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『敦煌』(1988)……まわりはカップルばかりなり、一人は自分のみの巻



敦煌

『敦煌』(とんこう)

1988年6月25日公開。
原作:井上靖
監督:佐藤純彌
出演:佐藤浩市(趙行徳)
   中川安奈(ツルピア)
   西田敏行
   渡瀬恒彦
   柄本明
   原田大二郎


11世紀、中国。
北宋の時代。
科挙の試験に落ちた趙行徳(ちょう ぎょうとく)は自暴自棄におちいる。
そんな折り、中国の西の辺境に建国された新興国「西夏(せいか)」の文字に興味をもった行徳は、わずかな希望を胸に抱いて、はるか西方を目指す。
中国大陸の西の辺境は砂漠の大地。
行徳は砂漠に難儀しながら西夏を目指すも、途中、西夏の軍隊に捕獲されて強制的に兵士に編入されてしまう。
その西夏の軍隊は、砂漠の大地で異民族のウイグル族と抗争し、勝利し、着実に領土を拡大していく。
ウイグルに勝利したとき、偶然、行徳は逃げ遅れて身を潜めていたウイグルの王女ツルピアに出会う。
初めは敵として行徳に刃を向けたツルピアも、行徳の誠実な人柄に触れ、二人は愛し合うようになる。
しかし、この二人の出会いはのちにツルピアの死という悲劇を生む……。
大国目指して領土を拡大する西夏。
その野望は、シルクロード(後世、1877年命名)のもたらす莫大な富により繁栄する砂漠のオアシスの国・敦煌にも迫る。
そんななか、失意のどん底にいた行徳は、敦煌の文化遺産を守るため立ち上がる。
行徳たちは、仏教経典や書籍・美術品などを戦乱による破壊から守るため、敦煌城から敦煌郊外の石窟寺院(せっくつじいん)へとそれらを運び出す。
戦乱による混乱のなか、行徳たちの文化遺産を守る戦いは難渋をきわめた。
……そのおよそ900年後、1900年、敦煌郊外の莫高窟(ばっこうくつ)で歴史的に貴重な経典などが多数発見される。
誰が、なんのため、いつ、莫高窟にこれらの文献を秘匿したのかは、いまだ歴史の謎のままである。




シルクロードがブームだった

1988年は、シルクロードがブームでした。

2時間枠の特別番組が民放のゴールデンタイムでけっこう放送されていた時代です。
好評だった『NHK特集 シルクロード』も、第一部(1980~81)、第二部(1983~84)に続いて第三部(1988.4.23~89.3.26)が放送。

「なら・シルクロード博覧会」(1988.4.23~88.10.23)は入場者682万人を記録しました。

そして、井上靖のシルクロードものを中心に出版界でもシルクロード・ブームが起きていました。
映画『敦煌』は、そのような土壌で制作され、この『敦煌』がさらにシルクロードへの関心を盛り上げます。




『敦煌』を観に、宇都宮へ、劇場へ

高校2年のわたしは、7月か8月……いずれにしろ真夏に宇都宮(栃木県)に『敦煌』を観に行きました。

高校1年のとき、「進研ゼミ」の情報誌で井上靖の歴史小説の存在を知ってから、わたしは井上靖の大ファン。
大の歴史好きということもあり、『敦煌』は見逃せない作品でした。

劇場のスクリーンは、建物2階ぶんをぶち抜いたかのような大画面。
当時の栃木県の映画館では、もしかしたら、最大のスクリーンだったかもしれません。

客席も広い。
しかし、観客数はその客席を埋めるにはほど遠い人数でした。

わたしは、わりと前のほうに陣取ったのですが、上映前、観客数を確認するために後ろを振り返ると客席はすかすか。
大きな映画館に、観客が30人ほどでしょうか。
客席の空きがあまりにも多いので、指定席制ではなかったこともあり、銘々が大海のなかの離れ小島のように距離を置いて散在していました。

わたしの左右、後ろには7、8人分の空席があったのではないでしょうか。
ですから、目立つのです。
観客と観客とのあいだに大きな分断があるため、観客が一人で来たのか、連れと来たのかが。
そして、わたしにとり悲劇的だったのは、わたし以外、すべてが男女のカップルでした。
15組くらいでしょうか。
その15組30人のカップルが、離れ小島のようにそれぞれ一つ所にまとまっているのです。
一人はわたしだけ。




まわりはカップルばかり

……ちょっと、きつい。
戦力比、1:30。
30人のカップルと、一人のひとり者です。

互いへの熱い想いに焦がれる恋人たち。
(冷めている人もいたかもしれませんが)
対するは、相方のいない男子が一人。

先にも後にも、これだけ男女のカップルに占められた映画館というものを経験したことがありません。
たいがいは、一人客や女性同士、男性同士の観客がいく人かはいるものです。
これに近い状態は、東京の渋谷で『レオン』(日本では1995年公開)を観たとき。
特別割引の日でしたので観客は満員、また渋谷という場所柄デート中であろうカップルたちで館内はあふれんばかりでしたが、それでも一人客、女性同士、男性同士の観客もいたように記憶しています。

しかし、宇都宮の『敦煌』上映館内は、わたし以外、カップルばかり。
ポーカーのストレートフラッシュです。
わたしがいなければ、カップル100%のストレートフラッシュ。
しかし、わたしがいるのでカップル率100%にならず、ストレートフラッシュならず。
……こういうときは、みなさんに謝ったほうがいいですかね?(ヤケ気味)

多少は、わたしもそのとき怯みました。
『うっ、俺だけ……?』
と。

しかし、わたしは高校入学直前ごろから、「偏執的な愛情」を歴史に抱いている人間です。
恋人たちが互いへの熱い想いに燃えているとき、わたしは、まだ見ぬ敦煌……西域(せいいき/さいいき)……シルクロードへの熱い想いに燃えていたのです。
わたしの情熱は、上映前から『敦煌』にのみ向けられていました。
そして、上映中、わたしは誰にも邪魔されず、戦いと恋、絶望と希望、死と生のドラマに埋没していました。
わたしの心は、1988年の日本ではなく、11世紀の砂漠の世界へと旅をしていたのです。

入れ替え制ではなかったので、2回連続で鑑賞しました。
じつに、良い映画でした。
夏の良い思い出です。

ですから、恋人と『敦煌』を見たなら、どのような感情が芽生えたのか、そんなものにはまったく興味はありませ……やっぱり、それはありますよね。


パプテマス・シロッコ&ジ・O(ジ・オ)……「神の意志」を体現したMS 『機動戦士Zガンダム』



ジ・O……意味するところは「神の意志」あるいは「神そのもの」

「歴史の立会人」を自任したパプテマス・シロッコは宇宙世紀ガンダムのなかでも指折りの天才であり、それに比例するような傲慢な人物でした。
それは、シロッコの最後の愛機であるジ・O(ジ・オ)の名前の由来にもあらわれています。

「ジ・O」は「THE O」。
「THE O」は「THEOLOGY(神学)」の略称。
意味するところは「神の意志」。
あるいは、「神」そのもの(ジ・Oデザイナーの小林誠によると)。




唯一にして完全なる球体は「神」

THEは「唯一」を。
Oは「完全球体」を意味するといいます。
この「唯一の完全球体」とはなんでしょうか?

「神」です。

この世で完全な球体に見えるものも、ミクロレベルでいえば表面はでこぼこしています。
ですから、人間の世界には完全なる球体は存在しません。
では、どこに存在するのか?
神の領域です。
だから、完全なる球体=「神」なのです。

わたしは哲学には疎いのですが、歴史の本はそれなりに読んでいます。
古代ギリシアや仏教関連の書籍を読んでいると、この「完全な球体とは神のこと」あるいは「神のような次元の高い存在」という思想はけっこう良く目にします。

「THE O」は「唯一の完全球体」=「神」「神の意志」というのはあながち間違いではないのかもしれません。




宇宙世紀のパプテマスは、「神の意志」を体現して「世界を支配する女性」をバプテスマ(洗礼)しようとしたのだろうか?

シロッコの名前であるパプテマスは、キリスト教の「バプテスマ(洗礼)」に似ています。
名前からして、シロッコは宗教にゆかりが深いのかもしれません。

また、新約聖書に登場するイエスたちをバプテスマ(洗礼)した「バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)」は、救世主(キリスト)であるイエスを導いた先駆者です。

シロッコは、一握りの天才による世界の変革をもくろんだ男であり、その変革をなすのは「戦後世界を支配するのは女だと思っている」(シロッコ)というように、世界を支配する女性(天才の女性か?)の導き手としてみずからを任じているようにも思えます。
このスタンスは、洗礼者(バプテスマ)に近い立ち位置とは言えないでしょうか?
これこそが、シロッコの「神の意志」の体現なのかもしれません。




神そのものになろうとしたかもしれない宇宙世紀のパプテマス

「神の意志」を体現しようとしたのかもしれないシロッコ。
しかし、「一握りの天才」以外の俗人を「天才の足を引っ張ることしかできなかった」と見下すシロッコの性格を考えれば、「神」そのものになろうとした可能性も捨てきれません。
ジ・Oの名称は、その宣誓の意味があったのかもしれません。
もちろん宣誓の相手は……「神」です。

人のいない神社がいい……神社は癒やしと歴史にあふれている



神社めぐり


昨日(2019.7.24)、運動不足解消・体力づくりがてら、自転車で地元栃木の神社をまわってきました。

ワケあって(勉強に関するつまらない理由ですが)、2012年ごろから多忙の身でして、そのころから外出もめっきり減り、最近ではますます外出する時間を捻出するのに苦労しています。
どうも、わたしには時間を浪費する才能が旺盛にあるようで、忙しい身でありながら物事をスピーディーにさばけない。
エンジンが切れたように、ぼうっとしている時間も多い。
寝る時間も、ムダに多い。
そのような障害を乗り越えて外出・遠出の時間をひねりだすので、わたしにとって外出の時間はたいへん貴重なものになっています。

2010~2012年以前は、年中、自転車であっちをふらふらこっちをふらふら(20年前後わずらっていた記憶の障害のリハビリという意味もありましたが)していたころとくらべると、別の人生を歩んでいるような変わりようです。




神社は癒やしの空間


わたしの好きな神社は、ほぼ参詣人がいないところです。
大神社でなく、小さい神社。
周囲に人家がまばらな神社。
山麓や、森林や、田園地帯の、人家から隔絶したところならなお良し。

そのような神社は、祭りや祭礼のときなどをのぞいては、訪れる人もごくまれです。
人口過密でない地方の小さな神社だと、100のうち2、3度、人に会うくらいでしょうか。
ほぼ、人に会うことはありません。

さらに、神社の周囲は、鳥居のある入口以外は林で外界から区切られている場合がほとんどです。
無人の度合いは、そのため、さらに濃くなります。

そんななか、一人になり、ゆったりとした時間に身をまかせるのがたまらないのです。
なにも考えず頭をからっぽにして、うまい空気、神秘的な雰囲気のなかにいると癒やされます。

想像力の開放も癒やしてくれます。
非日常的な神や神獣などのイマジネーションが、世俗にまみれ硬くなった心をちょっとやわらげてくれるのです。



神社には歴史が積もり積もっている


歴史・神話好きというのも、神社巡りの理由からはずせません。

昔から人々が願い事をした神社の境内には、人々の喜びや悲しみが染みついています。
人々の歴史がそこにはあります。

神殿や彫刻にも長い歴史を刻んだものがあり、歴史好きにはたまらない空間です。
神や龍や仙人の彫刻は古びて、社殿には歴史の星霜が積もり積もっています。
なかには、古来より学問をする人々にとって憧れの的である、中国の三国時代、酒を飲みながら気ままに老荘思想を題材とする幽玄な哲学議論を戦わせた「竹林の七賢」が社殿裏に彫刻された神社もありました。
もしかしたら、「竹林の七賢」のように自由奔放に学問に沈潜したかった誰かが、その憧れを形にしようとして提案したのかもしれません。
100年前なのか、200年前なのか、それとももっと昔か、その誰かの想いが具現化した彫刻を、わたしがいま目にしているのかもしれないのです。
歴史のキャッチボールのようなものかもしれないですね。

ただし、その人には、竹林の七賢の七人は一堂に会することは生年から不可能、つまりは竹林の七賢の逸話は実話でなく伝説であり、かつ、竹林の七賢はそれほど楽な人生を送っていない、なかには時の権力者により政治的な理由から処刑されてしまった者もいるということは内緒にしておいたほうがいいでしょうね。


夏休み始まりの巻



夏休み始まる


夏休みの始まりは学校や地域によってまちまちですが、2019年は8月20日(土)からという事例が多いようです。
普段から土日休みの人たちにとっては、20日、21日は夏休みととらえるべきか、土日の休日ととらえるべきか、すっきりしなかった人もいるのではないでしょうか。

しかし、今日、8月22日からは掛け値なしの夏休み。
本来なら学校に行かなくてはならない月曜日に学校に行かなくて良いわけです。
夏休みを実感するのは月曜日からという方たちも多いのではないでしょうか。





夏休みの月曜日の朝


我々、80年代に小学校~高校を過ごした世代は、土曜日は午前中授業でした。
かつては、日曜日を夏休みの初日にして、土曜日を一学期の終業式とすることがけっこうありました。
すると、日曜日は夏休みが始まっているような、いつもの日曜の休日のようなあいまいな状況に置かれます。
しかし、月曜日からは混じり気なしの夏休み。

ですが、習慣というものは強固なものです。
脳が、月曜日=学校の一週間の始まりと刷り込まれています。
とくに、目覚めたときの働きの鈍い脳はその観念に呪縛されています。

わたしは月曜日に目覚めたとき、何度かこの錯誤をやらかした記憶があります。
『月曜日か……学校か……』
寝床でぼうっとして、しばし憂鬱になってからの、
『あれ? もう夏休みだっけ?』
ちょっと頭のなかで確認して、
『……やっぱり、夏休みだ。学校に行かなくていいんだ……しばらくは学校に行かなくていいんだ』
そして、大きな安堵。
身体の力が抜け、自然に笑みが口もとに洩れ出る。
というような経験を。

それが、ちょうど今頃(6時半前後)だったような気がします。
いまも、全国のどなたかが、わたしと同じようなことをこの瞬間にも繰り広げていることでしょう。
学校がユートピアにならないかぎり、この夏休みの光景は終わらないと思います。




夏休みへようこそ


学校生活でたいへんな想いをしていらっしゃる人たちは多いでしょうが、いまは、
「夏休みへようこそ」
夏休みをお楽しみください。
そして、良い夏休みの思い出を。


大手町駅……大手町ウォーズ【『アニメワールド・スターチャイルドステーション』栃木放送】



大手町ウォーズ……ラジオの中の戦争


「大手町ウォーズ」という言葉を耳にしたのは、中学1年か2年(1984~86)のときでした。
『アニメワールド・スターチャイルドステーション』(1982年11月~87年3月)という栃木放送をキー局とするアニメラジオにおいてです。

発言者は、声優の神谷明(かみやあきら。代表作『キン肉マン』キン肉マン、『北斗の拳』ケンシロウ、『うる星やつら』面堂終太郎.etc)。

大手町駅は、東京の地下鉄駅ではもっとも多い5路線が通っているマンモス駅です。
丸ノ内線、東西線、千代田線、半蔵門線、三田線の5路線。
さらに、これまた大きな駅である東京駅とも複数の地下通路でつながっています。
しかも、大手町(東京都千代田区)は日本経済の中心地であり、丸の内とともに日本屈指のオフィス街を形成しています。

ですから、とくに朝のラッシュ時の乗り換え人数、乗降人数がすさまじい。
これを指して、戦争のようなあわただしさということで「大手町ウォーズ」と呼んでいたようです。
この「大手町ウォーズ」、神谷明さんの周囲でだけ通用する造語なのか、それより広い範囲でも通用するのか不明です。
ただ、すくなくとも神谷さんの周囲の仲間内(声優仲間か? もっと広くアニメ業界仲間か? はたまた、仕事関係以外の仲間か?)では、大手町のラッシュ時のすごさを「大手町ウォーズ」と表現していたようです。

アニメが好きなわたしにとって、憧れの声優さんの発した聞きなれない単語はミステリアスでした。
わたしは生まれも育ちも栃木県で、東京に行くのは台東区に住んでいた従兄妹や伯母の家をおとずれるときくらい。
東京は、親戚の自宅周辺や、良く連れて行ってもらった浅草の遊園地・花屋敷などをちょっと知っている程度。
それも、小学校中学年のころに親戚が東京から引っ越したので、それ以来、東京にはまったく縁のない生活を送っていました。

そんな、ほぼ未知の世界である東京。
そこで営まれているラッシュ時の「大手町ウォーズ」なるものは、中学生のわたしの想像のなかで、なにやら大人の世界の神秘的なにおいに満ち満ちていました。




大手町ウォーズ……東西線にも戦争の余波が


90年代前半、大学進学のため上京しました。
アパートは東京都江戸川区西葛西。
西葛西には東西線が通っていて、わたしの通う大学は東西線沿線にあり、そのため乗り換えの必要はありませんでした。

ただ、「大手町ウォーズ」の一端は、東西線に乗車していても体験することはできました。
西葛西と大学最寄り駅の中間あたりに大手町駅があるのですが、朝のラッシュ時に、大手町駅で大量の乗客がどっと降り、乗客が降り切ると今度はどっと寄せる波のように大勢の乗客が列車に乗り込んできます。

降りた人たちは、東西線以外の四つの地下鉄か東京駅のJR線などへ乗り換える、あるいは大手町のオフィス街へと上陸する人たちでしょう。
乗り込んできた人たちは、四つの地下鉄か東京駅のJRなどから東西線に乗り換えた人たちでしょう。

列車が盛大に吐き出し、ついで勢いよく呑み込むあまりの乗降客の多さに、大手町で起きている「戦争」のすさまじさはある程度、推し量ることができました。




大手町ウォーズ……ついに戦争の渦中へ


大学生のとき、頻繁に故郷の栃木に戻っていました。
授業を終えた金曜午後に大学最寄り駅を出て、大手町で地下鉄東西線から地下鉄千代田線に乗り換え、さらに北千住で東武線に乗り換えて栃木に向かうのです。
月曜の早朝にはその逆、始発列車の東武線に乗って北千住へ、そこで千代田線に乗車して大手町駅で東西線に乗り換え、そこから直接大学へと向かいます。

このとき、大手町駅は朝のラッシュとかさなります。
そのとき初めて、わたしは「大手町ウォーズ」の只中へと踏み込んでいくことになりました。
『アニメワールド・スターチャイルドステーション』で「大手町ウォーズ」の言葉を耳にしてから、7、8年の歳月がたっていました。




大手町ウォーズ……大手町駅の通勤ラッシュは戦場だった、というより冥府の死者の行進か


千代田線から東西線まで乗換所要時間は4分(「乗換案内NEXT」参考)。
建造物のなかの通路の4分というのは、けっこうな距離です。

四方をコンクリートの天井と床と壁に囲まれた、地下の細長い通路を進みます。
視界の届く範囲の前方も、後方も、途切れることのない通勤者たちが、肩を触れ合わんばかりの距離を黙々と歩いています。

地下の通路には、特有の圧迫感がありました。
壁一枚向こうの土の重み。
窓が一切ないことからくる閉塞感。
窓がないため、外光に見放され、薄暗い人工照明に頼らなければならない心細さ。
人工照明のおよばないそこかしこに、地下の土の中へと人を引っ張っていくかのような不吉な印象の陰。

通路を進む通勤者たちに笑顔はありません。
また、寡黙です。
目的の乗換列車に一秒でも早くたどり着くため、歩を運ぶ足に意識を集中しているかのように、表情を押し殺し、黙して語りません。
その沈黙のため、靴が床を踏みつける、カッカッ、なり、ザッザッ、なりの無数の足音が四方をコンクリートで固められた通路にやけに反響していました。

無表情で、一言もしゃべらない、列になって前に進むだけの通勤者たち。
わたしもその例に漏れず、表情もなく、感情も押し殺し、ただ歩を前に進めるだけの通学者でした。
まるで、冥府の細長いトンネルを歩く死者たちの行進のように、うつろな行列が地下通路を延々とつらなり、ただただ寡黙に歩んでいくのでした。



そのとき、わたしは、心の中で中学生のころの自分に語りかけていたかもしれません。
『お前が興味をもっていた「大手町ウォーズ」を俺はいま、経験しているぞ』
と。
ただし、そのような記憶はまったくないので、おそらく、なにも考えずに黙々と歩行者の一人として人の渦の奔流に身をまかせ、地下通路を流れのままに流されていたのでしょう。
そのとき、我知らず、わたしの近くを神谷明さんが歩いてでもいたらちょっとしたドラマになるのでしょうが、現実はそううまくはいかないでしょうね。


夏休みの足音が聞こえてきた



夏休みの足音……本格的な蝉しぐれ


夏休みの足音が聞こえてきました。
夏休みまでほぼ2週間の昨日(2019.7.8)、わたしは自転車で栃木県のさる田園地域を走ってきました。
そこでわたしを迎えたのは、蝉の鳴き声のシャワー。
わたしにとっては、今年初めての本格的な蝉しぐれでした。

蝉の声じたいは5月にはすでに耳にしていましたが、夏休みの風物詩ともいうべき盛大な蝉しぐれに近いものは今年初めて。
これで、気温がさらに高くなり、湿度が上がれば、さらに夏休みらしくなります。
ただ、曇り空で日光の量も足りませんでした。
直射日光で肌が焼かれ、汗があぶりだされれば、さらに夏休みらしさは増します。




塾や予備校の夏期講習の広告に、高校の夏休みを想う


塾や予備校の夏期講習の折り込み広告がにぎやかなのも夏休み直前の風物詩。
87、88年の夏休み、高校1、2年のときは、受験とは無縁だった小学校以来のアニメやマンガ、小説など趣味まみれの夏休みとはちがい、大学受験の勉強に励んでいました。
夏期講習の広告を目にすると、そのころの記憶が呼び覚まされます。
広告に書かれている夏期講習のスケジュールや授業内容を読んでいると、高校生たちが夏休みに勉強に精進している姿が脳裏に浮かんできます。
わたしは夏期講習を受けず、通信教育の『進研ゼミ』や参考書、テープ教材など自宅勉強オンリーでしたが、夏休みに大学の夢のため勉強するその姿は、あのころの自分を思い起こさせます。

趣味に勉強にと時間的にタイトでしたが、自分の実力よりもワンランク、ツーランクも上の私立大学を目指す夢に没頭して、じつにハリのある夏休みでした。
ただ、勉強のあいまにアニメやマンガや小説を楽しみ、いつの間にかそちらに夢中などということはしょっちゅう。
アニメ『めぞん一刻』の録画ビデオを観まくり、主人公・五代裕作の目線で一刻館の住人気分を満喫したり。
ファンタジー小説『グインサーガ』の戦乱編を読みふけり、なにやら死者でもあの世から訪れてきそうな「逢魔が時(おうまがとき)」の夏の夕方、山の木々に反響して夢幻的な調べをかなでる蝉しぐれを耳に、心があちらの世界に飛んでいったり。

限られた自由時間だからこそ、希少だった趣味の時間。
だからこそ、強く思い出に残っています。




小学校と中学校の夏休み、あっちの世界に行き放題


とはいえ、好き放題に趣味に夢中になっていた、宿題以外は勉強とはまったく縁のなかった小学校・中学校の夏休みも忘れがたい。
勉強という現実に邪魔されることなく、あっちの世界に行きっぱなしの夏休みも悪くはなかったですね。
小学5年~中学3年は最悪の学校生活だっただけに、夏休みの現実逃避は大いなる癒やしの日々でした。

当時、愛読していたアニメ雑誌『OUT』を、読み終えてもまだ読みたくて暇に飽かして何度も読み返していたあの夏を、わたしはけっして忘れないでしょう。