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『時をかける少女』(1983)【原田知世】……忘れることと忘れられることの哀しみ【※ネタバレあり】


『時をかける少女』(1983)【主演:原田知世、高柳良一】

高校二年生の芳山和子(原田知世)が愛した少年・深町一夫(高柳良一)は、西暦2660年の世界からやってきた未来人だった。
一夫は自然がほとんど絶滅した未来から、成分が必要になったラベンダーを採集しにやって来た薬学博士だった。
しかし、未来から来た人間であることを知られるわけにはいかない。
そのため和子たちの記憶を改変し、和子の幼なじみを演じる。
一夫が和子と時をともにしたのは、実際はたったの一か月。
そのあいだに、和子にとって一夫は「いつもいるんだかいないんだかわかんない」たんなる幼なじみから恋心をいだく存在にまでなり、一夫もまた和子に特別な感情をいだくようになっていた。
だが、一夫は未来に帰らなければならず、その際には自分を人々の記憶から消していかなければならない。
そのことを告げられた和子は、一緒に未来に連れて行ってもらいたい、それが駄目ならせめて一夫の記憶を胸に生きていきたいと懇願する。
しかし、例外は許されず、つぎに会うことはあっても和子は自分には気づかないと告げながら一夫は忘却の薬品を和子にかがせる。
和子は、絶対に一夫のことを忘れないと心に念じながら気を失うのだった。

11年後、薬学の研究員になっていた芳山和子は、勤務先の廊下で一人の青年とすれ違う。
和子は、その青年が一夫であることに気づかぬまま、すれ違い去っていくのだった。




一縷(いちる)の望みとちょっとだけの嘘

わずかの望みをいだいて会いに来たのでしょう。
もしかしたら、自分のことに気づいてくれるかも、と。
その一縷の望みはかないませんでした。

わずかの望みに希望を託すというのは、人生のさまざまな場面で経験することです。
家族の幸せ、恋愛、受験、などなど。
そして、想いがかなわなかったとき、ときに嘆き、ときに後悔し、ときに「やはりな」と自分にちょっとだけ嘘をつく……悲しさをやわらげるために。

一夫もまた、そうだったかもしれません。
「やはり……最初からわかっていた」と、はかない望みをいだいていた自分にちょっとだけ嘘をついたかもしれません。




忘れる哀しさ、忘れられる哀しさ

『時をかける少女』(1983)を観たのは、80年代半ば~後半。
テレビで初めて放送されたときです。
わたしが中学生か高校生のときで、和子や一夫とほぼ同年齢でした。

この『時をかける少女』のことを思い出すと、いつも決まって一つのことに行き着きます。
……愛する人に忘れられるほうがつらいのか、それとも、愛する人を忘れるのがつらいのか。
『時をかける少女』では、忘れられたのが一夫、忘れたのが和子です。

わたしは最初、忘れられるほうが悲しさは大きいと思っていました。
相手の記憶のなかから自分の存在が消えてしまうわけです。
相手の思い出のなかに自分はいない。
これはむなしい。

そもそも、自分が忘れたなら、自分が悩むことはないでしょう。
悩むもなにも、きれいさっぱり相手を忘れているわけですから、自分の心のなかに相手は存在しない……0に等しいのです。
0に悩むことはない。

しかし、いつもわたしの結論はそれとは逆になります。
愛した相手をすっかり忘れていることに気づかないのは、相手にすっかり忘れられるよりも悲しい。
そして、怖い。

あるはずの思い出が、あるはずの過去が、すっかり頭から消えている。
そして、そのことをまったく知らない。
もし、家族のことが思い出や過去の記憶からいっさい消え去ったなら、そして、消え去ったことにすら気づかないとしたら。

そう考えると、平静ではいられなくなります。
「忘れられていることを知っている」悲しさは、「なにも知らない」悲しさより、まだ救いがあるのではないでしょうか?
それとも、やはり、はなから記憶のないほうが楽で良いのでしょうか?




『時をかける少女』(1983)のラスト

久しぶりに『時をかける少女』のラストシーンを写真で見ました。
すれ違ったあとの写真。
手前には廊下をこちら側に歩く和子。
奥に、一度だけちらっと振り返り和子の背中を見つめる一夫。
思い出してもらえなかった一夫(高柳良一)の顔は寂しそうです。
かたや、正面を向いて一夫から去っていく和子(原田知世)は無表情。
なにもわからないのです。
この写真を見て、寂しそうな高柳良一より、かつて愛した人を目にしてもまったく気づかない原田知世のほうに、より哀れを感じました。
このあと、高柳良一は背中を見せて画面の奥へ去っていきます。
原田知世は最後まで、なにもわかりません。

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