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アイーダ・スルガン……カーヒルとは「寝た」のか?(『ガンダム Gのレコンギスタ』)



アイーダ・スルガンとカーヒル・セイント~恋人たち

『Gのレコンギスタ』(2014)のヒロインの一人であるアイーダ・スルガンは、17~18歳の女の子。
アイーダには年上の恋人がいました。
カーヒル・セイント。
この二人の関係、監督の富野由悠季は「アイーダとカーヒルは寝た」、録音スタッフみんなは「アイーダとカーヒルは寝てない」という考えだったそうです。




アイーダの想い人、カーヒル

『Gのレコンギスタ』のヒロインの一人がアイーダ・スルガン(アイーダ・レイハントン)。
主人公ベルリ・ゼナムの想い人でしたが、のちにベルリとは血のつながった姉弟であることが判明します。

アイーダには恋人がいました。
カーヒル・セイント。

アメリア軍の精鋭よりなる秘密独立部隊「海賊部隊」に所属。
階級は大尉。
エース・パイロット。
キャピタル・タワー制圧作戦を立案。
「海賊部隊」の中心人物の一人。
知勇兼備の有能な軍人です。

キャピタル・ガードとの戦いで、人的被害を出すことなくフォトン・バッテリー強奪をいくども成功させ実績を積みかさねてもいます。
恋人のアイーダからは「将来的にアメリア軍を背負って立つ男」と評されました。
ただし、発言者が恋人アイーダであるため、どこまで信憑性があるのかは不明。
ただし、すこぶるつきの有能な軍人であることはたしかです。

しかも、ルックスも良し。
自信も満々。

同性としては、親戚や兄弟、近所やクラスや職場にはあまりいてもらいたくないタイプ。
比較されるのがつらそう……。

美少女のアイーダを好きな男子はたくさんいたでしょう。
その男子たちからしてみれば、カーヒルのような優秀すぎるモテ男には、アイーダのまえに姿をあらわしてほしくなかったでしょう。
いつアイーダが恋に落ちるか気が気でない。
そして、じっさいに恋に落ちてしまったわけです。




恋人カーヒルが戦死、手をかけたのは実の弟のベルリ

そんな将来性あり、戦功多数あり、卓抜たる才能ありのカーヒルですが、はやくも第2話で戦死しました。
ベルリのあやつるG-セルフのビームライフルを、至近からコクピットに喰らいました。
この影響は全26話のうち第24話でアイーダがベルリを許すまで、アイーダのベルリにたいするわだかまりとなって残っていきます。




「寝た」のか「寝てない」のか?……それが問題だ

このアイーダとカーヒルが「寝た」「寝てない」で言い合いがあったそうです。
ほかでもない『Gのレコンギスタ』監督の富野由悠季と録音スタッフとのあいだで。
富野監督は「寝た」。
録音スタッフみんなは「寝てない」。

富野由悠季
「僕は、アイーダはカーヒルと寝たと思い込んでいました。17~18歳の女の子が大人の男とやったって、別にどうってことないでしょう?」

しかし、

「スタッフみんなから「寝てない!」って全否定されてしまって」

だったそうです。




問題なのか?

若いころは、わたしも「寝てない」派だったでしょうね。
上品で魅力的な女の子には処女でいてもらいたかった。
「処女=清い」というイメージはたしかにありました。
アイーダには処女でいてもらいたかったでしょう。
清楚な姫さまである17~18歳のアイーダが、男と寝ているわけはないと猛反発したでしょう。

しかし、年齢をかさねると、複数の男をとっかえひっかえでなければ、特定の相手と寝ていてもべつに不思議ではないし、インモラルでもなかろうとおもうようになりました。
なまくらなりに人生経験を積むと、「処女=清い」「非処女=けがれている」と単純に決めつけることもできなくなりました。
人間には清濁が同居しています。
「処女」「非処女」だけですべてが決まるわけではないでしょう。

個人的にはそうおもいますが、アイーダのような気品ある少女には聖女であって欲しいという想いもわからないではありません。




アイーダは聖なる少女なのか?

ただ、「寝た」経験を真正面から描いたなら、それはそれでアイーダという少女に生々しい女性の存在感が生まれたかもしれないなあともおもいます。

アイーダの回想のなかで、アイーダに向かってほほ笑むカーヒル。
それは、二人だけのときに見せる笑み。
肉体関係にあるもののあいだでだけ交わされる、ねっとりとした微笑。
思わせぶりな眼差し。
アイーダだけを見つめ、アイーダを求める、やさしいような、野性を秘めているような、意味深なカーヒルの眼差し。

などという、「肉体の記憶」なるものを描くことによって、アイーダがなにも知らないお人形さんのようなお嬢さまでないことを描出できたのではないでしょうか。
理想化された聖少女ではない生きたアイーダを。

ただ、若い人は生々しいアイーダは見たくないかもしれませんね。
けがれを知らないアイーダをこそ、求めているのではないでしょうか?
かつてのわたしのように。

カーヒルを思い出して艶(なま)めかしい吐息をもらし、カーヒルの肉体がかつて触れたみずからの肌をなぞって涙をそっと流すシーンなど、若いころのわたしなら生々しすぎて受けつけなかったでしょう。



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