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セーリング・フライ(『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』主題歌)……ばら色の唇が 君をまよわせて



『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』


伝説巨神イデオン』劇場版(1982)。
地球人は、はるかかなたの移民先の惑星・ソロ星で太古の第六文明人の遺跡を発見する。
かたや、異星人バッフ・クランも無限エネルギー【イデ】の鍵となる第六文明人の遺跡を探索していた。
不幸な出会いから、地球とバッフ・クランは戦争状態へと。
こうして、スペース・オッデセイの幕が開く。
この戦争は、全人類の運命を巻き込んでいく。
戦いが進むにつれ、明らかになる【イデ】の正体。
第六文明人の無限エネルギー【イデ】は、地球/バッフ・クラン双方にとって、掘り起こしてはならない禁断の存在だった。




セーリング・フライ(歌:水原明子 作詞:井荻麟(富野喜幸))


その主題歌「セーリング・フライ」。
アニメソングのなかでも、わたし的には5本の指に入るであろう大好きな曲です。
(作品そのものも、劇場アニメで10本の指に入る大好きな作品)

歌うは水原明子さん。
澄んで透明な歌声にうっとり。

作詞は富野監督。
富野監督は井荻麟(いおぎりん)名義で、数多くの富野作品楽曲の作詞を手がけています。

井荻麟の特徴としては「美は乱調にあり」といったところでしょうか。
よく考えると、意味のわからないところが多々ある。
それまでの歌詞と関係のない内容が、いきなり、ぽんと出てくる。
論理的ではない。
しかし、それが情熱的といいましょうか。
理性にではなく、本能にうったえかけるのです。

それに、言葉に、心に突き刺さるものがあります。



『イデオン』劇場版を鑑賞したのは大人になってからですが、「セーリング・フライ」は公開当時かそれからさほど年月を経ていない時分、ラジオのアニメ番組で流れた曲を録音して何度も聴きました。
小学5、6年のころです。

以下、歌詞の一番を抜粋します。
(『ロマンアルバム・エクストラ51 伝説巨神イデオン THE MOTION PICTURE』徳間書店より)



あこがれだけに まどわされたり
つらさのがれの 逃げ道にして
行ってはいけない メフィストのくに
ばら色の唇が 君をまよわせて
flying now flying now
なにも思わず 心ふさいで
生まれでる 君ならば
忍び恋のように スペース・ランナウェイ
スペース・ランナウェイ
月と星の間(なか)を スペース・ランナウェイ
セーリング・フライ
忍び恋のように スペース・ランナウェイ
スペース・ランナウェイ
月と星の間(なか)を スペース・ランナウェイ
セーリング・フライ

セーリング・フライ セーリング・フライ
セーリング・フライ セーリング・フライ
セーリング・フライ セーリング・フライ




行ってはいけないメフィストの国


「行ってはいけないメフィストの国」ってなんでしょうね?
メフィスト・フェレスは、16世紀ドイツのファウスト伝説に登場する悪魔。
メフィスト・フェレスは欲望をかなえてくれます。
しかし、死後、その代償として魂を奪われてしまう。
魂が悪魔に隷属することになる。
そうまでして、欲望をかなえたい人間のあさましさと哀しさを伝えるのが、ファウスト伝説です。
この伝説をもとに大詩人ゲーテがものした戯曲『ファウスト』では、誘惑の悪魔としてメフィスト・フェレスは登場します。

(ちなみに、ファウストはメフィスト・フェレスと契約して地上のあらゆる知識と快楽を手に入れた錬金術師。
ゲーテのファウストは、博士。
伝説では、ファウストは破滅。
ゲーテ作品では、ファウストが努力家であり、かつ、天上にいるかつての恋人の純粋な愛の祈りなどにより、破滅から救済されます)

たしかに『イデオン』は、観客ターゲットを年齢高めに設定しているのでしょうが、子供に「メフィスト」はわからないですよね。
大人でも、ある程度の歴史的/文学的素養がないとわからない。
しかし、文学好きの富野監督は、「メフィスト」を歌詞のなかにいれたかったのでしょう。
欲望のおもむくまま憧れを不正にかなえたり、つらさ逃れの安逸をむさぼったりすることを富野監督はいましめたかったのかもしれません。
富野監督には、説教癖がありますからね。
子供のころは不思議な……それこそ呪文のような言葉の響きが「メフィスト」にはありました。




ばら色の唇が 君をまよわせて


そして、「ばら色の唇が 君をまよわせて」。
ここです。
ここが、富野ロマンの真髄です。

恋愛結婚ではない富野監督。
著書『「ガンダム」の家族論』のなかで、「あんまり好きなタイプじゃなかったんだよね」と奥さんに恋愛めいた感情をいだいたことはないというようなことを述べているので、この部分はだれかほかの女性を念頭に置いているのでしょうか。
……片想いの記憶でしょうかね。
どうも、富野監督に両想いのイメージが湧かないので(ひどい……)。

ばら色の唇……たしかに、あれには惑わされます。
まあ、本能的なものですよね。
理性が介在する間もなく、コロリといってしまう。
で、もてない人間は、なやむはめになるわけです。
煩悩。
懊悩。
というやつです。
ふられるのがイヤで告白できない。
しかし、想いを遂げたい。
でも、どうすることもできない。
好きになった女性のばら色の唇は、わたしには魔術でした。

わたしは共感をもって、小学・中学のころからいまにいたるまで、「ばら色の唇が 君をまよわせて」を時々口ずさみます。
すると、若いころのもやもやした感情がよみがえります。
すべての歌のなかでも、もっとも恋愛について心に突き刺さる一節が、「ばら色の唇が 君をまよわせて」かもしれません。

もてない富野監督だからこそ(勝手に決めつけて、すみません。しかし、そうとしか……)、考えつくことのできたフレーズなのかもしれません。
憧憬の念が、その願望をかなえたいという夢想を生み、その夢想がロマンチシズムの土壌になる。
手に入れることのできないあこがれは、ロマンを生む源泉なのかもしれません。
(なに言っているんだ、オレ?)




なにも思わず 心ふさいで 生まれでる 君ならば


なにも思わず 心ふさいで 生まれでる 君ならば
えっと……なんです、これ?
大人になっても、いまだに、ここは意味がわかりません。
自閉症的で心をふさいでいると他人から良く言われるらしい、富野監督自身のことでしょうかね?
冗談はさておき。
前後が恋についての言及なので、恋に臆病であることをあらわしているのでしょうか。
直後に、「忍び恋のように」ですから。
好きであることを打ち明けられない心情を歌っているのでしょうか。
ただ、意味はわからなくても、語感はいいなあとおもいます。
理性よりも感覚、それも富野監督の真骨頂でしょうかね?




忍び恋のように


忍び恋のように」、ここはサビの部分ですね。
忍ぶ恋の多そうな、富野監督の感情のこもったフレーズ。
わたしも共感。
「ばら色の唇が 君をまよわせて」に次ぐ、よく口ずさむフレーズです。




『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』と『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に』


この主題歌「セーリング・フライ」は、劇場版二部構成(『接触編』と『発動編』)のうちの前半部分『接触編』の最後に流れます。
スタッフのクレジットも、いっしょに『接触編』のラスト。
普通は全体のラストにクレジットですが、『発動編』のラストにクレジットはありません。
物語のほぼ真ん中で、主題歌とともにクレジットを流すという珍しい構成です。

(ちなみに、この方式を踏襲したのが、旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に』(1997)です。
庵野監督は、『イデオン』の信奉者。
『ガンダム』よりも『イデオン』の人。
その庵野監督が、『Air』と『まごころを君に』二部構成のうち、前半部分の『Air』のラストで主題歌「タナトス」を流し、同時にスタッフ・クレジットを流しました。
劇場で観ていたわたしは、それに気づいたとき、庵野監督のあこがれの劇場版『イデオン』へのオマージュに暗闇でニヤリ、ちょっと嬉しくなりました)




主題歌「セーリング・フライ」のあとに……


この「セーリング・フライ」……『接触編』が終わると『発動編』。
『発動編』はアニメ史上まれに見るくらいの、主要キャラクターが次々に戦死していく物語。
『発動編』冒頭の2、3分で、『イデオン』でも男女それぞれで一番人気かもしれない美少女/美男子のキッチ・キッチンギジェ・ザラルが立て続けに戦死します(キッチ・キッチンは人気の美少女キャラですが、両想いの主人公ユウキ・コスモの見ている前で、戦闘の爆撃に巻き込まれ、首を吹き飛ばされて亡くなります)。
「セーリング・フライ」は、意図はしていなかったでしょうが、結果的に人々の死を先導するような役割をになってしまいました。




セーリング・フライ


片想い中の人には、とくに心にしみる一曲。
片想いの達人(かもしれない)富野監督作詞の「セーリング・フライ」はいかがでしょうか。



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