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張達・范彊(ちょうたつ・はんきょう)をご存じでしょうか? 三国志……張飛を殺害した男たち



張達と范彊

張達と范彊の二人のことをご存じでしょうか?
この2人は、ある一事のために、『三国志』の世界ではそれなりに有名になりました。

張飛の寝首を掻いたのです。

ただし、寝首を掻いた殺害方法……張飛をしたたか酒に酔わせ寝ているところを剣で襲うのは、『三国志演義』(あるいは、それに先行する説話や講談が源流か?)によるもので、正史『三国志』には殺害の経緯はいっさい記されていません。

もしかしたら、起きている張飛を背後から刺したり、物陰から弓で射た、毒薬を飲ませたなどの可能性もあります。
万夫不当(ばんぷふとう)の張飛相手ですからまさかとは思いますが、正面からの一騎打ちで仕留めた可能性すらあります。
正面から弓をつがえ、驚きに目を丸くする張飛の眉間に矢を射こむ、という空想も成立する余地はあります。

殺害方法だけではありません。

正史では、じつは、この張飛殺害の正確な真相はほとんど分かっていません。
張達・范彊の殺害動機も推測らしきものが書かれているだけで、しかし、それはあくまで、推測の範囲でしかないのです。
殺害の経過も謎。

張飛殺害の模様を詳しく知っているように思うのは、ほぼ、小説『三国志演義』によるものなのです。





張飛殺害……『三国志演義』版

『三国志演義』によると、張達・范彊の張飛殺害の経緯(いきさつ)はこうです。

呉に殺害された関羽の仇討のため、張飛は、下級幕僚であり、兵站担当の張達と范彊に白装束の調達を命じました(正確には、兵站担当の責任者は張達・范彊の上司で、2人は副責任者)。
全将兵が喪服姿で弔い合戦に出陣するため、戦袍(せんぽう。鎧の下に着す上衣)、馬具、幟(のぼり)、軍旗にいたるまでを白一色で統一するよう、厳命したのです。
期限は、6日(3日とも)以内。

これは、ほぼ不可能でした。
上司は泡を食ってなにも言えません。
そこで、副責任者の張達と范彊が、12日間(6日間)は時間をいただきたいと懇願します。
すると、張飛は癇癪(かんしゃく)を起こし、鞭(あるいは棒)で2人をさんざんに打ち据えました(打ち据えるように命令したとも)。
張飛は、部下の反抗をいっさい許さない男なのです。
張達・范彊は半死半生の状態で解放されました。張飛の刑罰により、死者が続出していました。張達と范彊もどうなっていたことか。鞭は、皮膚と肉を裂き、骨まで折ってしまうほどの威力なのです。

張達・范彊は張飛についていけなくなりました。
いつ、自分たちも、殺されるか分からない。

2人は張飛を除くことを決断しました。

張飛のもとに、いつもの3倍の酒を届けます。
張飛は、抑制が利かぬ性格をしています。酒に対しても。とくに、兄のような存在である関羽が死したのちは、その悲しみを酒で紛らすため泥酔するまで酒を飲んでいました。

その、酔いつぶれた張飛を、張達と范彊は襲ったのです。

そのあと、張飛の首を携えて、長江を下り、江東の孫権のもとへと逃げ延びました。

その後、蜀と呉のあいだで夷陵の戦いが起き、蜀は大敗を喫します。
呉にとっては、それでめでたしというわけにはいきませんでした。
魏の脅威は依然として存在しています。
三国最大の魏と戦うためには、呉と蜀の同盟は絶対に必要なのです。
実際、蜀と決裂した呉の足元を見て、魏が太子の人質要求など無理難題を命じてきました。

呉は、勝者でありましたが、蜀と和睦しなければなりません。
そこで、手土産の1つとして、蜀の重臣である張飛を殺害した張達と范彊を引き渡すことを提案したのです。
呉存立のための出汁(だし)にされたのです。

2人は生きたまま蜀に引き渡され、劉備の命令で、張飛の霊前で張飛の子・張苞(ちょうほう)に斬られたといいます。





張飛殺害……正史『三国志』

しかし、これは愛すべき張飛を殺害した大罪人の張達・范彊の公開処刑ともいうべきで、民衆受けするための脚色であり、史実にはありません。

張飛殺害の動機も、経緯も不明、2人が張飛を殺害し呉の孫権のもとへ落ち延びたのは事実ですが、その後、正史『三国志』にはなんらの記述もなく、両名は歴史の闇の中に駆け去り、張飛殺害事件の関与者は【そして誰もいなくなった】のです。

張苞に2人は斬られていません。
というより、正史『三国志』によると、張苞は父・張飛より先に亡くなっているため、父の仇討は不可能なのです。

張達と范彊の2人が、どのような人物であったかも定かではありません。
『三国志演義』では、実戦で武功を積むというより、後方で補給などを担当する吏僚のような描かれ方をされていますが、これも正史には記載なしです。
実戦派の、ばりばりの武官だったかもしれません。

白装束の無茶な命令も正史『三国志』には記述なし。
鞭(棒)で打たれたのも創作。
張飛の酒量を増やすのも、酒で酔わせて寝込みを襲うのも、正史には記載されていません。

張飛を殺害し呉に逃げ込んだ件(くだり)で、やっと、正史『三国志』と合致します。

しかし……。

蜀に送還されてもいません。
張飛殺害を裁かれた形跡もありません。

張達・范彊は、呉に逃げ込んだ時点で、歴史の世界では<上がり>だったのです。

この張達と范彊、人気者の張飛を殺害したので不人気も甚だしい。

しかし、史実的には、張飛の死を悲しんだのはごく少数の人間だけかもしれない、むしろ、張達と范彊に喝采を送った(こっそりとですが)人間のほうがずっと多かったかもしれない、などと言ったら、『三国志』ファン、とくに『三国志演義』ファンは目が点になるのではないでしょうか。




張飛は、生前から人気者だったのか?

前者の、悲しんだのはごく少数かどうかは分かりません。
蜀の武を背負って立つ将軍の一人が死に、自分たちの将来が心配だと不安になった人たちはいるでしょう。
張飛の武名を惜しむ人たちも、いたでしょう。

ですから、張飛の死をごく少数の人だけしか悲しまなかったというのは、言い過ぎかもしれません。
ですが、自分たちの将来が不安だからなのであって、あの人は良い人だった、立派な人だったのに……的な悲しみはあまりなかったのでは?
兄同然の劉備や、皇太子である劉禅の正妃である娘など張飛の家族、個人的に張飛に恩をかけられた人たちや親交を結んでいた人たちはともかく、その他大勢の人たちが、どこまで張飛の死そのものを悲しんでいたでしょう?

張飛の親しみやすさや、憎めない性格は、正史にはまったく書かれていません。

あれは、『三国志演義』や、それ以前の『三国志平話』など説話や講談などが作り出した創作であり、むしろ、正史『三国志』には、弱い立場の人たちを虐げる暴君的性格が前面に出ています。

そして、それ故、後者の張飛の死を喜んだ人たち(蜀の敵対勢力はもちろんです。強敵で厄介な<万人の敵>張飛がいなくなったのですから。ここで言う喜ぶ人というのは、悲しむのが当然であろうと思われる蜀内部の人たちのことです)も、けっこう、沢山いたのではないかと思えるのです。




張飛は、かつて、一番の人気者だった(ただし、死後。けっして生前ではない)

張飛の、目に一丁字(いっていじ)も識(し)らない、学問の素養のまったくなさそうな印象、そして、暴れ者の印象は、民衆に受けが良かったでしょう。

文盲か文盲に近かった民衆には文盲(だと思われていた)張飛は親しみやすく、暴れるさまは単純であるがゆえに理屈抜きに爽快感を覚えます。

知的な人間は、冷たい人間と思われやすい。
しかも、当時の民衆は、学校教育も満足に受けていないか、まったく受けていません。

知識人が智謀を縦横無尽に駆使するさまは、自分とは違う世界の出来事だと思っていたのではないでしょうか。
感覚として、ぴんとこない。

孔明ですらも、民衆には知的過ぎて、張飛ほどの人気がかつてはなかったのです。
神のごとき智謀は、得体の知れなさを感じさせていたのかもしれません。

いまでこそ、『三国志』(史実でなく物語としての)といえば、関羽や孔明の人気が上を行っているかもしれませんが、ある時期には(少なくとも、『三国志演義』の基の1つとされる『三国志平話』が刊行された元の時代などは)人気一番手は、圧倒的に張飛だったようです。

張飛の単純明快な性格と行動、暴れっぷりは、民衆の留飲を大いに下げさせたのです。

張飛は、人懐(なつ)っこく、怒りはすぐ沸点に達しますが、恨みもあとに残さない、そんな人に愛される(教養ある知識人には、深みがなくて物足りなかったでしょうが)人物として講談や小説では造形されています。

しかし、張飛が人に愛された記述は正史『三国志』には(ほとんど)見当たりません。
もちろん、劉備や関羽からは弟同然に可愛がられ、人材を愛でる者たち(たとえば、曹操など)からは己の幕下に加えたいとも思われていたでしょう。

ただ、劉備や関羽から受けたように個人的に愛された、敬愛されたという記述は極端に少ないのが張飛です。

それどころか、正史『三国志』からは、張飛は嫌われていた、とくに部下たちからは蛇蝎のごとく、という推測すら成り立つかもしれないのです。



張飛は、意外や、それなりの身分出身かも?

民衆は、張飛のことを庶民であり、無学·無教養な自分たちの仲間としてもてはやしました。

しかし、そうだったのでしょうか?

どうも、その民衆の人たちの想いは、残念ながら幻想だったかもしれません。

『三国志演義』では、張飛の生業は「酒を売り豚を殺す商売」であるとされています。これは、伝説や説話の世界でも広く流布しており、「屠畜関係の人たちはいまでも張飛を自分たちの元祖と仰いでいる」ともいいます。
しかし、張飛は資産家でした。田畑・金銭の蓄えが十分にあり、人によっては、「張飛の出身は低い身分でなく、一定の地位をもつ商人階層に属していただろう」<『三国志考証学』 李殿元、李紹先・著 和田武司・訳 講談社 1996年刊行>というのです。

では、無学・無教養についてはどうでしょうか?

『三国志演義』では、「目に一丁字もない粗暴な大男」とされています。
粗暴さが、悪辣(あくらつ)な権力者や嫌味な虎の威を借る狐たちを、問答無用で叩きのめすのです。民衆は、誰か特定の個人を念頭に置き、その何者かが懲罰されるさまを脳裏に思い描いては、日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らしていたかもしれません。

しかし、張飛は「もともと文墨に通じていただけなく、書画にも通じていた」<『三国志考証学』 李殿元、李紹先・著 和田武司・訳 講談社 1996年刊行>というのです。
詩文、書画に明るかったというのです。
これは、後漢末·三国時代にあっては、なかなかのインテリです。
名士と呼ばれる当代一流の知識人階層には及ばずとも、その雛型(ひながた)のような教養といえましょうか。民衆の人たちからすれば、それこそ自分たちとは【異質】な人間です。
(ただし、文墨・書画に通じていたというのは、はるか後代、明・清時代などの伝説・創作である可能性もあります。張飛は文化人だったというような趣旨の記述が、とくにこの時代の書物や石碑などに複数残されているのです)

どうも、張飛は『三国志演義』などの小説や講談とは、だいぶ、違うイメージの人間なのかもしれません。

しかし、最大の違いは張飛が「暴にして恩なし」「小人を恤(あわれ)みず」<正史『三国志』>というところにあるかもしれません。

張飛は、身分·階級の低い人たちや自分の部下たちに恩愛を施さず、憐れみの心を持たなかったというのです。



張飛……目下の人たちへの暴虐

羽は、善く卒伍を待して、士大夫(したいふ)に驕(きょう)たり
飛は、君子を愛敬(あいけい)して、小人を恤(あわ)れまず

関羽は、兵士を可愛がったが、上級官吏の士大夫には驕慢(きょうまん)だった。
張飛は、身分の高い君子には敬愛を示したが、身分の低い人たちには憐れみの情を示すことはなかった。

と正史『三国志』は言います。

関羽は、身分・階級の上流の者たちへの攻撃欲が旺盛で、それがもとで生命を落とすことになります。孫権・糜芳(びほう)士仁(傅士仁)(ふしじん)・孟達(もうたつ)・劉封(りゅうほう)などに対する態度がそれです。
一方、張飛は目下の者たち(張達や范彊など)に対する配慮のなさ、遠慮のなさから生命を落とすことになったのかもしれません。正史『三国志』は、部下(張達・范彊)への虐待が原因であるとにおわせつつ、明言は避けています。張達と范彊が声明を出していない以上、断定はできないといったところでしょうか。

虐待が原因であるとにおわせている(のではないか)というのは、劉備が張飛の死をすぐに悟った以下の出来事を指しています。

劉備は日頃から心配していました。
張飛が、毎日のように、僅(わず)かな落度を理由に兵士を鞭打っていることに。
そして、刑殺が多かったのです。
見かねた劉備は、行いを改めるよう忠告していました。
しかし、それも効無く、月日だけが過ぎていきました。
そんな、ある日、張飛陣営の都督から上奏がありました。
それを聞いただけで、劉備は張飛の死を悟りました。
張飛陣営の報告は張飛自らが行うのが普通であり、それを代理の者がなすというのは張飛がもうこの世にいないからだと心づいたというのです。

即座に合点(がてん)するほど、殺害されても不思議ではない異様な状況のなかに張飛はいたということなのかもしれません。



長江·夕暮·フォト蔵·2016·11·6·16時28分·500px
                                                             『フォト蔵』さん御提供
                       【長江・夕暮れ・2016/11/6/16:28
                                                                       張達と范彊たちは、長江を下り、蜀から呉へ】



張達と范彊……長江を下り風と共に呉へ

張達と范彊は、その後、どのような人生を送ったのでしょうか。

呉の国で、下層の武将としての人生を歩んだかもしれません。

そして蜀では、表向き口にすることは憚られたでしょうが、張達と范彊に感謝していた人たちがいたかもしれません。
いつ自分が鞭で打たれるか、いつ一生障害の残る体にされるか、それどころか、生命すら危うい。
いっそのこと、死んでくれないか、と心中期する人もいたかもしれません。

合戦が起こり、そのなかで張飛が死んでいくという筋書を夢想した人もいたかもしれません。
事実、張飛と同じ<万人の敵>と称された関羽は、戦乱の中で捕らえられ、刑に処されたのです。

いじめられていたら、いじめているヤツは死ねばいい、と思うのはなにも珍妙なことではないでしょう。

そんななか、張飛は死んだ。
殺されたという。
張達と范彊という名の2人が、手を下したという。
2人は、そのあと、即座に逃げたという。
噂によれば、呉に逃げていったのではないかというのだ。


そのようなとき、虐げられていた人たちはどう思うでしょうか。

もしかしたら、心の中で、そっと「ありがとう」と感謝を捧げたかもしれません。

張達と范彊は、それらの人たちにとっての英雄だったかもしれません。



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大検高校

Author:大検高校
1970年代前半生まれ。
栃木県出身・在住。
趣味は、アニメ・漫画・小説・歴史など。
とくに、80年代のものが好き(懐古趣味)。
偏差値40前半の高校入学・中退、大検合格、1浪して早稲田・政経経済へ。
大学受験のころから記憶の障害にかかり、大学卒業後も長期療養、2006~8年頃完治、のち10年間の趣味・勉強をしつつのリハビリのすえ2018年ブログ開始。
どうぞ、よろしく。

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2学期、皆さんがんばってください /学校がどうしてもいやなら、無理しないで休んでもいいとおもいますよ /偏差値上位の受験生に、追いつき、追い越せです

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