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少年たちの純粋でまっすぐな生き方が40代後半の胸にはちょっとイタい『新機動戦記ガンダムW』(&『聖闘士星矢』『鎧伝サムライトルーパー』)



30代、40代になると、凛々しい少年たちにノスタルジーを感じるようになりました。

かつて、自分がなろうとして、おそらくはなれなかった凛々しい少年。
うだうだしていて煮え切らないわたしでは、とうていなれなかった凛々しい少年。

たとえば、『聖闘士星矢』(1986~89)の5人の少年たち。
華やかで、ときにありえないくらいキザなのですが、それがさまになってしまうペガサス星矢ドラゴン紫龍アンドロメダ瞬キグナス氷河フェニックス一輝たち。

たとえば、『鎧伝サムライトルーパー』(1988~89)の5人の少年たち。
ひたむきで、まじめすぎるほどにまじめなのに、それがなにゆえか色気すら感じさせる烈火のリョウ水滸のシン金剛のシュウ光輪のセイジ天空のトウマたち。

この5人の少年たちの系譜につらなるガンダム作品が『新機動戦記ガンダムW』(1995~96)です。
ヒイロ・ユイデュオ・マックスウェルカトル・ラバーバ・ウィナートロワ・バートン張五飛(ウーフェイ)たち。

『星矢』『サムライトルーパー』ともに大ヒットして、91年ごろまでつづいた美少年アニメブームを牽引した両作品。
そのうちの『サムライトルーパー』にあやかろうとしたのか、『ガンダムW』の監督は『トルーパー』の前半2クールの監督であった池田成。

『トルーパー』では、鎧が脱着できるアクションフィギュア「超弾道」シリーズを売り込むため、玩具メーカーのスポンサーが必殺技のシーンで「超弾道」の文字を画面に入れるよう要求、この無体な要求を拒絶したことにより2クールで降板させられた池田成が再び、サンライズの5人の美少年を主人公にした物語の監督に起用されました。
リョウたちだけでなく、監督もリアルの世界で必死に戦っていたわけです。
(ちなみに、『ガンダムW』では話づくりに凝りに凝りすぎたためスケジュールが破綻し、前半26話で降板しました。『トルーパー』のときといい、妥協しないのが池田成監督の性分のようですね。
さらにちなみに、後任は『ガンダムW』の後番組『機動新世紀ガンダムX』を監督する高松信司監督)


わたしは、『ガンダムW』は同じサンライズ作品・池田成監督の『トルーパー』よりも『星矢』に似た印象をもっています。
『トルーパー』の少年たちの描写がひたむきでリアルなのに対し、『星矢』の少年たちはうるわしくカリカチュアされているイメージ。
『星矢』のほうは現実的ではないのですが、『W』もどちらかといえばそちら寄りなのかなあという印象です。
少年たちの行動とセリフが、尋常でなくかっこ良いのですが演劇的なんですよね。
(トレーズ閣下にいたっては、ギャグとまがう、かぐわしいキザの奥義すら感じます)


10代のころは、『星矢』『トルーパー』の同世代の少年たちがかっこよくてまぶしかった。
20代のころは、一世代ちがう『W』の少年たちが、やはりかっこよくてまぶしかった。
30代、そしていま40代後半……少年たちはいまもまぶしい。
ただ、そこに微量の胸のイタみを感じるようになりました。

小さい子にまっすぐ直視されたとき、心のなかで「うっ」とくることはないでしょうか?
その瞳があまりにまっすぐで純粋すぎて、なにかやましさを感じてしまう。
べつに自分はさほど悪人であるとはおもっていないのですが(自覚してないだけ?)、しかし、なぜか怯んでしまう。
あれとおなじで、少年たちのまっすぐな生き様に、ひときわ異彩を放つさわやかさと、そのなかにちょっと後ろめたさを覚えるように。
30代のいつごろからでしょうか……。

昔は独りよがりながらも、それなりに純粋でまっすぐだったような気がします。
しかし、そのため凹んだり、傷ついたりしているうちに、けっこう物事を迂回して考えるようになってしまった気が。
もちろん、それが一方的に悪いとはおもっていません。
若いころのまっすぐさ、とくに独りよがりでは、なにかと都合が悪い。
協調性などで問題がなくもない。
精神的にも疲弊します。

まっすぐって疲れるんですよね。

しかし、それでも、まっすぐに生きる少年たちのさまは、わたしにはまぶしく、かつ、見ていてちょっとだけ胸がイタみます。
自分を韜晦(とうかい)している、いまの自分へのやまさしさからでしょうか。
独りよがりとはいえ、それなりにまっすぐだった過去への郷愁からでしょうか。


白って、けっこう、見ていて疲れませんか?
純粋なものを見ていると、ちょっとだけ物悲しくなりませんか?
星矢』『トルーパー』『W』の少年たちを見ていると、ほんの少しだけそんな気分になるんですよね。