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フランシー(フラシィ、クランシー)……不運なリックドムのパイロット(『機動戦士ガンダム』)


その名はフランシー/フランシィ/クランシー

フランシーをご記憶でしょうか?
フラシィ、クランシーという説もあるジオン公国のMSパイロット。
ドレン指揮するキャメルパトロール艦隊所属のリックドムのパイロットです。

劇場版『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』の冒頭でけっこう有名なホワイトベース隊とキャメルパトロール艦隊の戦いに参加していました。
TV版だと第32話「強行突破作戦」。
といっても、フランシーは画面に登場したことがありませんし、セリフもまったくありませんでした。

戦いの序盤、アムロのガンダムは姿を見せていませんでした。
キャメルパトロール艦隊は、ホワイトベース、カイとハヤトのガンキャノン(TV版ではハヤトはガンタンク)、セイラとスレッガーのコア・ブースター(TV版ではGファイター)と交戦していました。

このとき、ガンダムが戦場にいないことを艦隊指揮官のドレンに知らせたのがフランシー。
ただしフランシーのセリフはなし。
フランシーから連絡を受けたドレンの副官らしきジオンの将校が、フランシーからの報告としてガンダムが戦場に不在であることを上官のドレンに告げます。
そのさいに、副官の口から一度だけ「フランシー」の名前が挙がりました。




劇中のフランシー

兵士「木馬の白いヤツが!」
ドレン「何ぃ!!聞こえないぞ!!」
兵士「ガンダムがいないそうです!!」
ドレン「あのリックドムは!?」

(ドレンのいるムサイ「キャメル」の艦橋ちかくで、戦いそっちのけで「キャメル」に向かって身振り手振りでガンダム不在であることを必死に知らせようとしているリックドムが映っています)

兵士「フランシーです。ヤツはガンダムを見てないといってます」
ドレン「で…、では、どこにいるんだガンダムは…!?」

(ここで、フランシーのリックドムが直撃をどてっぱらにまともに受けて爆発)

ドレン「!! そんなはずはない…ガンダムはいるはずだ…!?どこなんだ…?」

(抜粋(セリフ):『MOBILE SUIT GUNDAM THE MOVIESIII 「機動戦士ガンダムIII・めぐりあい宇宙編」劇場用アニメ映画第3作 フィルムコミックス』旭屋出版)
【なおTV版も多少の違いはありますが、ほぼ同様です】




フランシー(フラシィ、クランシー)、武運つたなく戦場に散る

このあと、戦場に急接近してきたガンダムによって、キャメルパトロール艦隊はまたたくまに全滅させられます。

劇場版のホワイトベース隊とキャメルパトロール艦隊の戦いはかなり人気があり、だいぶ前ですが、とある雑誌に「一年戦争のガンダム(MSのガンダム)の戦いで好きなものは?」のような投票があり、ガンダムとジオングや、『0080』のアレックスとザクII改などといっしょに、この戦いが5位以内(もしかしたら10位以内)にランクインしていました。

このホワイトベース隊に一方的に敗北した戦いの、ジオン側の戦死者の一人がフランシーでした。
デザイン設定なし、セリフなしのフランシー。
たった一度、その名が挙がっただけのフランシー。

このフランシー、子供のころはほとんど興味がありませんでした。
しかし、大人になって妙に気になる存在になりました。
なにしろ、戦いそっちのけでガンダムがいないことを必死に伝えようとして、その果てに、この時点では戦場不在であったアムロが搭乗するガンダム以外の砲撃の直撃(ホワイトベースの砲撃と言明している記述もあり。画面からは、いずれが放った砲撃かは不明)を受けて亡くなっていくのです。
戦いのなかで戦いを忘れての戦死でした。
言いたくはありませんが、無駄死に……?




フランシー(フラシィ、クランシー)に起きたことは、明日の我が身にも起きるかもしれない

しかし、このようなことが人生には往々にして起きるんですよね。
しなくてもいいことをわざわざして不幸を招いてしまう。
ちょっとした油断が大きな不幸につながってしまう。
そのような経験を、年齢をかさねるにしたがい積み上げていくと、フランシーのような人にも共感が生まれて……。

歴史上も、ほんの些細な失敗が大きな不幸……戦死などにつながることはいくらでもあります。
フランシーは架空の世界の人物ですが、その一人です。
そして、自分もそのようになるかもしれない、それに近いことが自分にも起きるかもしれないなあ、とそれなりに人生経験を積んだあとではそう思わざるをえなくなりました。

大人になってからは、フランシー/フラシィ/クランシーの死にざまが妙に心に刺さるんですよね。



TAKARAファンタスティック映画祭【1985】(第1回東京国際ファンタスティック映画祭)……ホラー映画マニアの夢の宴


ファンタスティック映画祭の日本開催を熱望していた日本のファンたち

1985年は、日本がホラー映画に関して、欧米のホラー先進国にちょっとだけ追いついた年かもしれません。
日本のホラー映画ファン(あるいは、SF映画、ファンタジー映画ファンなども含めて)が待ちに待った、あるイベントが日本で行われたからです。

ファンタスティック映画祭。

ホラー映画を中心にしてファンタジー映画、SF映画などの祭典である海外のファンタスティック映画祭に、日本のマニアの人たちは羨望の目を向けてきました。
話題の最新作、あるいは定評のあるホラー映画などを、趣味を同じくする人たちとともにたっぷり鑑賞したいと願っていました。
1985年、それが日本でついに実現したのです。




「アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭」は日本のマニアたちの憧れだった

たとえば、「アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭」。
フランスにある標高約2000mの雪山のリゾート地を、映画祭の期間中、ホラー映画、ファンタジー映画、SF映画マニアたちが占拠し、「マニアのための王国」のような状況のなか、同好の士だけでファンタスティック映画の祭典を挙行していました。
集まってくる映画は話題性豊かな作品が多く、質もきわめて高いものでした(すべてではないですが)。
アヴォリアッツで賞をとり世界に飛翔していった映画人も、73年の第1回アヴォリアッツにおいて『激突』でグランプリを獲得したスピルバーグなど枚挙にいとまがありません。

そのファンタスティック映画祭が日本で初めて催されたのが1985年のことでした。
「TAKARAファンタスティック映画祭」です。




TAKARAファンタスティック映画祭(in 東京)……栃木から(勝手に)愛をこめて

1985年。
自分にとっては、もしかしたら、人生のなかでもっとも映画に熱狂していた年。
アニメと映画、この二つにどっぷりとつかっていた年。

中学生であったわたしは、映画雑誌をめくっては東京で行われようとしている、そして行われていた「第1回東京国際映画祭」のなかの一部門「TAKARAファンタスティック映画祭」(それと、「ヤングシネマ’85」で上映されたホラー映画『狼の血族』)に栃木の片すみから憧れの熱い視線を送っていたのでした。




「TAKARAファンタスティック映画祭」の会場は渋谷・東急文化会館内の渋谷パンテオン

「TAKARAファンタスティック映画祭」とそれを継いだ「東京国際ファンタスティック映画祭」は、1985年から2002年まで渋谷パンテオンで開催されていました。
そして、2003年から2005年まで場所を新宿ミラノ座に移し、2005年に東京国際ファンタスティック映画祭は幕を閉じます。

渋谷パンテオンは、渋谷駅東口に隣接する東急文化会館(2003年に閉業)の1階(地下1階、地上8階)にありました。
東急文化会館のなかには4つの劇場があり、そのなかでも渋谷パンテオンは1985年当時日本でもっとも大きくデラックスな劇場と言われていたそうです。

わたしは、東急文化会館の渋谷パンテオンが、TAKARAファンタスティック映画祭と東京国際ファンタスティック映画祭の開催劇場であることをつい最近(2020年の3月14日か15日)知りました。
中学生のころは渋谷にまったく関心などなく、ファンタスティック映画祭がやっているのは東京、という、ざっくりとした知識しかありませんでした。
たとえば興味津々の神保町なら、「なに! 古本屋の街の神保町でファンタスティック映画祭!」と激しく食いついていたのでしょうが。

このことを知ったとき、渋谷パンテオンの名を覚えていなかった自分の迂闊(うかつ)さを後悔しました。
東急文化会館と渋谷パンテオンは、かつて、自分にとってけっこう馴染みの場所だったのです。




渋谷の東急文化会館と渋谷パンテオンはそれなりに馴染みだったのだが

わたしは学生時代の6年間、大学に通うため栃木から上京して東京の西葛西に住んでいました。
このころ、記憶障害をわずらっておりまして、その療養のためにも西葛西周辺や電車で手軽に行ける各地を歩きに歩きまわるという生活を送っていました。
(内向的な性格なのに戸外を歩きまわる、自転車で走りまわるのが好きという理由もありましたが)
西葛西、葛西、神保町、高田馬場、新宿、大学周辺などとともに、渋谷の街もその一つでした。
90年代半ばのことです。

東急文化会館には大型書店(三省堂)がありまして、そこを目当てに良く行きました。
三省堂のフロアは5階でしたので、エスカレーターの横にあった渋谷パンテオン(1階)はしょっちゅう目にしていました。
しかし、ファンタスティック映画祭のことを思い出すことはありませんでした。
なにしろ、渋谷でファンタスティック映画祭が開催されていたことを知りません。
ましてや、渋谷パンテオンが会場だったことなどは。

あれだけ憧れたファンタスティック映画祭、とくに、映画少年バリバリであった85年の「TAKARAファンタスティック映画祭」の会場だと知っていれば、「ここが、あの、85年のファンタスティック映画祭の会場か」としみじみ感慨にひたっていたことでしょう。
しかし、つゆとも知らない自分は、映画の看板を目にしては「いまは、こんな映画を上映しているのか」くらいでさっさと上の階に上がっていってしまいました。




渋谷パンテオンでリュック・ベッソン監督作品『レオン』も観たのだが

映画鑑賞はレンタルビデオとTVがほとんどであまり映画館に行かない自分ですが、渋谷パンテオンで一度だけ映画を観ました。
『レオン』(日本公開は1995年3月25日~)です。
リュック・ベッソン監督作品ですが、そのリュック・ベッソンの初監督作品である『最後の戦い』はTAKARAファンタスティック映画祭招待作品の一つで、渋谷パンテオンで上映されました。
ファンタスティック映画祭の会場が渋谷パンテオンであることを知っていれば、リュック・ベッソン監督作品をゆかりのある渋谷パンテオンで観ることに懐旧の情を催していたことでしょう。

渋谷という場所柄、「やけに恋人づれが多いなあ、いや、うらやましくなんかないぞ(ちょっと、うらやましい)」などと心の中でつぶやいていることもなかったでしょう。
(それにしても、『レオン』は元恋人に裏切られて女性嫌いになったレオンが主人公、これを恋人と観て気まずくないのか?)




渋谷パンテオンと東急文化会館(他人にとってはどうでもいい)自分史

1985    「TAKARAファンタスティック映画祭」に栃木の片すみから憧れる
90年代半ば  頻繁に東急文化会館を訪れる
        頻繁に渋谷パンテオンの横を通り過ぎる
2020      渋谷パンテオンが「TAKARAファンタスティック映画祭」「東京国際ファンタスティック映画祭」の会場だということを知る




TAKARAファンタスティック映画祭全17作品

以下に、「TAKARAファンタスティック映画祭」(1985)上映の全17作品と上映スケジュールを紹介いたします。




TAKARAファンタスティック映画祭(1985)全ラインナップ

☆フェノミナ(1985、監督:ダリオ・アルジェント、出演:ジェニファー・コネリー、ダリア・ニコロディ、ドナルド・プレザンス、タンガ【チンパンジーの名優】)

☆ファイアー&アイス(1982、監督:ラルフ・バクシ、出演(声優):スーザン・ティレル、マギー・ロズウェル)

☆13日の金曜日Part5(1985、監督:ダニー・ステインマン、出演:ジョン・シェパード、シェイヴァー・ロス、メラニー・キンナマン)

☆蜀山(1983、監督:ハーク・ツィ、出演:ユンピョウ、リン・シンシャー、ジュディ・オング)

☆コールド・ルーム(1983、監督:ジェームズ・ディアデン、出演:アマンダ・ペイズ、ジョージ・シーガル)【アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭 審査員特別賞(1985)】

☆2つの頭脳を持つ男(1983、監督:カール・ライナー、出演:スティーヴ・マーティン、キャサリン・ターナー、デイヴィッド・ウォーナー)

☆レイザーバック(1984、監督:ラッセル・マルケイ、出演:グレゴリー・ハリスン、ジュディ・モリス、ビル・カー)

☆レディホーク(1985、監督:リチャード・ドナー、出演:マシュー・ブロデリック、ルトガー・ハウアー、ミシェル・ファイファー)

☆最後の戦い(1983、監督:リュック・ベッソン【デビュー作】、出演:ピエール・ジョリヴェ、ジャン・ブイーズ、ジャン・レノ)【アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭 審査員特別賞&批評家賞(1983)】

☆悪魔の密室(1983、監督:ディック・マース、出演:ハーブ・スターペル、ウィレケ・ヴァン・アメローイ)【アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭 グランプリ(1984)】

☆エルム街の悪夢(1984、監督:ウェス・クレイブン、出演:ヒーザー・ランゲンカンプ、ロバート・イングラム、ジョン・サクソン、ジョニー・デップ【俳優デビュー作】)【アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭 批評家賞(1985)】

☆ハウリング2(1985、監督:フィリップ・モラ、出演:クリストファー・リー、シビル・ダニング)

☆XYZマーダーズ(1985、監督:サム・ライミ、出演:リード・バーニー、シェリー・J・ウィルスン、ブルース・キャンベル)

☆山中傳奇(1979、監督:キン・フー、出演:シー・フン、シルヴィア・チェン、シン・チュン、ツン・リン)

☆デッドゾーン(1983、監督:デイヴィッド・クローネンバーグ、出演:クリストファー・ウォーケン、ブルック・アダムス、マーティン・シーン)【アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭 批評家賞(1984)】

☆銀河鉄道の夜(1985、監督:杉井ギサブロー、出演(声優):田中真弓、坂本千夏、堀絢子、一条みゆ希、島村佳江)

☆クリープショー(1982、監督:ジョージ・A・ロメロ、出演:ジョー・ヒル、ヴィヴェカ・リンドフォース、スティーブン・キング、レスリー・ニールセン、ハル・ホルブルック、E・G・マーシャル、トム・サヴィーニ)

【人名の表記は『SF/ホラー シティロード5月号増刊』(1985、エコー企画)を参考にいたしました】




TAKARAファンタスティック映画祭(1985) 上映スケジュール

●5/31(金)
開会式&フェノミナ

●6/1(土)
ファイアー&アイス
13日の金曜日Part5
蜀山
コールド・ルーム

【ファンタスティックナイト!(22:00~6:00)】
クリープショー
最後の戦い
エルム街の悪夢
デッドゾーン

●6/2(日)
2つの頭脳を持つ男
レイザーバック
レディホーク

●6/3(月)
最後の戦い
悪魔の密室
コールド・ルーム

●6/4(火)
ファイアー&アイス
エルム街の悪夢
ハウリング2

●6/5(水)
XYZマーダーズ
蜀山
山中傳奇

●6/6(木)
山中傳奇
XYZマーダーズ
デッドゾーン

●6/7(金)
レイザーバック
銀河鉄道の夜
閉会式&クリープショー

【『SF/ホラー シティロード5月号増刊』(1985、エコー企画)参照】

上映時間は、だいたい昼12時過ぎから夜9時くらいまで。
6月1日の土曜日だけはオールナイト上映が、夜10時から朝の6時くらいまで。

ちなみに、料金は1200円、オールナイトは2000円です。
たぶん1作品当たりの料金だと思われますが、詳細は不明です。




めくるめく夢……TAKARAファンタスティック映画祭

映画祭のあいだ、渋谷パンテオンは、世界でもっとも熱いホラー&SF&ファンタジー映画の中心でありましたでしょう。
世界でもトップクラスの話題のホラー&SF&ファンタジーな映画が、一週間、連日、惜しげもなく次から次へと上映されていたのですから。

めくるめく夢……中学生だったわたしは、栃木から熱に浮かされたように熱いまなざしを「TAKARAファンタスティック映画祭」に送っていました。



怪獣VS怪獣の魅力……『ウルトラマン』シリーズ


ウルトラマン

子供のころ、わたしは「ウルトラマン」シリーズに夢中でした。
『ウルトラマン』(1966)『ウルトラセブン』(1967)『帰ってきたウルトラマン』(1971)『ウルトラマンA』(1972)『ウルトラマンタロウ』(1973)『ウルトラマンレオ』(1974)までが、わたしを虜(とりこ)にしたウルトラマンたちです。

「仮面ライダー」や「戦隊もの」などシリーズもの、あるいは「ミラーマン」や「スパイダーマン」や「流星ゾーン」など特撮ヒーローもの多数(あまた)あるなかで、わたしは圧倒的に「ウルトラ」シリーズの信奉者でした。

もちろん、「仮面ライダー」や「戦隊もの」なども大好きでしたが、とくに「ウルトラ」シリーズに著しく傾倒していました。




前後編、ウルトラ兄弟、怪獣VS怪獣

「ウルトラ」シリーズでわたしがとくに好きなエピソードは、前後編もの、ウルトラ兄弟が出演するもの、怪獣と怪獣の戦いが描かれているものに集中しています。

もちろん、上の三つに該当しないお話しのなかにも好きなエピソードはたくさんありあます。
たとえば、『ウルトラセブン』第42話「ノンマルトの使者」です。
「地球原人」「海底人」「海底原人」といった別名をもつノンマルトと、怪獣ガイロスが登場する回です。
セブンが、もしかしたら海底で平和に暮らしているノンマルトに対する侵略者ではないのか?という重いテーマをあつかった作品。
一方的な正義の名のもとにノンマルトを駆逐しようとするセブンは、果たして本当に正義なのでしょうか?
モロボシ・ダン(セブン)の前に幾度も突然あらわれては消える、ノンマルトを擁護し、セブンを非難する謎の少年がじつは……哀しい真実がラストになって判明するという、やるせなく哀しく、かつ神秘的なお話しでした。

ただ、「ノンマルトの使者」はやはり例外の部類です。
好きな話は前後編もの(たとえば、『帰ってきたウルトラマン』のブラックキングとナックル星人が出てくるエピソード)や、ウルトラ兄弟がゲスト出演するもの(たとえば、『ウルトラマンタロウ』のタイラントにウルトラ6兄弟が挑むエピソード)、そして怪獣と怪獣のバトルが観られるお話しに集中しています。




ウルトラマンはジェントルマン(紳士)なのだ、それで良いのだがそれだけではダメなのだ!(バカボンのパパ風)

前後編ものやウルトラ兄弟が助けにくるエピソードは、1話だけでは倒すことができない難敵や兄弟の助力を必要とする強敵と戦うのですから、それだけ壮大な戦いになります。
「特別な敵」が登場するのですから、それに魅かれるのは道理というものでしょう。
(ただし、渋い怪獣や星人が好きという方などは、これらのエピソードはあまり好きではないかもしれませんね)

では、怪獣VS怪獣に魅かれるのはどうしてなのでしょうか?
一つの理由として、ウルトラマンたちの戦いが綺麗すぎるというところにあるのかもしれません。
戦い方が洗練されているのです。
しかし、たまには(あるいは頻繁に)本能むき出しのバトルというものを観たくなる……それが、怪獣VS怪獣を好んだ一つの理由なのかな、と今日(2020.3.14)、ぼうっとしていたときにふと頭に思い浮かんできました。




怪獣VS怪獣

どくろ怪獣 レッドキングVS彗星怪獣 ドラコ (『ウルトラマン』)
宇宙怪獣 エレキングVSカプセル怪獣 ミクラス (『ウルトラセブン』)
地底怪獣 グドンVS古代怪獣 ツインテール (『帰ってきたウルトラマン』)
毒蛾超獣 ドラゴリーVS巨大魚怪獣 ムルチ (『ウルトラマンA』)
火山怪鳥 バードンVS食葉怪獣 ケムジラ (『ウルトラマンタロウ』)
サーベル暴君 マグマ星人VS宇宙鶴 ローラン (『ウルトラマンレオ』)




嫌いな男と結婚するのは絶対にイヤ!……美女の宇宙鶴ローランVSマグマ星人

以上は、怪獣VS怪獣の一例です。
とはいっても、怪獣VS怪獣のバトルは、そう頻繁には起きませんでした。
わたしのあやふやな記憶によれば、一作品に2~4くらいしかなかったのではないでしょうか?

『レオ』にいたっては、怪獣VS怪獣のバトルに心当たりがありませんでした。
マグマ星人VSローランは実際はバトルというような大仰なものでなく、美女の宇宙鶴ローランが好きでたまらないマグマ星人が、サーベル暴君という異名にたがわぬ暴力的な求婚で嫌がるローランにケガを負わせてしまうというような男女間のもめごとでしかないのです。
死ぬほど嫌いな男(マグマ星人)にはどれほど言い寄られても結婚する気はないのよ、という男性陣からするとじつに恐ろしいお話しを子供番組でつくってしまったわけですが、マグマ星人の陰湿なねじけた性格は相当なものなのでローランの反応は当然といえるものでした。




引き裂く、捕食する……怪獣VS怪獣のワイルドすぎる戦い

しかし、ローランVSサーベル星人以外の五例は、そのような平和な?ものではありませんでした。
引き裂く、捕食する……とてつもなくワイルドなバトルでした。




ミクラスVSエレキング……電気攻撃で焼け焦げ

セブンの部下であるカプセル怪獣ミクラスは、エレキングの尻尾にぐるぐる巻きにされての電気攻撃により感電死一歩手前。
戦闘不能になり残念ながら敗北しました。
肉体の内部は焼け焦げていましたね、あれは。

しかし、まだ、ミクラスも幸運なほうです。
ほかの四体の敗北した怪獣たちは、肉体を引き裂かれ、あるいは食べられてしまう、またはその両方を経験することになるのですから。




ドラコVSレッドキング……翼をむしられ、徹底的に痛めつけられ、虫の息で逃げようとするも、その場で絶命

ドラコはレッドキングの怪力によって背中の翼をむしり取られ、弱ったところをレッドキング(と一対一の戦いではドラコに敗れた冷凍怪獣ギガスが報復するかのように加勢)によって徹底的に痛めつけられました。

レッドキングとギガスが仲間割れをはじめたすきに、虫の息のドラコはやっとのことでその場から逃げようとしますが、その途中で事切れたようです。
レッドキングとギガスが争う場面で、地面に倒れて動かなくなったドラコが画面の端っこに映され、ドラコの姿はそれで見納めとなりました。




ツインテールVSグドン……噛みつぶされ、地面に叩きつけられて絶息

ツインテールは、グドンに尻尾の付け根にある発光部を噛みつぶされたうえ、地面に叩きつけられて事切れました。

ちなみに、ツインテールは太古のジュラ紀より、グドンの食糧でした。
ツインテールは孵化したばかり。
生まれたてにしてはグドンに対して善戦しましたが、最後は圧倒的なグドンのパワーの前に敗れ去りました。




ムルチVSドラゴリー……痛恨の誤爆、真っ二つに引き裂かれ、左足をもぎ取られて息絶える

ムルチ(二代目)は、ドラゴリー、メトロン星人Jr.とともに3対1でエースを追い詰めていましたが、エースへの突進が誤ってドラゴリーにヒット。
激怒したドラゴリーは、超獣のなかでももっとも凶暴といわれる本性をあらわにして、その怪力によってムルチの下顎を腹まで真っ二つに引き裂き、さらに左足をもぎ取り惨殺しました。




ケムジラVSバードン……鋭い嘴で手足を食いちぎられ、虫の息のところを目玉をくり貫かれ、命果てる

ケムジラは、バードンの鋭い嘴(くちばし)によって手足を食いちぎられ、虫の息のところを嘴で目玉をくり貫かれ、捕食されてしまいました。

バードンは、タロウとゾフィーの兄弟を圧倒的なパワーにより連戦で倒し、一説に「地球最強の怪獣」とも称されています。
ケムジラには、あまりにも分の悪い戦いでした。




怪獣VS怪獣には、野蛮な野性がみなぎっている

ジェントルマンのウルトラマンたちにはできない、野蛮、かつ、野性味あふれる戦いが怪獣同士のバトルには、みなぎりあふれています。
その迫力は、我らの原初の野性を目覚めさせるのかもしれません。
そのとき、わたしたちの心は怪獣になっているのかもしれませんね。



アイーダ・スルガン……カーヒルとは「寝た」のか?(『ガンダム Gのレコンギスタ』)



アイーダ・スルガンとカーヒル・セイント~恋人たち

『Gのレコンギスタ』(2014)のヒロインの一人であるアイーダ・スルガンは、17~18歳の女の子。
アイーダには年上の恋人がいました。
カーヒル・セイント。
この二人の関係、監督の富野由悠季は「アイーダとカーヒルは寝た」、録音スタッフみんなは「アイーダとカーヒルは寝てない」という考えだったそうです。




アイーダの想い人、カーヒル

『Gのレコンギスタ』のヒロインの一人がアイーダ・スルガン(アイーダ・レイハントン)。
主人公ベルリ・ゼナムの想い人でしたが、のちにベルリとは血のつながった姉弟であることが判明します。

アイーダには恋人がいました。
カーヒル・セイント。

アメリア軍の精鋭よりなる秘密独立部隊「海賊部隊」に所属。
階級は大尉。
エース・パイロット。
キャピタル・タワー制圧作戦を立案。
「海賊部隊」の中心人物の一人。
知勇兼備の有能な軍人です。

キャピタル・ガードとの戦いで、人的被害を出すことなくフォトン・バッテリー強奪をいくども成功させ実績を積みかさねてもいます。
恋人のアイーダからは「将来的にアメリア軍を背負って立つ男」と評されました。
ただし、発言者が恋人アイーダであるため、どこまで信憑性があるのかは不明。
ただし、すこぶるつきの有能な軍人であることはたしかです。

しかも、ルックスも良し。
自信も満々。

同性としては、親戚や兄弟、近所やクラスや職場にはあまりいてもらいたくないタイプ。
比較されるのがつらそう……。

美少女のアイーダを好きな男子はたくさんいたでしょう。
その男子たちからしてみれば、カーヒルのような優秀すぎるモテ男には、アイーダのまえに姿をあらわしてほしくなかったでしょう。
いつアイーダが恋に落ちるか気が気でない。
そして、じっさいに恋に落ちてしまったわけです。




恋人カーヒルが戦死、手をかけたのは実の弟のベルリ

そんな将来性あり、戦功多数あり、卓抜たる才能ありのカーヒルですが、はやくも第2話で戦死しました。
ベルリのあやつるG-セルフのビームライフルを、至近からコクピットに喰らいました。
この影響は全26話のうち第24話でアイーダがベルリを許すまで、アイーダのベルリにたいするわだかまりとなって残っていきます。




「寝た」のか「寝てない」のか?……それが問題だ

このアイーダとカーヒルが「寝た」「寝てない」で言い合いがあったそうです。
ほかでもない『Gのレコンギスタ』監督の富野由悠季と録音スタッフとのあいだで。
富野監督は「寝た」。
録音スタッフみんなは「寝てない」。

富野由悠季
「僕は、アイーダはカーヒルと寝たと思い込んでいました。17~18歳の女の子が大人の男とやったって、別にどうってことないでしょう?」

しかし、

「スタッフみんなから「寝てない!」って全否定されてしまって」

だったそうです。




問題なのか?

若いころは、わたしも「寝てない」派だったでしょうね。
上品で魅力的な女の子には処女でいてもらいたかった。
「処女=清い」というイメージはたしかにありました。
アイーダには処女でいてもらいたかったでしょう。
清楚な姫さまである17~18歳のアイーダが、男と寝ているわけはないと猛反発したでしょう。

しかし、年齢をかさねると、複数の男をとっかえひっかえでなければ、特定の相手と寝ていてもべつに不思議ではないし、インモラルでもなかろうとおもうようになりました。
なまくらなりに人生経験を積むと、「処女=清い」「非処女=けがれている」と単純に決めつけることもできなくなりました。
人間には清濁が同居しています。
「処女」「非処女」だけですべてが決まるわけではないでしょう。

個人的にはそうおもいますが、アイーダのような気品ある少女には聖女であって欲しいという想いもわからないではありません。




アイーダは聖なる少女なのか?

ただ、「寝た」経験を真正面から描いたなら、それはそれでアイーダという少女に生々しい女性の存在感が生まれたかもしれないなあともおもいます。

アイーダの回想のなかで、アイーダに向かってほほ笑むカーヒル。
それは、二人だけのときに見せる笑み。
肉体関係にあるもののあいだでだけ交わされる、ねっとりとした微笑。
思わせぶりな眼差し。
アイーダだけを見つめ、アイーダを求める、やさしいような、野性を秘めているような、意味深なカーヒルの眼差し。

などという、「肉体の記憶」なるものを描くことによって、アイーダがなにも知らないお人形さんのようなお嬢さまでないことを描出できたのではないでしょうか。
理想化された聖少女ではない生きたアイーダを。

ただ、若い人は生々しいアイーダは見たくないかもしれませんね。
けがれを知らないアイーダをこそ、求めているのではないでしょうか?
かつてのわたしのように。

カーヒルを思い出して艶(なま)めかしい吐息をもらし、カーヒルの肉体がかつて触れたみずからの肌をなぞって涙をそっと流すシーンなど、若いころのわたしなら生々しすぎて受けつけなかったでしょう。