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『サタディ・バチョン』(浜村淳)……土曜深夜、関西から暗い闇を越えて浜村淳がやってくる



土曜の深夜は『サタディ・バチョン』


習慣的に、深夜に起きていた初めての経験は、中学1年生(1984年)のころ。
翌日、学校のない土曜日の深夜。

ラジオ大阪でやっていた、『サタディ・バチョン』というラジオ番組を聴くためでした。
『サタディ・バチョン』の放送期間は1974~91年。
放送時間は時期により変動しましたが、わたしが聴いていた84~86年ころは、23:00~25:00。
今回、ネットで調べるまでは24:00~26:00とばかりおもっていたのですが、もちろんネットのほうが正しいでしょう。

司会は浜村淳(はまむらじゅん)。
京都出身のラジオパーソナリティー/映画評論家。
「浜村節」といわれる独特の口調で、一世を風靡(ふうび)しました。
「それでは(み)なさん、聞いてください」というとき「み」にアクセントをつけるなど、非常に抑揚がきいていてリズミカルで、気分良くその卓越した話術に引き込まれました。
「主人公が走る、走る、走る。殺人鬼が追いかける、追いかける、追いかける」といったような畳みかける口調もテンポ抜群で、芸術的な話術の才能で聴くものをぐいぐい引き込んでいきます。




『サタディ・バチョン』浜村淳……映画にはめっぽう強いが、アニメにはすこぶる弱い


コーナーは、映画紹介、日本史、アニメソングのリクエスト、怪談、時事など。

映画紹介は、あらすじと解説を名口調でじっくりと。
20~30分ぐらいかけて紹介していたでしょうかね?
場合によっては、結末までしゃべってしまうこともけっこうあったとか(たとえば『エンゼル・ハート』)。
作品そのものより、浜村淳のあらすじを聴いているほうがずっとおもしろいという意見も。

日本史は、『古事記』『日本書紀』などを物語風に紹介。
倭建命(やまとたけるのみこと)や有間皇子(ありまのみこ)、大津皇子(おおつのみこ)など、悲運に泣いた人物に焦点を当てていました。
地元の関西の歴史、とくに古代史に力を入れていた印象。

関西は昔からアニメラジオが強かったからか、浜村淳はアニメの門外漢だったようですが、アニメソングのリクエストコーナーや、年に二度ほど聴取率調査に合わせてアニメソングベストテンを開催していたようです。
(アニソンベストテンでは、『蒼き流星SPTレイズナー』OP「メロスのように」が2度連続で1位になったことがあるとか)
しかし、浜村淳にはアニメ知識がないため、アニメ雑誌『OUT』のパロディを真に受け本当のこととして紹介した「やらかし」もあったそう。
(『蒼き流星SPTレイズナー』のレイズナー(青い機体)は、ソ連で放映されたものはソ連の国旗の色である赤に機体カラーが変更されているとか)

ちなみに、代表作を多数もつ有名声優の故・水谷優子さんもリスナーだったようで、「いま、『マシンロボ』というアニメでレイナという役をやってます」というハガキが番組で読まれたこともあったそうです。
『マシンロボ クロノスの大逆襲』は86年7月から87年5月まで放送。
レイナ・ストールは作品のヒロインで、主人公ロム・ストールの妹、「妹ブーム」を巻き起こすほどの絶大な人気をほこりました。
レイナ人気をささえた理由の一つに、初々しく可愛い水谷優子さんの声が挙げられています。

浜村淳というと明るい印象がありますが、深夜という時間帯に合わせ声は低めに。
とくに、はなしの終盤は深夜の闇に消えていくように暗く締めくくっていました。
その口調が、土曜の深夜にミステリアスな雰囲気をかもしだしていました。




遠距離ラジオの音を拾うのは、海中の潜水艦の航行音をキャッチするように難しい


わたしが住んでいるのは関東の栃木。
『サタディ・バチョン』の放送局は関西のラジオ大阪。
つまりは、かなりの遠距離からやってくる電波を拾わなくてはならないわけです。
(中継地点があって、そこからの電波を受信していたのかもしれませんが)

とにかく、音を合わせるのがたいへんでした。
当時のラジオは、チューナーのダイヤルをまわして放送局の周波数に合わせます。
周波数はだいたいわかっているので、そこにダイヤルを調整します。
しかし、なかなか浜村淳の声が入ってこない。
ほかのラジオ番組が邪魔して、ラジオ大阪の電波にフィットしないのです。
まず、耳を澄まして浜村淳らしき声をキャッチしなければなりません。

まるで、海底にもぐる潜水艦をソナーでさがすように、ゆっくりと、慎重に、意識を聴覚に集中してダイヤルをまわします。
水中ではレーダー波の減衰がいちじるしくレーダーがつかえないため、ソナーで音を拾い敵を探知します。
わたしは、海中に棲息する潜水艦を逃すまいとする海軍兵士のように、ラジオから漏れる音に意識を集中しました。

耳には複数の他局ラジオ番組の音声。
トークあり、歌あり、ノイズあり。
ん?……これは?

浜村淳の声がやっと判別できました。
しかし、そこからがまた、たいへん。
この段階ではまだ、なにを言っているのか理解できません。
浜村淳がしゃべっているのは確かなのですが、そのはなしの内容までつかめない。
浜村淳の声をクリアにするため、つぎに、ラジオの場所を変えたり、ラジオの方向を変えたりします。

周波数は同じままでも、置き場所やラジオの方角により電波の受信状態が異なり、明瞭に聞き取れたり、まったく聞き取れなかったり。
土曜の深夜に、けっこう大きく重いラジカセを手にもっては部屋のなかを大移動、そのラジオの方角を変えるためにクルクル回転させるといった、めんどうくさい作業に時をついやします。

これで、なかなか良い音質になった……。
しかし、数分後には、まったく同じ周波数、置き場所、方角であるにもかかわらず、ふたたび受信状況が劣悪になることも。
そうなると、また、ダイヤル調整、部屋のなかを冒険、メリーゴーラウンドよろしくラジオを回転させる営みが。

気象条件などにもよるのでしょうが、日によって順調なときとそうでないときがあります。
順調なときは浜村節を心地よく落ち着いて堪能することができるのですが、そうでないときは2時間のうちのかなりを音合わせに忙殺されることになります。
夜が深まれば深まるほど、他局の放送が終了(かつては、いまのように深夜ぶっとおしの放送というのはそれほど多くはありませんでした)します、すると、音を拾うのもずいぶんラクになるのですが。

それでも聴きたかったのが、浜村淳の『サタディ・バチョン』でした。




土曜の深夜、多くの人々と闇に潜む者たちの頭上を越えて電波はやって来た


大阪から栃木にいるわたしまで、電波はさまざまな人生を送る多くの人々の頭上を越えてやって来ます。
その電波で、わたしは『サタディ・バチョン』を聴いていました。
どのような人たちの頭上を越えてきたのだろうか……というようなことを、中学生だったわたしは土曜の深夜に漠然と考えていたような気がします。

同時に、土曜の深夜の暗い闇のなか、息をひそめていた「なにものか」の頭上をも電波は飛び越えてきたのだろうな、とも。