクロス』のスタッフは、文化相対主義、あるいはそれに類似した観念を念頭に置いてゼントラーディ人を造形したのかもしれません。
監督の河森正治(かわもり しょうじ)は、『愛おぼえていますか』の自身のテーマを「生まれも育ちもちがう複数の人物が、その差をこえて、ひとつになり得るか」(『おぼえていますか』語り手/河森正治 アニメージュ文庫)と述べています。
それは、文化相対主義にきわめて近い考えのように思うのですが、いかがでしょう。
「キースー」にウブすぎる異星人の「カールチューン」(カルチャー)を理解するのも、宇宙平和のためには大切なことなのかもしれません。

(『超時空要塞マクロス』最終回(1983.6.26)のほぼ36年後の日曜日に)

『アニメ三銃士』は明るくて楽しいけど……本当は暗くて悲しい『三銃士』



『アニメ三銃士』はもとの『三銃士』にあらず


『アニメ三銃士』も『ワンワン三銃士』、子供版小説『三銃士』も明るく夢に富んだ作品ですが、アレクサンデル・デュマ原作『三銃士』は暗く悲しい作品でした。

『アニメ三銃士』(1987~1989)。
全52話。
NHKで放送。

17世紀のフランス。
ルイ13世(在位1610~1643)の治世。
王家をめぐる陰謀に、地方出身の少年ダルタニャンが大活躍する。
「三銃士」とは、銃士隊におけるダルタニャンの先輩であるアトス、アラミス、ポルトスたちのこと。
ダルタニャンを含めて「四銃士」ということもある。




主題歌『夢冒険』(歌:酒井法子)……栄光と翳り


当時はけっこう話題だった『アニメ三銃士』ですが、いまや忘れられた作品。
もしかしたら、主題歌をおぼえている人はそれなりにいるかもしれません。
『夢冒険』。
この歌は、88年の春の選抜高校野球大会の入場行進曲となったことでも有名です。

歌手も超有名人。
当時、人気絶頂だったアイドル・酒井法子(さかいのりこ/愛称のりピー)が歌っていました。
いまだと、2009年覚せい剤使用で逮捕された印象が強いでしょうか。
「心に冒険を 夢を抱きしめたくて」「心に冒険を 夢が聴こえるよね」など、夢と希望に満ちた『夢冒険』を歌っていた酒井法子が覚せい剤を常用。
アイドルにはまったく興味がなく、酒井法子はわたしにとってほぼ『夢冒険』の人でしたが、乗りの良いこの歌を良く口ずさんでいました。
その酒井法子の逮捕は残念でした。
明るい「のりピー」のイメージとはちがい、私人の酒井法子の生い立ちは暗く悲惨で、覚せい剤を常用しなくてはやっていられない精神構造をしていたのかもしれません。
酒井法子は、運命の犠牲者だったのかもしれません。




主人公ダルタニャンとヒロインのコンスタンスは不倫


『アニメ三銃士』のヒロイン・コンスタンスは、パリ一番の仕立屋であるボナシューの愛娘。
主人公のダルタニャンは、その清純なコンスタンスに一目惚れ。
清く正しい恋の道を突き進みます。

しかし、原作では二人の関係は「不倫」。
年老いたボナシューの若い妻であるコンスタンスは、若い愛人であるダルタニャンと逢瀬(おうせ)をかさねます。
原作『三銃士』は、主人公とヒロインの「不倫」だけでなく、いたるところに不倫関係が。
もちろん、この部分は子供たちが観る『アニメ三銃士』ではカットされています。




コンスタンス毒殺


『アニメ三銃士』のコンスタンスは、いくつもの危機を乗り越えて物語の最後まで生命をまっとうします。
ヒロインが殺害されるアニメを、NHKで放送できるわけはありません。

しかし、原作『三銃士』では毒殺。
フランス王妃(夫はルイ13世)の忠実な侍女であったコンスタンスは、それゆえに政治の陰謀劇に巻き込まれ、反王妃派によって毒殺されてしまいました。
ダルタニャンは、年老いたボナシューが死んだあとコンスタンスと結婚するつもりだったのかもしれませんが、それはかないませんでした。
ダルタニャンは、愛する女性を殺害される悲劇の青年だったのです。




三銃士のリーダー・アトスはアル中


『アニメ三銃士』において、アトスは三銃士のリーダーとして知恵深く人徳ある完璧人間として描かれています。

原作『三銃士』でも、たいへん有能なリーダーであることに変わりはないのですが、いかんせん、アルコール中毒でした。
元妻に裏切られてアルコールに逃げてしまったのです。
映画『三銃士』(1973)では、アトス役の名優オリヴァー・リードが昼間から酒場で豪快に酔いつぶれているシーンが印象的。
わたしにとっての、映画のなかでの泥酔シーンBEST3の一つ。
90年代に観たきりですが、いまでも、酒に酔ったときはこのときのアトスのことを思い出すことがあります。
酒に酔い夢の世界をさまよっているさまは醜くも迫力があり、酔いしれているときのみわたしはアトスになったような気分になります。




男装の麗人アラミスは、原作では男で女たらし


『アニメ三銃士』でアラミスは大人気でした。
凛とした美男子。
しかし、じつは女性で、男装の麗人でした。
大傑作『ベルサイユのばら』のオスカルのように、気高く凛々しく、ちょっと陰のある中性的な女性。
当時の女性アニメファンに、宝塚的な感じで熱狂的に支持されたのがアラミスでした。

しかし原作『三銃士』では、男、しかも女好き。
ただ、かなりの美男子で、教養もあり、詩もたしなむ才人でした。
言い寄った女性を、その美貌と優雅さと知性でとりこにしてしまいます。

『アニメ三銃士』アラミスのストイックさに惹かれた女性ファンの目に、原作アラミスはどう映ったでしょうか。
映画『三銃士』(1973)では、美男子リチャード・チェンバレンが品のあるアラミスを演じていましたが、まちがいなく女たらしでした。




映画『三銃士』……剣での闘いはヘロヘロ


『アニメ三銃士』に限らず、剣の闘いのシーンは軽快この上なし。
剣を縦横無尽に振り回して大活躍します。

しかし、映画『三銃士』(1973)では、剣での闘いが長引くと、ぜいぜいはあはあ息を荒げてヘロヘロになりながら剣を打ち合わせるといったリアルな描写がなされていました。
これは当然です。
剣は、その重さによって敵を叩きのめします。
槍は突いて殺す、剣は叩き殺す。
その重い剣を振り回しているのですから、息が上がるのは当然。
ヘロヘロな描写はかっこうの良いものではありませんでしたが、事実に裏打ちされた迫力と、リアルに根差した妙な説得力がありました。

いまはなきアニメ雑誌『OUT』は、本放送のとき『アニメ三銃士』の特集を組んでいます。
このとき、1973年版映画『三銃士』を取り上げ、息を切らして闘うそのリアルさを絶賛していました。




『アニメ三銃士』と原作『三銃士』


小学5年~中学3年までの悲惨な学校生活とは打って変わった、充実した高校の学校生活。
大学受験の夢を追いかけ、張りのある毎日でした。
その高校時代から、大学受験を急ぎすぎ、受験勉強のために高校(雰囲気の良い高校でしたが偏差値がかなり低く、大学受験には不向きでした)を中退した時期に『アニメ三銃士』は放送していました。
激動の時代、夢中になっていたアニメの一つでした。

『アニメ三銃士』など、我々が知る『三銃士』のほとんどは、ソフトな肌触りに変えられています。
そのため、広く一般に『三銃士』は親しまれているのですが、原作や1973年版映画『三銃士』にもまた別の魅力があります。
暗く悲しい『三銃士』も、たまにはいかがでしょうか。


栃木県宇都宮市「宝蔵寺」の女◯と男根の石像


妙妙たる女◯と男根


昨日(2019.6.20)、宇都宮に電車で行ってまいりました。
ここ4年ほど、1年に1回、6月、宇都宮に電車で行くのが年中行事の一つになりました。

その宇都宮の「宝蔵寺」で、あのようなものを目にするとは……。
石像の女◯と男◯……。
男◯のほうは伏せなくていいでしょう……男根です。
かなりリアルな女◯と男根でした。

たしかに、神社やお寺には子孫繁栄や豊穣を願う女◯や男根の像が祀られていることはよくあります。
ただ、宇都宮の「宝蔵寺」のそれらは……どびっくりするくらいリアルでした。

わたしは、家族の幸せを祈るため、かつ、歴史や文化遺産に興味があるので、節操もなくさまざまな神社仏閣に立ち寄ります。
女◯像もいくつか見てきました。
男根像はいくつも。

しかし、そのほとんどは、「ああ、これは女◯と男根を模しているんだな」くらいの写実性です。
写実甘め。
とくに女◯のほうは、単純なかたちの男根にくらべデリケートに複雑なため、あるいは笑いの対象にもなる男根に対し気恥ずかしいというのがあるのかもしれませんが、模倣はあっさり目。
想像にまかせるといった感じです。
たとえば、【Y】のように。

しかし、宇都宮「宝蔵寺」の片すみの祠におさめられた一対の女◯・男根像はそうではありませんでした。

勃起した男根像は、理想の姿を追い求めているのか、隆々として迫力あり。
こまかいところまで細工されています。
「ああ……」と、良く見知ったものの精巧さにたじろぎました。
この種の男根像は「手加減」してつくられるものがほとんどですから、「ここまで似せていいの?」という戸惑いがあったのです。
それに、似せてつくろうとしても、制作者の腕の都合で写実性には限界があります。
男根像は庶民的な信仰ですから、村で石を彫るのがうまい誰それが制作者ということが多いので当然のことなのです。
しかし、宇都宮「宝蔵寺」の男根像は、どう見ても専門家の腕になる逸品。
専門家が本気を出しちゃった男根像でした。

女◯像はといいますと。
女◯像はたいがい、簡略化されています。
記号のようなものです。
子孫繁栄や豊穣の習俗を知っているものには女◯、そうでないとなにがなんだか得体の知れない物体に見えるというような。
これは先ほど述べたように、あまりに似せてつくることに対する気恥ずかしさと、制作者の腕の限界というものがあるかもしれません。
その2つを見事にクリアしてしまったのが、宇都宮「宝蔵寺」の女◯の石像なのです。

たとえば、ギリシアの古代彫刻には女性の裸身像が数多くあります。
しかし、歴史の本など、わたしの知るかぎりにおいては女◯はぼかしています。
そうしてもらわないと、そちらのほうが気になってしかたないのでそれでいいのですが、その手加減を加えていないのが宇都宮「宝蔵寺」の女◯です。

ただし、男根は勃起していますが、女◯は通常の状態です。
その範囲では、手心を加えています。
しかし、男子のわたしの口からは言いづらいのですが……女◯の襞(ひだ)などは丁寧なしあがりで手心なし。

「ううむ」
境内で一人、わたしは心のなかでうなってしまいました。




宇都宮市「宝蔵寺」


JR宇都宮駅西口から徒歩で3分ほどでしょうか、すぐ近くに「宝蔵寺」はございます。
駅からまっすぐに延びる宇都宮市街でも最大クラスの幹線道路「大通り」に面しており、駅からもすぐということで、立地は最高。

開基は円仁(慈覚大師)。
天台宗。
山号は光明山。
北関東三十六不動尊霊場十九番札所になっています。
住所は、栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12。

かなり立地の良い街中のお寺ですので、けっして広くはありませんが、境内は街中の喧騒が嘘のように静か。
閑静な空間のなかで都会のつかれを癒やすのは、どうでしょう。

御本尊は、阿弥陀如来(あみだにょらい)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)。
境内の一番奥に、女◯と男根の石像が祠のなかに祀られています。

ただし、普段は祠の扉が閉められていて女◯・男根像を見ることはできないかもしれません。
2度ほど訪れたわたしが、3度目にして初めてお目にかかることができたので、いつもは祠のなかにひっそりと静まっていらっしゃるのかも。

子孫繁栄や子宝成就を願われる方はいかがでしょうか。


『サタディ・バチョン』(浜村淳)……土曜深夜、関西から暗い闇を越えて浜村淳がやってくる



土曜の深夜は『サタディ・バチョン』


習慣的に、深夜に起きていた初めての経験は、中学1年生(1984年)のころ。
翌日、学校のない土曜日の深夜。

ラジオ大阪でやっていた、『サタディ・バチョン』というラジオ番組を聴くためでした。
『サタディ・バチョン』の放送期間は1974~91年。
放送時間は時期により変動しましたが、わたしが聴いていた84~86年ころは、23:00~25:00。
今回、ネットで調べるまでは24:00~26:00とばかりおもっていたのですが、もちろんネットのほうが正しいでしょう。

司会は浜村淳(はまむらじゅん)。
京都出身のラジオパーソナリティー/映画評論家。
「浜村節」といわれる独特の口調で、一世を風靡(ふうび)しました。
「それでは(み)なさん、聞いてください」というとき「み」にアクセントをつけるなど、非常に抑揚がきいていてリズミカルで、気分良くその卓越した話術に引き込まれました。
「主人公が走る、走る、走る。殺人鬼が追いかける、追いかける、追いかける」といったような畳みかける口調もテンポ抜群で、芸術的な話術の才能で聴くものをぐいぐい引き込んでいきます。




『サタディ・バチョン』浜村淳……映画にはめっぽう強いが、アニメにはすこぶる弱い


コーナーは、映画紹介、日本史、アニメソングのリクエスト、怪談、時事など。

映画紹介は、あらすじと解説を名口調でじっくりと。
20~30分ぐらいかけて紹介していたでしょうかね?
場合によっては、結末までしゃべってしまうこともけっこうあったとか(たとえば『エンゼル・ハート』)。
作品そのものより、浜村淳のあらすじを聴いているほうがずっとおもしろいという意見も。

日本史は、『古事記』『日本書紀』などを物語風に紹介。
倭建命(やまとたけるのみこと)や有間皇子(ありまのみこ)、大津皇子(おおつのみこ)など、悲運に泣いた人物に焦点を当てていました。
地元の関西の歴史、とくに古代史に力を入れていた印象。

関西は昔からアニメラジオが強かったからか、浜村淳はアニメの門外漢だったようですが、アニメソングのリクエストコーナーや、年に二度ほど聴取率調査に合わせてアニメソングベストテンを開催していたようです。
(アニソンベストテンでは、『蒼き流星SPTレイズナー』OP「メロスのように」が2度連続で1位になったことがあるとか)
しかし、浜村淳にはアニメ知識がないため、アニメ雑誌『OUT』のパロディを真に受け本当のこととして紹介した「やらかし」もあったそう。
(『蒼き流星SPTレイズナー』のレイズナー(青い機体)は、ソ連で放映されたものはソ連の国旗の色である赤に機体カラーが変更されているとか)

ちなみに、代表作を多数もつ有名声優の故・水谷優子さんもリスナーだったようで、「いま、『マシンロボ』というアニメでレイナという役をやってます」というハガキが番組で読まれたこともあったそうです。
『マシンロボ クロノスの大逆襲』は86年7月から87年5月まで放送。
レイナ・ストールは作品のヒロインで、主人公ロム・ストールの妹、「妹ブーム」を巻き起こすほどの絶大な人気をほこりました。
レイナ人気をささえた理由の一つに、初々しく可愛い水谷優子さんの声が挙げられています。

浜村淳というと明るい印象がありますが、深夜という時間帯に合わせ声は低めに。
とくに、はなしの終盤は深夜の闇に消えていくように暗く締めくくっていました。
その口調が、土曜の深夜にミステリアスな雰囲気をかもしだしていました。




遠距離ラジオの音を拾うのは、海中の潜水艦の航行音をキャッチするように難しい


わたしが住んでいるのは関東の栃木。
『サタディ・バチョン』の放送局は関西のラジオ大阪。
つまりは、かなりの遠距離からやってくる電波を拾わなくてはならないわけです。
(中継地点があって、そこからの電波を受信していたのかもしれませんが)

とにかく、音を合わせるのがたいへんでした。
当時のラジオは、チューナーのダイヤルをまわして放送局の周波数に合わせます。
周波数はだいたいわかっているので、そこにダイヤルを調整します。
しかし、なかなか浜村淳の声が入ってこない。
ほかのラジオ番組が邪魔して、ラジオ大阪の電波にフィットしないのです。
まず、耳を澄まして浜村淳らしき声をキャッチしなければなりません。

まるで、海底にもぐる潜水艦をソナーでさがすように、ゆっくりと、慎重に、意識を聴覚に集中してダイヤルをまわします。
水中ではレーダー波の減衰がいちじるしくレーダーがつかえないため、ソナーで音を拾い敵を探知します。
わたしは、海中に棲息する潜水艦を逃すまいとする海軍兵士のように、ラジオから漏れる音に意識を集中しました。

耳には複数の他局ラジオ番組の音声。
トークあり、歌あり、ノイズあり。
ん?……これは?

浜村淳の声がやっと判別できました。
しかし、そこからがまた、たいへん。
この段階ではまだ、なにを言っているのか理解できません。
浜村淳がしゃべっているのは確かなのですが、そのはなしの内容までつかめない。
浜村淳の声をクリアにするため、つぎに、ラジオの場所を変えたり、ラジオの方向を変えたりします。

周波数は同じままでも、置き場所やラジオの方角により電波の受信状態が異なり、明瞭に聞き取れたり、まったく聞き取れなかったり。
土曜の深夜に、けっこう大きく重いラジカセを手にもっては部屋のなかを大移動、そのラジオの方角を変えるためにクルクル回転させるといった、めんどうくさい作業に時をついやします。

これで、なかなか良い音質になった……。
しかし、数分後には、まったく同じ周波数、置き場所、方角であるにもかかわらず、ふたたび受信状況が劣悪になることも。
そうなると、また、ダイヤル調整、部屋のなかを冒険、メリーゴーラウンドよろしくラジオを回転させる営みが。

気象条件などにもよるのでしょうが、日によって順調なときとそうでないときがあります。
順調なときは浜村節を心地よく落ち着いて堪能することができるのですが、そうでないときは2時間のうちのかなりを音合わせに忙殺されることになります。
夜が深まれば深まるほど、他局の放送が終了(かつては、いまのように深夜ぶっとおしの放送というのはそれほど多くはありませんでした)します、すると、音を拾うのもずいぶんラクになるのですが。

それでも聴きたかったのが、浜村淳の『サタディ・バチョン』でした。




土曜の深夜、多くの人々と闇に潜む者たちの頭上を越えて電波はやって来た


大阪から栃木にいるわたしまで、電波はさまざまな人生を送る多くの人々の頭上を越えてやって来ます。
その電波で、わたしは『サタディ・バチョン』を聴いていました。
どのような人たちの頭上を越えてきたのだろうか……というようなことを、中学生だったわたしは土曜の深夜に漠然と考えていたような気がします。

同時に、土曜の深夜の暗い闇のなか、息をひそめていた「なにものか」の頭上をも電波は飛び越えてきたのだろうな、とも。



スポーツエリートたちの栄光……「××高校の××だ!」(スポーツ漫画/アニメ)



スポーツエリート


漫画やアニメのスポーツもので、大会会場や会場入りしようとして歩いている登場人物が、ちょっと遠くのほうから「××高校の××だ!」とヒソヒソささやかれるシーンが、わたしはけっこう好きなんですよね。
「西高のお蝶夫人よ!」(『エースをねらえ!』)みたいな。
この場合、名の知れた強豪だからさわがれるわけです。
一目も、二目も、三目も置かれているわけです。
運動音痴なわたしには、とても無理。
だから、そうやってスポーツで一目置かれることに憧れがあるんでしょうね。

中学や高校だと、勉強の名門校でもこんなことありそうですね。
制服や校章から、「あいつ、××中じゃね?」「あの子、××高よ」みたいなのは。
中学は無試験の公立、高校は偏差値40前半の高校だったので、これまたわたしには無縁。

この満たされなかった想いが、憧れにつながっているのでしょうね。




栃木県某市のスポーツ名門高校


昨日(2019.6.11)、わたしの住む市内では最大のスポーツの私立名門校の近くをとおり、あらためてスポーツエリート学生への興味が。

この高校は勉強でも市内No.1なのですが、全国では無名。
その点、スポーツにおいては複数の競技で栃木県上位校の常連ですし、たまに全国大会でも上位に顔を出すことがあります。
野球やサッカーなど。
全国でもそれなりの、栃木県においてはまちがいなくスポーツのエリート名門校です。

市内を貫流する川沿いに自転車ではしっていると、川の向こうに川に並行して高校の建物がたちならんでいます。
瀟洒(しょうしゃ)でカラフルな建物の数々は、学歴エリート・スポーツエリートのきらびやかさを象徴しているよう。
どれだけの人が、その光景を目にして名門高校への憧れをいだいたことか。

高校周辺には、充実したスポーツ施設が。
たとえば野球場があります。
専門の。
観客席をそなえた野球場。
高校の野球練習場は、普通、校舎のグラウンドを区画して、サッカー部や陸上部などほかの部活とグラウンドを分けあうものですが、ここには校舎のグラウンドとは別の敷地に観客席つきの専門の野球場が設えられています。
両翼95m、中堅125m、観客席も広く、内野は土ですが外野は人工芝、照明も完備していてナイターも対応可能という充実ぶり。
高校関係者ではないのでなかには入れませんが、入口から見た野球場の外見だけでもその巨大さが視認できます。
スポーツエリートにのみ許されたぜいたくといった感じ。

また、この高校には他県出身のスポーツ特待生も多いのでしょう、寮の建物もたちならんでいます。
地域地域では「怪物」呼ばわりされていた猛者たちが、おなじ屋根のもと寝起きをともにしているわけです。
さながら、怪物密集地帯。
隣の芝生はやけに青く見えます、運動音痴のわたしには望んでも手のとどくことのないスポーツエリートたちの世界がそこにはあります。

寮の前にはバス。
かつて目にしたのは、ゴルフ部専用のバスでした。
練習場への往復用なのか、遠征用なのか、車体に「××高校ゴルフ部」の文字が。
わたしの通っていた高校には、部活で共用するバス一台すらありませんでした。
このちがいが、エリートが受ける優遇のあらわれの差の一つなのでしょう。




栄光のスポーツ漫画/アニメのエリートたち


『エースをねらえ!』『ホールインワン』『キャプテン翼』『はしれ走(かける)』『甲子園の空に笑え!』『SLAM DUNK』『テニスの王子様』『アイシールド21』『おおきく振りかぶって』『黒子のバスケ』『弱虫ペダル』など、人々を魅了しつづけるスポーツ漫画/アニメ。
ほとんどの作品は、主人公とライヴァルたちの双方、あるいはいずれかがスポーツエリートたちです。
それも超がつく。
ですから、必然的にこのセリフがささやかれます。
「××校の××」

こう言われるのは、さぞかし、良い気分だったでしょうね。
でも、これに馴れすぎると、あとあと大変なことになるかもしれません。
いつまでも、スポーツエリートのままでいられる保証はどこにもないわけです。
昔はよかった、となりかねない。
ただ、そんな「過去の栄光」に囚われた元エリートが主人公のスポーツ漫画/アニメも観てみたい気はしますが。


『巨神ゴーグ』(1984)……大地の鳴動の向こうに「神々」である異星人はいた



巨神ゴーグ


巨神ゴーグ』(1984)

13歳の少年・田神悠宇(たがみゆう)は、亡き父が研究していた秘密を追って、南太平洋のオウストラル島へ。
同行するのは、14歳の少女ドリス・ウェイブと、その兄で悠宇の父・田神博士の弟子であるトム・ウェイブ(ドクター・ウェイブ)。

オウストラル島は、南太平洋、サモア諸島東南2000キロに浮かぶ島。
旧島と新島があり、旧島は古来より陸地として存在、島民も居住しており、かたや、新島は3万年前に海の底にもぐったものが、近年ふたたび再浮上した島。
この無人のオウストラル新島において、世界的コングロマリットのGAIL(ガイル)は各所で大規模な採掘作業をおこなっていた。

GAILは「世界を支配できる秘密(宝)」を手に入れようとしていた。
この秘密を独占したいGAILは、邪魔者を抹殺することもいとわない。
悠宇たちもまた、GAILのターゲットであった。

生命の危機がせまるなか、悠宇たちはオウストラル旧島の島民から神の使いとあがめられる青い巨人に出会い、たすけられる。
ゴーグ
全高13.5m。
言葉はしゃべらないが、みずからの意思で行動するロボット。
硬い装甲と底知れないパワーは、GAILの私設軍隊の有する最新の近代兵器である戦車や戦闘ヘリコプターをまったく寄せつけなかった。
悠宇たちはゴーグに守られながら、オウストラル島の秘密を探し求める。


(本稿は、おもしろくてタメになる片Pさんの『巨神ゴーグ』のブログの記事に触発されたものです。この場を借りて、感謝申し上げます)




オウストラル島の宇宙文明


オウストラル島の秘密とは、宇宙文明でした。
3万年の太古、故郷の星を失った異星人がオウストラル島に漂着。
新島を沈め、そこで眠りについた異星人たち。
しかし、3万年ぶりの新島の浮上とともに、人間たちの欲望に火がつきました。
世界を支配できる秘密=異星人文明は、是が非でも手に入れたい「夢の宝」でした。

ゴーグも、異星人の超文明の産物です。
ゴーグだけでも、最新の近代兵器で武装したGAILの私設軍隊はまったく歯が立ちませんでした。
では、異星人の超テクノロジーを、そっくりそのまま獲得したあかつきにはどうなるのか……。
答えは、火を見るより明らかです。
GAILが宇宙人文明を手に入れるのを阻止しなければ、地球は暗い歴史を歩むことになるでしょう。




大地の鳴動の向こうに神々は眠る


ゴーグは、旧島の島民から「神の使い」と呼ばれ、尊崇を受けています。
この作品では、宇宙人たちは「神」のごとき存在として描かれています。
人間の理解のおよぶべくもない文明をもった「神」のごとき存在。
物語終盤に登場する、異星人のリーダーであるマノンも、感情の起伏の少ない「神」のごとき超然とした異星人でした。

この「神々」の「宮殿」のありかについて、『ゴーグ』ではじつに「神々の居場所」にふさわしい伏線が張られています。

3万年前、異星人たちは、未熟な地球文明が成熟して自分たちと共存できるようになるまで眠りにつくことを決めました。
その眠り……冷凍睡眠の場所は、オウストラル新島の奥深く。
火山の地下でした。

異星人たちも、火山の地下遺跡も物語終盤まで登場しません。
かたや、物語の序盤から、どこから聞こえてくるのか不明な、低く、くぐもった大地の発する鳴動がオウストラル島全体に鳴り響いていました。
神秘的なような、気味悪いような、正体不明の鳴動。

この不気味な音が、じつは、異星人の眠る地下遺跡から火山の隙間を縫って外にもれたものであることが物語終盤にあきらかになります。
悠宇たちも我々視聴者も、知らず知らずのうちに異星人たちの遺跡から発せられた「神の声」を耳にしていたのです。




いまも眠る宇宙から来た「神々」


思い出をだいなしにしたくないので、思い出深いアニメやマンガなどを気楽に観られない・読めないという癖(へき)がわたしにはあります。
一度なにかのきっかけがあれば、そのあとは繰り返し観る・読むことができるのですが、テレビアニメのなかで7~10番目前後くらいに好きな『巨神ゴーグ』にはそのきっかけもなく、ほぼ本放送(1984)以来一度も観ていません。
ですから、地鳴りの正体を知ってからさかのぼって作品を見返し、その大地の鳴動の音を聞くといったことはしていません。

しかし、不気味な地鳴りが得体の知れない異星人たちのもとへつながっていることを想像しただけで、わたしは快い戦慄をおぼえます。
雷は「神鳴り」で、雷鳴は神の存在を推知させました。
たとえば、ギリシア神話においては、雷は主神ゼウスの武器でもあるのです。
かつてのギリシア神話が流布していた文化圏に住む人たちのなかには、とどろく雷鳴の向こうにゼウスを想像し恐怖していた人たちもかなりの数いたでしょう。
多くの文化圏で、雷は神の起こすもの、轟音を響かせる雷鳴の向こうには神々がいることを想起させました。

『ゴーグ』の場合、大地の鳴動の向こうに、「神々」にひとしい異星人たちがいたのです。

これは、監督・企画・原作・キャラクターデザイン・ロボットデザイン・作画監督・絵コンテなどを担当した安彦良和は狙っていたとおもいます。
安彦良和は神話・伝説などに知悉(ちしつ)しています。
漫画家でもある安彦良和は、ギリシア神話に材を取った『アリオン』をはじめとして、日本神話などをモチーフにした『ナムジ』『神武』『蚤の王』『ヤマトタケル』などを世に送り出しています。
雷鳴と神との関係を知っているであろう安彦監督は、『ゴーグ』では大地の鳴動と「神」である異星人を関連させたのではないでしょうか。

大地の鳴動の向こうに「神」である異星人がいる、そのことに思いをめぐらすと、いつも神秘的な酩酊感につつまれます。
遠方でとどろく雷鳴や、遠方からの不可思議な物音の向こうに、わたしはいまでも太古の昔に地球に漂着したマノンたち異星人を想像します。



『巨神ゴーグ』(1984)…… 「異星人文明の発掘」と「神々のいびき……地鳴り」(&茨城県古河市 新三国橋)



巨神ゴーグ


人里離れた建設現場や発掘現場に出くわすと、『巨神ゴーグ』(1984)のことを思い出します。



『巨神ゴーグ』は安彦良和作品。
企画、原作、監督、作画監督、キャラクターデザイン、ロボットデザイン、絵コンテ、作画監督の主要な役職を安彦良和一人で手がけています。

安彦良和の主な業績は以下の通り。
『クラッシャージョウ』『アリオン』『ヴイナス戦記』などアニメ作品の監督(前二作品はキャラクターデザイン・作画監督も。後二作品は原作も)。
『勇者ライディーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『機動戦士ガンダム』『劇場版 機動戦士ガンダム』『無敵超人ザンボット3』『機動戦士Zガンダム』『機動戦士F91』などのキャラクターデザイン(前四作品は作画監督も)。
漫画家としても、『アリオン』『クルドの星』『ヴイナス戦記』『ナムジ』『虹色のトロツキー』『神武』『韃靼タイフーン』『機動戦士ガンダム THE ORIGINE』『天の血脈』『ヤマトタケル』など歴史・ファンタジー・SFを題材にした作品を多数、ものしています。



『巨神ゴーグ』
13歳の少年・田神悠宇(たがみゆう)は、亡き父が研究していた秘密を追って、南太平洋に浮かぶオウストラル島へ。
同行するは、14歳の女の子ドリス・ウェイブと、その兄で悠宇の父の弟子トム・ウェイブたち。
そこは、【あるもの】を探しもとめる世界的コングロマリットGAIL(ガイル)に支配されていた。
【あるもの】の秘密に近づこうとする悠宇たちを抹殺しようとするGAILの私設軍隊。
そんななか、優しい目をした青い巨神……ロボットの「ゴーグ」に出会う。
この出会いは、3万年の秘密を呼び覚ますことになる……。




秘密が眠るオウストラル島


オウストラル島は、南太平洋、サモア諸島東南2000キロに浮かぶ島。
旧島と新島があり、旧島は古来より連綿と存在、新島は3万年前に海の底にもぐったものが近年再浮上した島。
この広大な新島の各所で、【あるもの】を目当てにGAILが発掘を繰りひろげています。
新島は近年まで海底に沈んでいたため無人の島であり、ジャングルや山裾や渓谷や河畔で採掘作業に従事している作業員と、それを護衛する私設軍隊の傭兵の、GAILに雇われたものたちだけがほぼ人のすべて。
ほぼ……。
ですから、作業現場はさびしい。
(例外は、GAILに敵対する悠宇やドリスたちと……)
作業員と傭兵の数は相当な数にのぼるとはいえ、相手は広壮な自然界。
大自然に呑みこまれそうななか、作業員たちがほそぼそと発掘作業に従事しています。
世界の片すみで働いているかのような寂寞(せきばく)とした雰囲気に、そこは満ちていました。




悠久の大自然、寂しい工事現場


35年前(1984年)のこの印象があまりに強烈で、いまだに人家や人気(ひとけ)が周囲にない工事現場を目にすると『ゴーグ』を思い出します。

90年代、2000年代、わたしは記憶の障害をわずらい、その療養もかねて自転車(普通自転車)でさまざまな場所へ行き来していました。
往復25~30kmの距離だと、近場という感覚しかありませんでした。
最大だと往復120kmくらい。
そのため、いくつもの工事現場を目にしてきました。

たとえば、茨城県古河市の新三国橋(しんみくにばし)の工事現場。
2000年に開通した全長2500m、そのうちアーチ部685mの大きな橋。
渡良瀬川をまたぎ、埼玉県加須市と茨城県古河市をつないでいます。

いまや、交通のかなめになった新三国橋の周辺は、古河総合公園が拡大整備されたり、店舗が建ち並んだり、住宅街も整備されたり、にぎやかなものになっています。
新たに出現した小さな都市といっていいでしょうか。

しかし、90年代後半のころは、その周辺に大河である渡良瀬川を渡河する大きな橋がないため人の往来はまばらでした。
平日の日中などは、河川敷にも堤防にも人がいない。
じつに寂しい場所でした。
世界の隅っこのような印象。
ここに、渡良瀬川にかかる巨大な橋を建設する、規模の大きな建築現場がありました。
ですが、周囲のうら寂しさゆえに、そのなかにぽつりとあらわれた巨大建設現場は、渡良瀬川の悠久の大自然のなかで孤立して、うそ寒くなるくらいに生気がありませんでした。

建設作業員の方たちには申し訳ないのですが、まるで建設中の橋ごと幽霊であるかのような、幻影であるかのような、蜃気楼であるかのような現実感のなさ。
わたしが自転車でやってきたよそ者で、地理不案内のため、疲労と疎外感でそのようなおもいがつのっていたのかもしれませんが、明日また訪れたなら、建築現場はそこにはまったく存在せず、夢幻と消えていたとしても不思議ではない、そんな「うつろ」さがありました。

悠宇やドリスたちの目にも、オウストラル島の発掘現場はこのように見えていたのでしょうか。
ただ、悠宇たちはGAILに生命を狙われていて、ただたんに堤防の上から川のなかの工事現場をながめていただけのわたしとは緊迫感がまったく違いますが。




目的は異星人


GAILの発掘作業がなにを目的にしているのか、それは物語の終盤まであきらかになりません。
ただ、ヒントはゴーグにあります。
悠宇とともに戦うゴーグは、言葉はしゃべりませんがみずからの意思で戦い、かつ、地球の現有兵器ではまったく歯がたちません。
ゴーグは、ロボット。
全高13.5mの青い巨人。
戦車や戦闘ヘリコプターを擁するGAILの軍隊は敵側ですが、気の毒になるくらいゴーグにたちうちできません。
ゴーグは基本的に素手で戦い、そこいらに転がっている巨岩や生えている巨木を投げたり振り回したりするだけで、飛び道具はもっていないのに。
これは、地球のテクノロジーとはちがう、はるかに進んだ「なにか」により産みだされたものであろうことは明白です。

しかし、謎のヴェールはちょっとずつちょっとずつ剥がれていきます。
そして明らかになったのは。
……異星人でした。
故郷をうしない、3万年の太古に、地球に漂着した異星人が降り立ったところがオウストラル新島でした。

GAILは、その卓越した異星人文明の独占をはかっていたのです。
発掘は、異星人文明の獲得をめざしたものだったのです。



地鳴り……届けられた「神々のいびき」


物語の初期のころから、オウストラル島全体に正体不明のくぐもった神秘的な地鳴りがときどき鳴り響いていました。
この地鳴りは、オウストラル新島奥深い火山の洞窟のなかから響いてくるものでした。
この洞窟のなかで「異星人」たちは3万年の眠りに就いていたのです。

地鳴りには、雷=「神」鳴りのように、霊妙な存在を推知させる意図が安彦監督にはあったのかもしれません。
安彦監督は、そのような神話や伝説に造詣(ぞうけい)の深い方です。
じっさい、地鳴りは「神」とまがう超テクノロジーをもった異星人たちの眠る「宮殿」から発せられたものでした。

わたしは、遠方からとどく雷鳴や不可思議な物音を耳にしたときも『ゴーグ』のことを思い出すことがあります。
そして、その源にはなにか得体の知れぬものが存在しているのではないかと、一瞬、錯覚するのです。



熱に浮かされた日は、「夢」と「映画」(エンドルフィンの海に溺れて)



熱に浮かされた日


熱が出たときというのは、苦しいと同時に、謎の昂揚感も。
布団にくるまると、みょうな安らぎをおぼえます。

これは一つには、かつて、熱があれば学校を休めた記憶がそうさせているのかもしれません。
イヤな学校を、熱という「錦の御旗」によって休めたわけです。
ずる休みよりもパーフェクトな休みの口実。

そして、その日は寝込みっぱなしではなく、漫画読んだり、アニメ観たり、映画観たり、38度以上の熱とかシャレにならない状況でなければ、良い休日になるわけです。
わたしの場合、大人になってからの高熱はほとんどなくなりましたが、子供のころはけっこう高熱を経験していたので馴れっこになり、39度ちょっとくらいまでならアニメや映画をがんがん観ていたような……。




エンドルフィンが見せる夢?


それに、脳内麻薬ともいわれるエンドルフィンかなにか、苦しさを緩和する脳内物質が出ているのでしょうね。
麻薬のような多幸感をもたらすエンドルフィン。
苦しさの度合いに応じて、脳をエンドルフィンが浸すわけです。
脳のエンドルフィン漬け。
そうすると、苦しいにもかかわらず意味不明な昂揚感が湧いてくる。
寝床で丸まると、巣のなかのひな鳥のようなたまらない静穏さにつつまれる。

それと、熱が出たときって、優しい夢を見ませんか?
自分に都合のいい夢。
今日の昼(2019.5.31)、花粉症のアレルギーでかなりひどい疲労困憊(こんぱい)状態のなか熟睡しましたが、なにか映画みたいな夢を見ました。
はっきりとした夢の記憶はないのですが、恋愛していましたね。
相手の顔もおぼえていませんし、どのようなストーリーだったかも記憶にないのですが、目覚めたときに『恋愛か……』と心のなかでつぶやいていたので、おそらくそうなのでしょう。
いい気分でした。
夢のなかでは能力、魅力、人間力などが段違いに上がりますからね!(かなしい……)。

熱に浮かされているなど調子のわるいとき、なにか自分におあつらえ向きの「良い夢」を見るのがお決りのような気がします。
エンドルフィンが見せる夢なのかもしれません。
現実を忘れさせ多幸感でみたして川底に引きずりこむサイレンの魔女の歌声のような、エンドルフィンの見せる幻。
無意識の奥底に引きずりこみ、現実とはちがう異世界……夢の世界にいざなうのです。




病気休みの日には映画鑑賞(『2時のロードショー』)


学校がとくにイヤだった82~86年ごろは、病欠の日は映画が定番でしたね。
82、83年ころは、小学校の登校時間あとの時間帯のため絶対観られなかったテレビ東京の『伝説巨神イデオン』再放送も。
この二つは、病気休みの思い出です。

当時、関東地方ローカルのテレビ東京で、平日午後の2:00~3:25まで『2時のロードショー』という映画番組がやっていました。
そして、80年代前半には、テレビ東京で平日午前10時台から1時間半未満、もう一本の映画番組がやっていました。
夕方までに、最大2本の映画を観ることができたわけです。

ただ、このころテレビ東京で放送される映画は子供に向いていないものが多いのです。
いまテレビ東京では、午後の1:35~3:40まで『午後のロードショー』が放送されています。
放送される映画は、比較的新しいものはマイナーなものですが、70年代、80年代、90年代作品だと有名作品、ヒット作などが目白押し。
かつてならゴールデンタイムに目玉として放送されていた映画も、普通に放送されています。
(ブレードランナー、マッドマックス2、遊星からの物体X、ダイ・ハード、逃亡者、などなど)
古くなって放送権料が安くなったのでしょう。

しかし、『2時のロードショー』は82年83年の放送リストを見ても、ほとんど無名の映画ばかり。
過去の大作も放送していますが、ごくまれ。
なにしろ、人気がなくて放送権料の安い映画をまとめ買いしてきては放送していたそうですから。
一般受けしそうにない映画が多かったでしょう。
もちろん、一般受けしなければ子供受けはむずかしい。
たとえば『スターウォーズ』とおもいきや『スペース・ウォーズ』(83年3月31日(木)放送)だったり。

この『2時のロードショー』、お茶の間にとんでもない映画をつぎつぎと送りこんでいたことでもそれなりに有名な映画番組。
よく「トラウマ」になったとか紹介されています。
人が理不尽に死んでいっても事件は解決しないで終わったり。
主人公やヒロインの精神が病んでいって、最後は事故で亡くなったり、殺害されたり。

そんなのを熱にさいなまれながら観ていたのです、悪夢ですよ。
……いや、脳内の快楽物質にたすけられて、わけのわからない幸福感につつまれていたのかな?